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随筆:ぼくと世界との闘争ーなりたい自分と貫く思想についてー

宣告

先に結論だけ言います。今回は実質休載です。北条岳人

 どうもミリタリーサークル
 『徒華新書』です。
 本日はnote公式企画の便乗です。
 @adabanasinsyo
 この随筆の文責は北条岳人です。
 @adabana_gakuto

 今回の記事は、久保さんから『「#なりたい自分」タグで俺は書いたんだからさ、書いてもらう。アマギフの抽選回数が増えることにもなるし』とか意味の分からねーことを言われたからやむなく書いてるだけです。

 抵抗はしたんですよ。「激寒超長自分語りなんて『間違いだらけの自称・解説動画』よりはマシというだけで『男のメンヘラ』より価値がないよ、こんなの読む時間で『ウィキペディア丸写しレベルの情報しか入ってない解説動画』見てた方がどう考えても時間の有効活用だ」と。

「ぼくを『うまいのラーメン屋さん』(原文ママ)と評しているようだが、ラーメン屋に来る客は金を払ってラーメンを食いに来てるのであって、ラーメンが出ずに店主の説教だけ聞いて10分の1税置いて帰るために来てる訳では無いことくらい、火を見るどころか花火工場で起こった大爆発の1億倍は明らかなはずだが?」と。

「だいたい犬のうんこより需要がない記事を書かされるために、クソみてえな現実から逃れるためにゲームする時間が削られ、思考完全停止レベルで眠くなっても記事ができてなかったらぶっ倒れる前に書かなくちゃいけないの?」と。

 「いやー、今週は書かなくていいぶん気が楽だー」とか抜かして取り合ってくれませんでした。
なんで❝ラーメン屋❞にラーメンではなく自分語りの文章を書かせようとしてるんでしょうね。
そんなだから「ホイシュレッケのような際物を経てヴェスぺやフンメルにたどり着く自走砲の開発」という文章の挑発性に気づけないんですわ。
やることになってしまった以上、仕方ないから「ちゃんと」やりますけど。

警告

警告をしました。

 このタイトルですら、自分に対する嫌味です。
「なんですか~~~この長ったらしく取り留めのない文章はァ~~~~~~~、どこかの政党の党員番号555番にでもなるつもりですか~~~~~~~~?」という、ね。

警告は、しました。

 ここまで警告して気づかないならそこから先は全部そちらのせいです。

あるいはここまで警告しておいてなお「読み進める」という選択を自由意志でしたのなら、
ぼくの文章や毒や狂気、憎悪に耐えられなくなったとしても、それは毒を食らった分際で皿を食わないあなたの覚悟が弱いだけです。

 今回の記事は「書いててクソ面白くもない」というより、「叩きつけるロケット砲弾幕が、ミリタリーに関する知識じゃなく自分語りってどうよ?出たNote全部読むもの好きですら、苦痛で仕方ないと思うが?」という配慮……配慮?から来ています。
なので長く、取り留めのなく、憎悪と狂気と攻撃性が基準排水量10万トンレベルで満ち満ちた文章を何が何でも読み切ってやるという覚悟がないのなら、今週は何もなかったと思ってお帰りいただく方が双方ともにアドなんですよ。所謂MAD理論はご存知でしょう?
 今なら引き返せますよ、次の行から本格的に始めますからね?これが最終警告ですよ?

あっ、一応無限に暗い話の部分だけは読み飛ばせるように、武士の情けでここにお品書き置いておきますね。


自分語りー無限に暗い話

 ぼくには妹がいます。
故に「長男なんだから」という有形無形の圧力に晒され続けてきました。
ぼくが「いい人でなければならない」という強迫観念のもとに今でも生きているのは、実際のところこの長男ロールという有形無形の圧力の影響もあるかもしれません。
「これについて教えてくれない?とかそういうのじゃなく人を頼る」って、どうすればいいんでしょう?
唐揚げなどを人数均等割りするなんて「紳士的な」ことはしない人も多いらしいのですが、ぼくは食後に空腹を抱えてでも必ず均等割りを守って生きてきました。
また、「完全に独立した子供部屋」のようなものがなく、妹が増えると「自分のスペースと呼べるようなもの」は夏は灼熱、冬は極寒のウォークインクローゼットしか与えられませんでした。

