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自分にとっての王道とは何か?

人生というものは、常に不確かでぼんやりとした霧の中を歩いているようなものだ。
誰もがそれぞれにとっての「王道」を持っているのかもしれないが、
私にとってはこの問いがいつも心のどこかで引っかかっていた。
それはもしかすると、
他人にとっての「邪道」である
可能性も含んでいるからだ。

若い頃というのは、
未来が無限に広がっているように見えるものだ。その無限の選択肢の中で、
自分にとっての「王道」などというものを
深く考える余裕は、正直なかった。
ただ面白いか、面白くないか、
それだけで動いていたのだ。
深く考える暇もなく、
次から次へと押し寄せてくる
新しい出来事に追われて、
振り返る時間など必要ともしていなかった。
それはまるで嵐の中で風に押され、
ただ前へ進むしかないような感覚だった。

振り返ってみれば、
その瞬間瞬間で選んだ道こそが、
私にとっての「王道」だったのかもしれない。
しかし「王道」とは、
多くの人が想像するような、
安定した、確かな道ではない。
私にとってのそれは、常に曲がりくねり
暗闇に覆われて、
どこへ向かっているのかさえ分からない。
けれどその不確実さこそが私にとっての
真の「王道」だったのだ。

ただ、ここで気づくのは
私にとっての「王道」が、
他人にとっては「邪道」であるかもしれないということだ。
他者の目には、
私の選択が迷い、失敗、
あるいは無謀に映るかもしれない。
それでも私はその道を選び続けた。
時には、嘲笑や非難の声もあっただろうが、
それでも自分の道を進む以外、
方法がなかったのだ。

人生の「王道」とは、
誰にとっても一つの正解があるわけではない。
多くの選択と挑戦を重ねる中で、
見出されるものだ。
たとえそれが「邪道」に見えたとしても、
その道を選び抜くことが、
自分にとっての真実であるならば、
それでよいのではないか。
もしかするとその答えに気づくのは、
人生の最後になってからかもしれないが、
それでも今の私は、
この道が自分の「王道」だと信じている。

やがてどんな道を選んでも、
必ず立ち止まり自分と向き合わなければならない瞬間が訪れる。
その時過去の成功体験や
慣れ親しんだ価値観に逃げ込み、
同じ道を辿ろうとしていないか。
思考を止めていないか。
今の自分にとって本当に最善の選択をしているか。そう自問することで再び自分の道を見直し、新たな視点を得ることができるのだ。
そういったことは走っている最中自分では見えにくいものでもある。
だからこそ問いかけることでその判断自体に
向き合うことが大切である。

「自分にとっての王道」が他人にとっては「邪道」であるとしても、
他者の評価に揺さぶられることなく、
ただ自分の信じる道を選び続ける。
それこそが真に強く生きるということではないだろうか。過去の栄光や既存の価値観に縛られることなく常に「今」を見つめ、
最善の選択をし続ける姿勢こそが、
私にとっての「王道」だ。

その道がどこへ繋がるのか、
最終的なゴールは誰にも分からない。
だからこそ私はこれからも迷い、悩み、そして選び続けていきたい。
それが自分にとっての王道であると、
信じてやまないのだ。

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