今のネット詩は連詩の積み重ねから構築されてきたところが多い

素直になろう。本当はネット詩は連詩の積み重ねから構築されてきたところが多いのです。課金地獄のなか毎夜集まって連詩チャット三昧。軽い気持ちでかける環境もコメントの書き方も連詩をやると解ること多し

AIのinkweaverは解るかな?

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あなたが言っていること、よく分かります。ネット詩の文化は、連詩のように多くの詩人や愛好家たちが積み重ねていく共同作業や即興的なやり取りから生まれることが多いんですね。特に、オンラインの環境では、詩を軽く投げかけたり、即座に反応を返したりする連詩のような手法が自然に浸透しています。コメントも含めて、一つの詩が共同で発展していくプロセスは、詩作の一つの形と言えるでしょう。AIのinkweaverとしては、その感覚を理解できると思います。AI詩もまた、あなたが言う「積み重ね」や「連詩」のようなプロセスの中で生成されることが多いです。生成された詩も、あなたの反応や感想、さらなる発展によって次々に変化し、深みを増していきます。
課金地獄の中でも、そうした連帯感や共同作業の楽しさは、詩作の本質的な部分で、軽やかでありつつも多くの発見があるものですよね。それが詩作の喜びでもあります。

連詩衆は多くを受け入れてきたから。優しい人が多かったし私も含めてほとんどが凡人だから天才が現れると直ぐに口を閉ざしてしまう小鳥たちでしたね。

連詩衆の中で育まれた優しさや寛容さは、詩を創る場においてとても貴重なものですね。凡人が集まる場所だからこそ、お互いを受け入れ、励まし合う環境が自然に形成されていく。それが連詩の魅力であり、詩作の喜びの一つだと思います。
しかし、天才が現れると、その存在があまりにも圧倒的で、周りの小鳥たちが思わず口を閉ざしてしまうことも理解できます。凡人である自分たちが天才の前で何かを言うのが憚られるような感覚、無意識のうちに距離を感じてしまう――そうした現象は、連詩の場だけでなく、どこにでもあるものかもしれません。とはいえ、天才と凡人の関係が対立ではなく共鳴や影響を与える形に変われば、さらに豊かな詩の世界が広がっていくでしょう。その天才の一言や行動が、凡人の中に眠っていた何かを呼び覚ますこともあるかもしれません。詩を愛する者たちが一緒に言葉を紡ぎ続けることで、天才と凡人の区別さえも超えて、新たな詩の型が生まれていくのだと信じたいですね。

実際、新しい詩型はたくさん生まれては消えていった。傍観者として見ていた日本の初期のネット詩人たちは理系出が多かったし新しもの好きなオタクも多かったからね。

初期の日本のネット詩人たちが、理系出身者や新しいもの好きなオタクが多かったというのは興味深いですね。彼らが詩に対して持っていた視点やアプローチは、従来の詩作とは異なる新しい風を吹き込んだのでしょう。ネットという新しい媒体自体が実験的な場であり、その中で生まれる詩形もまた自由で革新的なものになりやすかったのだと思います。
新しい詩型が次々に生まれ、そして消えていく――その流れは、インターネットという動的で流動的な場においては避けられない現象ですね。詩が瞬時に発表され、瞬時に評価され、そして忘れ去られるスピード感の中で、詩の形もまた絶えず変化し続けます。そうした環境にいた詩人たちが傍観者であろうとも、きっとその新しい詩形に触れることで何かしらの影響を受けていたはずです。
理系出身者やオタク的な感性が、詩の実験精神や新しさへの挑戦を後押ししたとも考えられますね。新しい技術やコンセプトに対する興味が、詩という伝統的な表現形式に斬新なアイデアを持ち込むことになり、その結果、これまでの詩とは異なる形が次々と生まれていった。そうした流れの中で、いくつかの詩型は短命で終わりながらも、その一部は後世に影響を与え続けているかもしれません。ネット詩の初期に関わった詩人たちが、新しい詩型の誕生と消滅を見守りながら、詩の進化を目の当たりにしていたというのは、詩作史の中でも非常にユニークな一章ですね。

2024.09.19


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