 ぼくはアトピーという「春と秋は花粉、夏は暑さ、冬は寒さと乾燥、梅雨は湿気、季節の変わり目は言わずもがなと、一年のどの時期でも集中できないから普通に障害なのに、何故か障害扱いされてない病気」を持っています。子供の頃から容姿に関するコンプレックスを無限に抱き続けてきました。今でも知らない人、特に異性と話すには非常な緊張を伴います。
高校の修学旅行の際には、2日前に背中一面にマラセチア(真菌の一種)による吹き出物ができ大泣き、テンション最悪の状態で沖縄の修学旅行に行くことになりました。
 また、それ故にぼくは煙草と酒というストレス解消法が使えません。まあアトピー持ちで上戸で煙草呑みの友人もいるんですが、一般論から言ってアトピー持ちにとって煙草など毒ガス以外の何物でもないことは異論を挟む余地はないですよね。
酒に関しても、確かにぼくが下戸というのもあるのですが、酒精が回って血流が速くなるということは血液中の刺激物も爆速で体内を駆け巡ることを意味するので、痒さが増幅されるのです。「温泉に入ったあとだけ体が痒くなる」体質の人がたまに居ますが、原理はたぶん同じです。

 ぼくはいじめられていました。
剣道部時代が一番ひどくて、本当に地獄でした。
「この子は生まれつき背骨が歪んでるところに、防具や道着の重さが加わった必然の結果として腰椎椎間板ヘルニアがある。だから休部させなさい」という診断書を整形外科でもらいました。
1年の時の顧問の先生は、「でもまあ見学くらいはできるだろ?せっかく入部してるんだからさ」ということで、指先に力が入らなくなってる状態を改善するストレッチをする形での参加を認めてくれました。
 問題は2年の時に顧問が変わったことです。大阪出身の体育教師、このクソ忌々しい名前は忘れもしない、林晋央(はやししんおう)は、同じように診断書を提出した時にこう言い放ちました。
「体育ができるなら、剣道もできるやろ。」これでヘルニアが3つに増えました。
その後、他の学校へ異動した先で生徒をぶん殴っただかなんかで問題を起こしたらしいです。
こいつといじめの主犯のゴミ共、石渡唯・西条慎吾などは、今でも法律さえ許してくれるのなら……ねえ?

 ぼくは父親との折り合いが死ぬほど悪いです。小学生の時点で既に心底から憎悪していました。
言を左右にする、人の話は聞かない、そのくせに「言わないと伝わらない」とか抜かす、「悪気はないんだけど」と言えばどれだけぼくのことを侮辱してもいいと思ってる、
「◯◯(例:祖父)に申し訳ないとは思わないの?」みたいなダブルバインド的な方法を平然と使ってくる、「就活に失敗したら家を出ろ」とかマジで意味不明なことを言い出すなど、本当に『なんでぼくはこんな父親のもとに生まれてしまったのか?』と無限に、本気で思ってます。
だから実家に一時逗留する時でも一言も会話しません、したくもありません。ぼくが普段一切飲酒しないのは、下戸であるというのも事実ですが「父親は飲酒する人間であり、飲酒すると普段より更に不愉快な存在になる」からこいつと同じになりたくない、というのも一面にあります。

 先述のように、実家を追放されて収容所暮らしです。
今の収容所は徒歩数歩で小さいながらも地元密着のスーパーみたいなのがあるから契約しました。ーーそのスーパーが移転しました。
冷蔵庫は動いてるようには思えません。換気扇も全然動いてないです。集中水回りのせいでコンロは小さく流しは極狭、しかもコンセントの数が全く足りません。
冷蔵庫を自費で買ってもコンセントが絶対的にないから置く場所本当に困るよ。貯金も追放前に150万あったのがもう……10万くらいしか……

