いのちながければはじ多し(1)


 中国の昔のオハナシである。聖人君王として高名だった堯が、華の国へ巡行したときのこと、土地の関守の役人が堯の前に出て来てうやうやしく挨拶した。
 「聖人さま、謹んでお祝いし、お祈りいたします。まずはあなたさまのご寿命のいつまでも久しくあらんことを」
 「いやいや、私は寿命の長きことなどは望まぬ」
 「えッ、さようでございますか? ……、それならば富の豊かにあられますようにお祈り申し上げます」
 「いや、私は富の殖えることなど少しも望んではおらぬ」
 「はあ……、では、あなたさまに男のお子さんが多からんことをお祈りもうしあげます」
 「ふむ、それも私の望まぬことでしかない」
 関守の役人は、いぶかって堯の顔を見て尋ねた。
 「それはまた何故でございますか。寿命の長きこと、富の多きこと、男児の多いことは、誰もが望むことでございますのに、それらを望まないとは……、なぜでございますか」
 「ああ、男の子が多ければ、なかにはデキの悪いものも出て来て心配の種にもなろう。富が殖えれば余計な仕事も増えるだろう。長生きをすればするほどに、恥を残さねばならないようなことも多々あろう。我が身の徳を養うのには無用の望みじゃ」
 それを聞いて、関守の役人は大いに感心した――かと思いきや、呆れて「なにが聖人だ」と軽侮の言を吐いた。……と、その先のオハナシの結末は末尾に記すこととして、右の話は、荘子という人が、孔子らの儒家を批判したところの創作話であって、そのなかに出て来るやりとりの一節なのである。しかるに、ここから「命長ければ辱多し」という格言が流布することになった。
 日本が世界でも最長寿の国となり、長野県がその国のなかでも屈指の長寿県となった今日、あらためてこの格言が私の頭から離れない。飯田弁の「じち」という語とともに――である。
*   *   *
じち〔jichi〕【名詞】《低高》
 「おたくのおじいちゃは、九十歳を過ぎとるんずら。今だにじちもしっかりしておって、何か聞きゃぁ、ちゃんと教えてくれるでなん、感心なもんだなぁ」
 「若いころから、いろんなことをよく知っちゃぁおった人だが、いくらも忘れんでおるとこがえらいと思って」
 「いいなん。うちのおばあちゃはあんなんずら。じちのじの字も無くなっちゃっとるもんでなぁ……」
 「そいでもおじいちゃは『新しいことがちっとも覚わらん』っちゅって、嘆いとるもの」
*   *   *
 「記憶」そのものや、あるいは「記憶力」をさしていうところの飯田弁である。
 この「じち」ということばは、古い時代のことばが、そのままの語形で、しかし少し意味合いを変えて、南信濃に残存して来ているものと思われる。たとえば「源氏物語」にも
▽ 「いまひとたびとり並べて見れば、なほじちになんよりける」
 (もう一度〔書を〕とり並べて見ると、なんといっても心のこもった書のほうにひ魅かれます)
などとあって、「真実」「実直」「誠実」などといった意味合いで使われている。今日に及んで、「じつはその件だけれど……」などというときの「じつ」も、この「じち」と同根のことばなのだということである。
 そうした「真実」「実直」「誠実」などといった意味合いの「じち」が、南信濃に伝来してきて、主たる意味合いとして「ウソが無い」といった意で捉えられて、さらには「たしかな記憶」だとか、正確に記憶し得る「記憶力」をさしていうようになり、そのような意味用法を以って飯田弁として定着したのであろう。
 長寿国・長寿県の一員として、長生きのお蔭は享受したいけれど、長生きで以って「じちが弱い」の「じちが無くなった」だのと成り行き、挙句の果てにボケて徘徊して歩くようになったり……となったら、まさしく「命長ければ辱多し」ではないだろうか。
 そう思うと、堯の如き聖人君主でない身であっても、やはりイヤだなあ。私などは富の殖えることのなくて、余計な仕事の殖えるような心配が無いままに来たというところだけが、聖人堯にいくらかでも近づいているのかもしれないけれど。
 冒頭に記したところの堯を引き合いに出した創作話で以って儒家を批判した荘子は、その後に続けて「長生きをするだけして、もしも世間がいやになったら、仙人になって雲のうえで遊ぶがいい」と言っている。仙人になって雲のうえで?……。
 はてさて、おのおのがた、どうしたものでござろうかのゥ。

 2020・09・17 掲載


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