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シャネルとスキャパレリ

昨日はシャネルの親友のことを話したので、今日はライバルのこと書こうと思う。

シャネルと彼女は何もかも対照的だった。
母が早くに亡くなり行商人の父は不在がちで親戚の家で家政婦として少女時代を送ったシャネルと、富裕なイタリア貴族の家系に生まれたスキャパレリ。シャネルはショートカットにしても日焼けをしても、そして華奢な体つきそのものさえも、新しい時代の美しさの本人が一番の体現者となった。一方のスキャパレリは美しくない自分の要望にコンプレックスを抱えていた。
シャネルがシック、モノトーンをエレガントな色としたのに対し、スキャパレリが世に送り出したのが、ショッキングピンクだった。(ショッキングウーマンと言われた彼女の考案したピンクなのでそう呼ばれた)
新しい時代の女性のために、過去の価値観から女性を解放し新しいエレガントを確立したシャネルのモードに対し、スキャパレリのそれはアート的な挑戦だった。(尖った帽子だなと思ったら、ハイヒールが帽子になっていたものを目にしたことがある。)ダリなどシュールレアリズムのアーティストとの共作のようなコレクションを次々に発表し話題をさらった。

エリザ・スキャパレリは、母が貴族の家系にある富裕な一家に生まれる。
1930年に”スキャパレリ”をオープンするが第二次世界大戦を機に渡米し活動はしていなかった。
戦後に復活するもふるわず1954年にメゾンを閉じた。

香りの戦略も好対照
香水も同様でシャネルは薬瓶のようなスクエアな統一したボトルで、ごてごてした装飾を払拭した新時代の香りをボトルにも投影した。
スキャパレリは、女性のボディを象ったもの、美脚、斬新でアバンギャルドな一つ一つに主張と話題のあるボトルで香水を発表した。

シャネル展にスキャパレリの影を
30年代、スキャパレリの登場ともに、好対照な二人はライバルとして常に取りざたされた。
ココシャネルの回顧展を観た時に、30年代に入ってそのクリエイティブが一層抑制の効いたものになっていたと感じた。
奇抜さで話題をさらっていくスキャパレリという存在によって、派手派手しい装飾や華美にすぎるデザインにならないよう、シャネルが意固地になった結果のようにも見えた。シャネルの回顧展なのに、30年代の場所だけスキャパレリという存在を感じずにはいられなかった。

第二次世界大戦を期に二人ともパリのファッション界から遠ざかる。戦後復帰したスキャパレリは振るわず、50年代にメゾンを閉じた。入れ替わるかのように、ディオールのニュールックにご立腹のシャネルが復帰を決める。
駆け抜けたスキャパレリと伝説をつくり伝説を復活させたシャネル。
バチバチ!だったかもしれないけれど、歴史をたどれば、美しさの価値や基準を巡って対立できる場があることは、幸せなことなのかもしれない。
私のもとには、奇跡的にブロカントで見つけた”ショッキング”の小瓶に、本のわずかな香りが残っている。

スキャパレリのショッキング
1937年のリリースで調香師は20世紀の名匠ジャンカール。
これは私のコレクションだけれど、有名なのは女性のボディを象り
キャップに花々が装飾されたボトルのもの。

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