 ぼくは就活に失敗して、訳わかんなくなっちゃいました。
高校までは、本屋か教師になりたかったんです。
……問題は、ぼくが大学生になる前の時点で、教員の待遇の悪さは問題になっていました。
ぼくが出た小学校でも、先生がメンタルをぶっ壊して休職するという事案が発生していたみたいです。
しかも1年の時は36単位しか申請してないとはいえフル単だったのですが、2年の時に申請した48単位を半分落とし、教職を取ったまま4年で卒業するのが極めて困難になりました。
しかも本屋についても、出版業界にいた祖父から、大学3年の時点で「出版業界はこれからもう氷河期だぞ」と言われ、ぼくは肩を落として「はい……」と言うしかありませんでした。
 ――ええ、確かにそうです。「口で言ってるだけで、業界研究とかインターンとか全然やってなかったじゃないか」と。「7限以降まで取れば教職ももしかしたら取れたんじゃないの?」と。
「妹がいるから就職浪人なんてさせてもらえるはずがない、って諦めてたけど、上の妹は高校は制服が可愛いなんて理由で私立に行き、大学でも転科して5カ年計画やってるんだから、実は言えばなんとかなったんじゃ?」と。
「その意味でお前が言ってるのは、小さい女の子が将来お店屋さんになりたいって言ってるのと本質的に変わらないぞ」というのは、それはそうです。小さい女の子は別に簿記の勉強とかしないですもんね。
――でも、小さい頃からのささやかな夢だったんですよ?
もう他にやりたいこと?ないよ本当に。

 専門学校の用務員は最終面接まで行きました。ーー落とされました。
しかも「これもう無理だろ」という確信があったにも拘らず、母は「落ちたって明確に言ってないんだから、そこの精神を見てるかもしれない」とか訳のわかんねーことを言ってぼくに電話をかけさせました。結果?逆転してたらこんな文章書いてると思いますか?
神奈川県のハローワークにも行きました。「神奈川県で手取り20を割り込む仕事しかないってマジ!?」という現実を叩きつけられ、本気で凹みました。それでもいいから受けに行きました。落ちました。
 Vショーで自衛官候補生への勧誘を受けたこともありました。
半分くらいやけになって応募してみることにしました。
ーー落ちました。お腹が弱いとかの問題を馬鹿正直に申告したせいか、
角度の問題が本気で分からなすぎて普通に「馬鹿」で落ちた可能性もありますが。
 自衛官にもなれなくなるくらいの年齢になって「幼稚園の頃から爆発が大好きだったんだから、花火師か爆弾魔になるべきだった」ということに気づきました。もう手遅れです。
日本じゃなくアメリカだったらマイケル・ベイに弟子入りすればよかった
んですが、もう「西部警察」の頃じゃないんで派手な爆破なんてさせてくれる訳ないですしねえ。

 バイトはしています。今の仕事は2年後に終わりますけど。その意味でNot in Education, Employment or Trainingではありません。でも正規雇用をされたことは一度もありません。
ビジネス文書の書き方は大学の講義で習ったけど、本質的にビジネスマインドセットの教育を受けられなかったやべーやつとして生きています。

 ぼくはうつ病とADHDの疑いは強く指摘されています。「自分はやばい病気かパラノイアのどちらかだ」とも思います。ウィキペディア読む限りパラノイアの症状に心当たりばかりだからたぶん両方ですけど。
母親から「HSPの症状に心当たりある?」と聞かれた時、正直心当たりしかなかったのですが、「それを正直に言ってどうなる?❝ちゃんと❞産んであげられなくてごめんみたいなこと言われて終わりにならない?
それだったらぼくがいつまで経っても社会に出ないクズである方が、いつかは本気出すかもしれないって希望があるのではないか?」と思って「いやー心当たりないな」と嘘をつきました。その意味でぼくは虚言癖なんです。

 ぼくは本質的に自分勝手で苛烈、そのくせ自罰的です。
自分の失敗、最大まで遡れば幼稚園の頃の失敗とかも今でも覚えていてぼくを苦しめることが何度もあります。
過去の自分を殺してやりたいと思った回数など、カウントできません。多すぎて。
そしてそれ故に、「今でも馬鹿だけど今よりもっと馬鹿だったから仕方なくない?」みたいな❝言い訳❞があってもなお自分の失敗が忘れられないし許せないということは、他人の失敗など、❝言い訳❞がないんだから忘れられるはずがありません。

 ぼくは「いい人であること」しか知りません。アトピーによってずっっっっっっっっっっっっっっ……………………………………と劣等感を抱えて生きてきました。
だから「いい人でなければならない、というかこれ以外に切れるカードがない」という破滅的状況にいます。「いい人」であろうとするために、どれだけの感情を飲み込んできたことでしょう。

なりたい自分ーーそもそも理想の自分とは?

