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セクシーさと知性は共存する~ミュゲとムスクのふり幅を生きる人、マドンナ

『マドンナの言葉』(山口路子 著・大和書房)出版記念パーティに伺いました。挑発的で常識が大嫌いで、いつもありたい姿を貫く、意思の強固な人、そんなイメージのマドンナも、60歳になっているのだそう。

初めて知った、マドンナの素晴らしい表現、美しい声

会場で紹介されたマドンナ主演のミュージカル映画「エビータ」(1996年)は未見なのですが、目から鱗だったのが「Don't Cry Fro Me Argentina」を歌うマドンナの歌唱力と表現力。アルゼンチンでは聖女と敬愛されているエヴァ・ペロンの生涯を描いたこの作品の主題歌といっていいのは、先の「don't cry for ・・・」。それが、聞きなれたマドンナの歌声とは全く異次元、滑らかで優雅さと慈愛に満ちたものでした。この時38歳、既に成功を手にしていた彼女ですがこのためにボイストレーニングを基礎からやり直し音域を広げたのだとか。どうしてもこの役がやりたかったマドンナですが、数年前にセンセーショナルな写真集「SEX」を出して以来、いまだにバッシングの最中であったため、地元アルゼンチンでは国民の敬愛するエビータをマドンナが演じるということに猛烈な反対が起こります。当時のアルゼンチン大統領でさえ、マドンなが演じることに反対を表明しました。

「最後がどうであろうと、できる限りのことを」

絶体絶命、だれもが諦めかけた中、マドンナは、やるだけのことは最後までやる、と「来るなら生きては帰さない」とまで人々の感情がヒートアップしたアルゼンチンに乗り込みます。どんな結果になっても、納得できるまでやれることは全てやる、という意思でした。奇跡的にも、大統領との会見をなんとか実現させ、そこで聞かせたのが「don't cry for・・・」のテープ。

大統領はその歌に感動し、ブエノスアイレスでの撮影許可を出し、夢であったエビータを演じる夢を実現させたのだそう。

私は、ダメとわかっている、というか実際にはだめになりかけているものに、力を注ぎたがらない自分を、すごく反省、というか自覚しました。

でも、後悔を残さないためには、ここまで潔く清々しく、あがく、ことは絶対必要なんだなって、思いました。

わがままで、何かに執着して自分を見失うことと、わがままに信じたことへの努力を最後までやりきることと、似て非なる、とも思いました。

そんなマドンナというと、以前、ジャンポールゴルティエによる衣装をステージに採用していたこともあります。常識や因習にとらわれない自由さと、セクシャルを積極的に扱いながら、そこにそれを尊重する思いがある、そいうところ、共通していたのかもしれません。そして、やはり他者、特に社会的に弱い他者への愛。

マドンナの愛用の香り

そういえば、定かではないけれど、BODY SHOPのホワイトムスクというフレグランスをマドンアは愛用していたと聞いたことがあります。このフレグランスは私は知らないのですけれど、ムスクといえば動物性香料の代表的なもので、重厚で官能的な香りと言っていいでしょう。ムスクもまたセクシャルな事に直結するようなイメージがあるのかもしれません。

とってつけたようだけれど、ムスクのような香りは好きという人も多いけれど、TPOやどんな人なら似合いそうかと、問われるとむつかしい、といつも感じていました。けれど、今のマドンナ、それが一つの答えのようにも思えます。ふくよかで官能的、どこかに人を包む込むような人肌のぬくもり、それは、今の彼女に似つかわしいようにも思えてきます。

同時に、可憐なスズランのようなシンプルなホワイトフローラルも今のマドンナに似合いそう。

まるでセクシャルな魅力と知性は共存しうるって主張しているマドンナのふり幅そのもののよう。


スズランはフランス語ではミュゲ(MUGUET)、実はムスク(MUSK)はこのMUGUETが語源になっているのです。

香りのタイプは最も軽いといっていいフローラルグリーンノートと最も重いといっていいアニマリックノートですが、MUGUETという言葉は強く香りを発散するといった意味があったようでそこから、同じように強い香りのMUSKがそう名付けられたと、記憶しています。

軽い重いというより、強い

少女のようでも、娼婦のようでも、軽くても重くても、「発する強さ」が人知れずある、、、それがマドンナという人なのかもしれません。

先の「don't cry for me argentina」を後年、ブエノスアイレスのツアーで歌うマドンナ、嘗て猛烈な反対運動までしたアルゼンチンの人々が、感涙と共にその歌を聞いている様子に、そうか、マドンナは聖母だものね、って思った夜でした。



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