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拝啓、いつかの私へ #8

ビルから出て、陽向は最寄り駅から帰りの電車に乗る。改札にICカードをかざす手は震えていた。
恐怖とも怒りとも悲しみとも形容しがたい感情が、陽向の中で渦巻いていた。

「あの俳優結婚したらしいよ」
「またこのYouTuber炎上してるよ」
「おばぁちゃん良かったらこの席座ってください」
「お出口は右側です。開くドアにご注意ください。」
いつもは雑音として捉えていた周囲の音が、なぜか今日に限ってとても明瞭に聞こえる。
絶望に打ちのめされた自分とは対照的に、いつもと変わらずに繰り広げられている日常がなんだかとても憎く思えた。

気づいたら、陽向は知らない駅で降りていた。
視線はずっと下を向いていた。
目線の先に見える駅の床は、自宅の最寄り駅のソレと何も変わらなかった。
規則的に並べられた点字ブロックが1箇所だけ剥がれ、黒い下地が剥き出しになっている。

駅から外に出ると、都心とは大きくかけ離れた田舎の風景が広がっていた。
近くの丘の上に大きな公園があり、陽向は何も考えずにその公園に向かう。
公園の近くには廃れた駐車場があり、どれだけの期間放置されたのかも分からないほどボロボロになった車が2台ほど止まっていた。

公園は雑草が伸び放題になっていた。
久しく忘れていた公園の砂利の上を歩く感覚が、陽向に幼少期の記憶を辿らせた。



小学校に入学したばかりの頃
陽向は7歳の誕生日を迎えていた。

その年の誕生日はちょうど土曜日だったので、朝からお父さんとお母さんとお出かけをすることになっていた。
地元から県をいくつも跨ぐ旅行をするのは陽向にとって初めての経験で、とてもわくわくしていた。

午前中は日差しが強かったので室内で過ごそうということになり、その県の都市部にある水族館に行くことになった。
どの魚を見ても「ニモいるよ!」としか言わない陽向を見て、お父さんもお母さんも笑っていた。
シロナガスクジラの模型を見て、あまりの大きさに怖くなって泣いてしまうこともあった。すぐにお父さんが抱きかかえて、「大丈夫大丈夫。あれは優しいお魚さんだからね。」とあやしてくれた。
ご機嫌ななめになった陽向のほっぺをぷにぷにして、お母さんは「ひなちゃん、アイス食べよっか」と誘った。
水中トンネルをお父さんとお母さんの手を握って歩き、その先の売店で大きなソフトクリームを買ってもらった。アイスを大事そうに両手で持つ陽向と横で微笑むお母さんを、お父さんは嬉しそうに写真に撮っていた。
「ひなちゃんは本当にアイスが好きだなぁ」
「幼稚園の頃に風邪ひいて、その時に食べさせてからずっとなのよ」
「そうかそうか。ひなちゃんにもっとたくさん美味しいアイス食べさせてあげれるように、お父さんもお仕事頑張んないとなぁ!」
お父さんとお母さんは嬉しそうにそんな会話をしていた。

夕方になると日差しも和らいだので、大きな自然公園に行くことになった。
都市部から電車で何駅も過ぎた所にある田舎の駅で降り、陽向はまたお父さんとお母さんの手を取って夕陽の道をゆっくりと歩いた。



私はこの公園に来たことがあった。

忘れていた記憶ではない。
何よりも大切にしていたからこそ、ずっと奥深くに大切にしまっていた記憶だ。

私はずっと下に向けていた視線を、ふと頭上に向けた。
綺麗な星空だ。

母が私の手を取って走った日の夜
母が向こう側へ行ってしまった日の夜
お父さんとお母さんと私の3人で空を見上げた日の夜

同じ星空だった


空を眺めていると、流星群が光った。
こと座流星群だ。
あの日この公園に来たのも、お父さんが陽向にこの流星群を見せたかったからだ。

「あれってなんで光るの?」幼い私の質問に父は「あれはお星様が空気と擦れて光ってるんだよ」と答える。
「光ったあとはどうなるの?」
「お星様は光った後は死んじゃうんだ。」
「おほしさま死んじゃうの?」
「うん。形あるものはいつかは終わってしまうんだ。少し悲しいお話かもしれない。でもね、命が尽きる瞬間に強い光を放つ、そんな流れ星がお父さんは大好きなんだ。」
今のひなちゃんにはよく分からないかもしれないけどね、と父は付け加えた。

あの頃は結局、流星が光る仕組みも父が言っていたことの意味もよく分からなかった。
けれど今なら分かる。

人類が滅んだ後、管理ができなくなった人工衛星が世界中に落ちてくる。それはまるで流星群のように見えるらしい。
きっと、形あるものは滅びる瞬間に最も輝くのかもしれない。

私も、命が尽きる瞬間に強い光を放てるかもしれない。その光が誰かを照らすことができれば、私は最後に幸せになれるかもしれない。

「また3人で暮らそう。」
「また3人でここへ来よう。」

陽向はそう呟き、公園を後にした。



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