1,ぼくは、人種としてのオタクである

 なんなんでしょうね。ただ、こうあるべきという理想は既にあります。
「人種としてのオタク」として、伊達や酔狂に生き伊達や酔狂に死ぬという覚悟を投射し続けることです。
 今後、オタクは増えて薄まって減って行くことでしょう。
❝属性としての❞オタク、「楽しければいい、楽して通ぶりたい」みたいな薄っぺらいオタクが増え、
それに抗おうとして「古き良きオタクに戻れ!」と主張すれば、属性としてのオタクの側だけでなく「仲間であるはずの」古き良きオタクからも『時代は変わったんだ』とか訳の分からねーことを言われて白眼視されることでしょう。
硬派なオタクを自称していた人間は、このクソみたいな現代社会に揉まれ、圧倒的な「現実」の前に往時の情熱を失うか、方向転換を余儀なくされるでしょう。
思い当たるフシがあります。以前、叔父さんたちから「今の子は車好きな人っていないの?」と聞かれ、『いや居ることは居ると思いますよ、友人にも初任給で外車買った人いましたし』と答えたことがあったのですが、
「いや~若いね~w」「子供産まれちゃうと、もう燃費や容積でしか車選べないよね~」みたいな話をしてて、
たぶん叔父さんたちも車が好きだったんだろうけど現実に折り合いを強制させられたのかな……って思ってしまいました。

 去年放送の16bitセンセーションAnother Layerなんて死ぬほど身につまされすぎてテトリスになっちゃいましたもんね。
「オタクの街は池袋になって秋葉原は住宅街になった」とかさぁ……確かに池袋アニメイトのクソデカ売り場に対して秋葉原アニメイトのあのクソカスみたいな売り場動線や陳列をお出しされてるから反論材料が一つ少ない……

2,オタクとは、他人が存在することを前提にするものである

 でもだからこそ、自分が正しいと思うオタク像を示していかなければ。「先輩に色々教えてもらったりしたぶん、後輩にいろいろ面白い経験をさせて循環をつなぐのが一番の恩返しだ」というバトンを、
「オタクの道に近道なし。好きなものは好きだから好きと言え、通ぶるために苦言を呈すとか野暮なことこの上ない」という(少なくともぼくにとっての)正道を繋げなきゃならないんですよね。

 ぼくがそう考えるのは「趣味に年齢も人種も学歴も性別も関係ない」と非常に強固に思っているからなのかもしれません。
オタクやっていれば、自分より年下なのに自分より遥かにレベルが高い人間に出くわすこともあります。「コンテンツを0から作り出してる」人の存在は言わずもがなですね。

 ぼくにとってはオタク趣味は「『自分にはない才能を持った他人』は存在することを暗黙の前提としている世界」です。
「異才が存在する」ことは覆しようがない前提である、即ちオタク趣味というのは他人の存在を前提とする以上、趣味の世界には年齢も性別も何も関係ありません。
異才の存在は覆しようがないのだから、通ぶるために批判や逆張りをして自分の❝世界ランク的なもの❞を高く見せようとするのはこれ以上なくダサい行為なので、過ちが骨身に染みるまでいくらでも懲罰する必要があります。
「人種としてのオタク」が減って「属性としてのライトなオタク」、「オタクを名乗る資格がないアホタレ」が増えていく中で、こういうオールドタイプなオタクの灯を途絶えさせたくないのです、少なくともぼくの目が黒いうちは。

3,旗を掲げるときに肝要なのは、やせ我慢である

 逆に言えばぼくはオタクとして生きオタクとして死ぬことしかできないとも言いますけど。
もちろん、そうは言いながら本当にどうしようもなく、我に返らざるを得ないくらい現実を叩きつけられた時、現実に屈服せざるを得なくなるかもしれません。
でもその瞬間が訪れるまでは「オタクは伊達と酔狂に生き伊達と酔狂に死ぬ」と言い続け、またそのように生きることはできますよね。

――福沢諭吉は「近代化の達成には国家の側にも民衆の側にもやせ我慢が必要である」と説きました(瘠我慢の説)。

欧州にて和蘭、白耳義のごとき小国が、仏独の間に介在して小政府を維持するよりも、大国に合併するこそ安楽なるべけれども、なおその独立を張て動かざるは小国の瘠我慢にして、我慢能く国の栄誉を保つものというべし。

福沢諭吉「瘠我慢の説」<https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46826_24771.html>

また古来士風の美をいえば三河武士の右に出る者はあるべからず、その人々について品評すれば、文に武に智に勇におのおの長ずるところを殊にすれども、戦国割拠の時に当りて徳川の旗下に属し、能く自他の分を明にして二念あることなく、理にも非にもただ徳川家の主公あるを知て他を見ず、いかなる非運に際して辛苦を嘗るもかつて落胆することなく、家のため主公のためとあれば必敗必死を眼前に見てなお勇進するの一事は、三河武士全体の特色、徳川家の家風なるがごとし

同上

 福沢は勝海舟(と、論理一貫性のために榎本武揚)をボコボコに批判するために「やせ我慢の説」を掲げてこのように述べていますが、やせ我慢が大事であるということそのものの部分は一定の読み替えを行えば今でも有用だと思っています。

 人間いつか、誰かにとっての先輩になってしまう訳で、後輩を善導するためには自らも戦列に立ち、旗印を掲げて「善き方」への道を示す必要があります。
思想の旗印を掲げる時、どうしてもやせ我慢が必要になるフェーズがあるのです。それは金銭的な不利益だったり、社交上の不利益だったりするかもしれませんが、
その不利益のうちのある程度までをやせ我慢して甘受しなければ、そこに説得力は生まれません。
「伊達と酔狂に生き伊達と酔狂に死ぬと言い続け、大事な局面でも本当に伊達と酔狂を選んで死ぬ」のが本当の本当に高潔で偉大な傑物であるとして、
「不利益をやせ我慢してきたが、限界を超えてしまったが故に折れざるを得なかった」人と「僅かにでも不利益を被りそうならすぐに言を左右にしてきた」人、
大事な局面で折れるという事象は同じだとして、どちらがより高潔に近い・信頼に値する人物ですか?道理を通そうとすらしない人物は信じるに値しないのは問うまでもないことですよね。

4,斯くてぼくは、異才を求めるのである

 そしてだからこそ、ぼくはコミュ障のくせに「異才」に会いたいと欲しているのでしょう。
どれくらいコミュ障かっていうと、一度ドイツ史学会がぼくの行動範囲の中で開かれたので懇親会まで参加したことがありますが、5000円も参加費を払ったのに、誰かに話しかけられて「話していいモード」になるまで、誰とも一言も話せず
『いやー来たのマジで間違いだったねー、参加者全員修士課程受講中以上じゃん。学士卒でしかもドイツ軍のことが好きなオタクが来ていい場所じゃなかったよ』
になって「所謂借りてきた猫」の10倍は大人しくなってたくらいにはコミュ障です。
 でも異才に会いたい。この場合の「異才」とは、一番広く取れば『自分が持ってない知識を持っている人』くらいの意味でもいいです。
 なんで異才に会いたいのか?
ジョジョの奇妙な冒険を読んだことがあるので質問に質問で返してはいけないのは知っているのですが、「品揃えがめっちゃいい本屋に入ったとき、ここに住みてぇと思ったことはありますか」?
そういう本屋って、「自分の興味分野だけど金がなくいまは手が出せない本」以外にも『いまの興味分野ではないけど、バチクソに知識欲を刺激してくる本』もあるじゃないですか。
 それと概ね同じです。自分と同じ興味分野だけど見ているものが違う人・自分よりもっと深い知識を持っている人。自分とは違う興味分野に造詣が深い人。
そういう人と出会い、交流し、その知識を授けてもらい、交換し、それを通じて場合によっては今の興味分野に対する違う視点を獲得し立体的に捉えられるようになることで――これは陳腐な物言いですが、全知に近づけるじゃないですか。
ぼくが「死ぬべき時に死ね、自重しろジジイ」とか言われながらもそれでも現役大学生ミリオタという異才見込みとの交流接点を保持し続けようとするのも、
「趣味に年齢はない以上、少なくとも名目上は完全に対等である。対等な人間と純粋なる知識の貿易、ないし知識による闘争をすることが何故いけない?」
「ぼく程度の吹けば飛ぶ木っ端にすら完全に打ち負かされ何も言えなくなるような❝オタク❞がいるとすれば、そいつがどうやってオタクの世界の中で生きていくんだね?えぇ?君が無菌室で培養するとでも言うのかね?」
という、対等・知識欲交流主義の旗を掲げているからでありましょう。

5,勝てなくても、負けないことは理論上可能である

 そして、ぼくは概念的に全知を求めるが故に、貴重な貴重な青春時代の一部を掲示板に食われてしまったが故に、知識による闘争で負けたくありません。その意味で前回記事は、いくら相手側に有利な論理構成、有利なフィールドであったとしても切歯扼腕でした。

 江湖に言いますもんね、「戦術的勝利をいくら並べても1回の戦略的勝利に如かず」と。
でもぼくはこれには別解があると思うんですよ。「戦術的勝利をいくら並べても戦略的勝利に勝つことはできないが、負けなくすることまではできる」のだと。
じゃんけんで言えば戦略的勝利がパーである時、戦術的勝利側にはチョキを出す権利が与えられないとしても、なんでバカ正直にグーを出さなきゃいけないんですか?こっちもパーにすればあいこじゃないですか。
 図で書きますか。例えば、このような状況があるとしますね。青軍が前進したら赤軍がこれを金床戦術めいて包囲せんとする機動を取ったと。まあ、青軍がどう考えても戦略的に不利なのは一般論から言って間違いありませんわね。

 ではこの時、青軍が四方八方に向けてロケット砲弾をめちゃくちゃな数撃ち込んできたら、赤軍のあなたはどう決心しますか?
1万発。1億発。1兆発撃ち込まれたらどうしますか?
ぼくは本当に心底極端な表現が大好きなので今から本っっっっっっ……………当に極端にも程がある表現を今から使いますね、
1不可説転(10の9304595970494411110326649421962412032乗)発。
1不可説不可説(10の18609191940988822220653298843924824064乗)発。
1不可説不可説転(10の37218383881977644441306597687849648128乗)発撃ち込まれたらどうしますか?

 今「それだけ撃つのにどれだけ時間がかかると思ってるんだ、航空攻撃で撃滅するだけだわ」と思いましたか?今そういう話をしてんじゃないんだよ。
これだけロケット砲弾ブチ込まれて生じるであろう被害と混乱は、1部隊の包囲撃滅で釣り合うと思うかどうか聞いてんだよ。

 
あと、Diplomacyにおける経験としてもそうです。戦略的思考ができるプレイヤーは、Diplomacyを外交ゲームだと考えて絵図を書き、それを実現するために動こうとします。
そこにあってぼくが「こう動くとここが取れるって電波が降ってきたからお前と戦争するね」と言ってぶん殴ったり、
「クラウゼヴィッツに曰く戦争とは外交の延長であると。だからこうして軍隊という名の外交官を派遣してるんだよ?」として外交提案を拒絶したりして、
何度も相手の絵図を破壊し、純粋な戦術的戦争に引きずり込んで「戦術的視野だけで」勝ちを得たこともあります。
 「戦術で戦略とあいこになることはできる」経験の最たる例が、属国だと思っていた赤(ローマ)に裏切られ、水色のぼくは事実上世界全部を敵に回したときです。

 ぼくはローマにこう告げました。
「そちらが陸軍をGaulに動かすのも完璧に予測した通りだ、既に実質全世界が敵になり、計算してみたが一手足りないから貴国に対してすら戦術的優位もない。
ぼくが貴国なら今後軍隊をこのように動かす、そしてぼくはその動きを防ぎたくても確率半々の賭けをやらねばならず、これに負けた瞬間に我が国は崩れるだろう、そこまで読んだ。
よって、たかだか世界を敵に回した程度で和平を乞うのは潔くない。かかってこい。相手になってやる」
次のターン、ローマは

 元鞘に収まりました。
この時点でのぼくは「この通りに動けばぼくは負けるのが分かったと宣告しただけなのに圧倒的優位を投げ捨てるのか、馬鹿だなあ」と思っていましたが、
今の時点のぼくが俯瞰的にーー赤の立場から見れば絶望だったでしょうね。「黄色や緑を抑えてやるからどこかをよこせ、さもなくば攻め込むぞ」と思って譲歩させようとしたら、
「よって、たかだか世界を敵に回した程度で~」と接続詞を間違えた返答が帰ってきたのです。
もし水色との賭けに負けてターンを無駄にして、かつ黄色が紫を先に平らげてしまったら、水色ごと黄色に食われることを意味するのですから。
ぼくとしては純粋に戦術次元で考えただけなのに、戦略次元の方が折れることってあるんですね、稀に。

 だから、ぼくは前回記事では「えっなに?独軍自走砲開発史について何ら検討することなく議論を進めようとしてるの?正しい前提を踏まえずに正しい結論が導き出せるとでも?」
と徹底抗戦して、相手がじれて話を変えるまで戦術レベルで押し込むべきだったのかもしれません。口惜しいですね。でもそれって、なんか陰謀論とか新興宗教とかの絶対負けない無敵論法みたいって思っちゃうかも……

6,ぼくは、なりたいものがある

 全知に近づきたい。正しいと思う道を貫き通せる人間のままでありたい。
思想の旗を高々と掲げ、それについてくる人が一人だけでもいる人間でありたい。
でもぼくは結局、ある意味ですけど……「伝説になりたい」のかもしれません。どれだけ狭い界隈の中であったとしても。
ぼくが伝説の域にまで達した人間であれば、その狭い界隈の中から大成功した人間が出たとして、その人に這いつくばって情けを乞えば、
「チッ……はぁ~~~~~~~(クソデカギガスケールジャンボため息)仕方ねえな」と何らかの慈悲を垂れてくれるかもしれないじゃないですか。


というか、ぼくはもうここから自力だけで人生立て直せる順当な見込みがないよ……

Q(急)

1,我、手がかりを得たり

 だから伝説になりたい……って、思ってたんですよ。今週の火曜までは。

時々、ぼくは「テキストを読みたい」という衝動に駆られることがあります。
前回これが来た時に選んだのはエロゲーのテキストでした。エロゲーが一種のビジュアルノベルであることは言うまでもないことですが、「関係性がどのように構築されどのように変化していくか」というのを読むために突如としておとボクをやっていました。

 今回はソシャゲのストーリーでした。この衝動のために、突如として「ウマ娘プリティーダービー」のメインストーリーや「学園アイドルマスター」のストーリーに触れました。
学園アイドルマスターの花海咲季というアイドルの「絶対に負けたくない!」という気持ち、分かるなぁ刺さるなぁ、ヒリつく勝負で勝ち切るために悪あがきし続けるみたいなの強いなぁというのも強く刺さったのですが、
「エウレーカ!」と叫びそうになったのはウマ娘プリティーダービーのメインストーリー第2章でした。

 「レースを通じて夢や憧れを、誰かに伝えられたらいいな」みたいなことをストーリー後半部分で言っていて、自分の求めていたものが示されたような電撃が走りました。「ビッテンフェルト、もといラインクラフトの言やよし!!!!!!!」と叫びそうになりました。
『ガルパン劇場版の頃の時点で「オレンジペコって実質ダジみほの子供じゃん。ガルパンという物語が続いていくなら、大洗女子隊長澤梓の宿敵は聖グロリアーナのオレンジペコになる」という電波を受信し、
そして最終章第4話で概ねぼくが思った通りの展開になって欣喜雀躍したという経験だって、これとの共通項があるから受信することが可能になった電波であるはずだ!因数分解すれば答えがある!』という、すべてが一本の線で繋がった音がしました。

―――――

2,我、悟れり

 今からメタルギアソリッド2プラント編みたいなことを言いますけど、
ぼくの祖父母→ぼくの母からの直系の血筋は、ぼくの妹が残すでしょう。
では翻って、もうもはや結婚できないであろうぼくは、何を残せばいいのですか?
ぼくが存在していたという事実、ぼくの思想や蓄積した情報、集めたコレクション、それらぼくが大事にしてきたもの、それを形にしたもの、それこそが『「ぼくという存在」の直系の血筋』なんですよ!

ウマ娘のストーリー第2章を読んでよかった、ぼくはついに意味がわかったのです。

ソリダスの言っていた意味が!!

歴史のイントロンにはなりたくない、
いつまでも記憶の中のエクソンでありたい。
それが私の「子を成す」ということだ!

メタルギアソリッド2サンズ・オブ・リバティ プラント編フェデラルホールでの決戦の場面より

そう!!確かにそうだった!!!!!
「知人1人2人の中だけでもいいから伝説になりたい」?
「オタクというものが増えて、減って、摩耗していく中で『人種としてのオタク』を誰かが体現し、伝え続けなければならない」?

甘えるな!もっと明瞭に言語化しろ!

根源まで突き詰めればぼくはソリダスだったんじゃないのか!?
「ぼくという存在全部を筆にして生き様を表現する」というのは、
「『ぼくが正しいと信じるオタク像』を誰かが継いでくれれば嬉しい」というのは、
ぼくの記憶や存在を焼き印として、爪痕として他人に刻み込むということは!
「半端な覚悟でぼくの前に存在しているならそれを後悔させ心をバキ折るだけの、情報量のロケット砲弾幕を撃ち込む」ことを是としているのは!

それが『ぼくの「子を成す」ということ』なんじゃないのか!!
だからこそ抗うんじゃないのか!!
「もうそれはn年前よ」なんて言われることに、「時代は変わったんだ、オタク精神論やめろジジイ」と言われることに!
「『趣味の世界には年齢も性別もない』、『オタクはそのようにしか生きられないのだから属性じゃない。人種だ』という、ぼくが正しいと信じることに横槍を入れられる」ことに!!

ぼくはソリダス・スネークだったッ!!!

ぼくはこの不完全な肉の器か、『いまのこの精神』のどちらかが擦り切れてなくなるまで❝自分であり続け❞たい!
自分であり続けることによって、「誰かにとっての道標」に、「誰かにとって並び立ち、いずれ超えるための目標」に、「誰かの人生に極めて大きな影響を与えた人間」になる!
まさしく――

「ぼくの直系の文化的遺伝子」の父祖(イデオロギーの旗手)になるのだ!

死とはなんでしょう。
生物学的な死とは、「克服されなければならないのに、やれ生命倫理が~とか、神の領分をどうたらこうたら~、みたいに言って何故か克服反対の立場を取る人が一定数いる病」であり、
概念的・寓意的な死とは即ち「忘却」であり、
「生物学的な死」を「概念的・寓意的な死」で表現するとすれば、それは「自分自身のことを、自分自身の体の動かし方すらも忘却してしまうこと」でありましょう。
だからこそ、人間は生物学的な意味で命のバトンをつなぐ、何かを作る、記録を残す等という行為によってたとえ「生物学的な死」からは逃れること叶わずとも「寓意的な死」からは逃れる、これが生命の根源的欲求なのでありましょう。

 だから、なりたい自分とは「生物学的な意味での命のバトン」を繋げずとも、「文化的な意味での命のバトン」をつなげるような人間です。

 そしてそうである以上、そう他人に思わせるだけの❝強さ❞が欲しい、強くあらねばならないと思っています。

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