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忙しい人のための東洋医学概論【概説】
シリーズ忙しい人のための東洋医学概論です。今回は概説になります。
※シリーズ「忙しい人のための」はすべてが雑です。なぜなら私も忙しいからです。
ポイント
●歴史部分はあまり国試に出ない。学校の模試は別だけど。
●金元四大家は覚えておいたほうが良い。
●思想は「東洋医学の見方」であり、念頭に置きながら学習すると理解がしやすい。たまに国試にも出る。
もっと忙しい人は一気に飛ばして金元四大家と思想などの確認をオススメします。
(1)東洋医学の歴史
東洋医学といっても様々です。広義の東洋医学には中国伝統医学やアーユルヴェーダ、ユナニ医学などが含まれており、東洋医学概論はこのうちの狭義の東洋医学、つまり中国伝統医学のことを指しています。
書店で「東洋医学」と書いてある書籍を手にとると何だか思っていたものと違う…という私のような経験をされた方は、「中医学」と書いてあるものを選んでみてください。
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当時の中国大陸は今のような形ではありませんでしたが、大陸なので東西南北によって環境が異なり、それにあわせた治療法がありました。
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東は気候が温和で塩分の多い魚をよく食していました。そのため内熱を産生しやすく、その熱により血を損傷することが多く皮膚が荒れたとされています。そこで『砭石』という尖った石で皮膚のできものを傷つけ、膿を出すなどしていたようです。
西は砂漠のような乾燥した地域で動物の肉をよく食していました。そのため内臓疾患が多く、『薬草』による治療を行っていました。
南は暖かく常夏のような気候で、筋痙攣や手足の麻痺が多かったとされています。そこでは『鍼』による治療が盛んだったようです。
北は遊牧生活を送る方が多く、乳製品を多く摂取していました。その影響からか腹部が張るといった症状が多く、『灸』による治療をしていました。
そしてその中央部では物産が豊富で、あまり動かなくとも容易に食べ物などが手に入ったとされています。四肢が冷えたり、逆に火照りの訴えから『気功・導引・按摩』といった今で言う運動療法に近い治療をしていました。
「よく食していました」とか「治療をしていました」とか言うてますけど、私自身よく分かりません。ちなみにアイコンは適当に置いています。ただその地域に合わせた治療法がそれぞれあったんだねくらいに理解していただければ大丈夫です。
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これらが東洋医学としてまとめて日本に渡ってきました。
諸説ありますがだいたい西暦500年頃とされています。
日本に入ってからは鎖国などを経て、日本独自の発展を遂げたとする書籍もありますが、この辺りは詳しい先生に聞いてみてください。私はよく分かりません。
(2)金元四大家
中国の年表をどこからか調べてもってきていただいて、そこをみると「金」「元」という時代があります。Wikipediaで調べると1115年〜1368年っぽいです。この時代に「医学理論の再構築しようぜ!」という話になり、金元四大家という学派が生まれました。
①劉 完素(りゅうかんそ)
病の発病や転帰には熱が絡んでる!だったら寒涼薬を用いるべきだ!という寒涼派の代表です。
②張 従正(ちょうじゅうせい)
病は攻撃的な汗法・吐法・下法でボコせ!という攻下派です。
この2つは劉張医学といわれ、瀉法を重視しているのが特徴的です。
汗法は汗で病を出す、吐法は吐いて病を出すというものです。個人的にこの劉張の2名はヤンキーでオラオラなイメージで記憶しました。強めです。
③李 杲(りこう)
脾胃を優しく補いましょう…という補土派です。
④朱 震亨(しゅしんこう)
陰を優しく補いましょう…という養陰派です。
この2つは李朱医学といわれ、補法を重視しています。
①②の劉張は瀉法重視でしたが、③④の李朱は補法を重視しています。アメとムチ的な。
で、まだ国家試験や模試などでそこまで頻繁に出題はされていませんが、それぞれ代表的な著書があります。劉完素は『素問玄機原病式』、張従正は『儒門事親』、李杲は『脾胃論』、朱震亨は『格致余論』です。ここも余裕があれば覚えておくと良いと思います。私の卒業した学校の模試では一応ここも出題範囲だったので呪文のように唱えていましたが、格致余論(かくちよろん)が結構気持ち良かったです。
(3)思想など
東洋医学概論を学ぶうえで、「そもそも中医学ではどういったように人体を見ているのか」の理解が重要です。んなわけねぇだろと受け入れられないものもあるかもしれませんが、否定しまくると一気に受け付けなくなるので、なんとなく「はーん。なるほどねぇ。へぇーえへえへ」といった具合に受け止めると良いと思います。
①整体概念
「人は自然と関わり合いながら生活してるし、自然って人体に生理的にも病理的にも影響してるよね。これもう人と自然は統一体っしょ。」
「人体ってバラバラじゃなくてつながりを持った一つの有機体やねん。組織や器官も互いに影響し合ったり作用し合って生命活動を維持してるんやな。」
というものです。
これはなんとなく理解できると思います。気圧が下がると頭が痛くなったり、風が強く吹いているだけでなんだか具合悪いとかもありますよね。あっちの痛みがこっちに影響しているとかも。
②治未病と養生
未病はまだ病気ではないが、健康の程度が低くなれば病気になりますよというものです。これを東洋医学の一元的健康観として、すべて連続的なものなんですよといっています。(現代医学の二元的健康観とは異なる)
東洋医学では治未病。つまり「未病を治す」という意味で、病となる前に防ぐために養生が必要だとしています。
養生は生命を養うこと、健康増進を図ることとしています。具体的には食べ過ぎるな!適度に身体を動かせ!SEXばかりするな!などです。余計なお世話やねんと感じるかもしれませんが、まぁ確かに何事も度が過ぎてはいけないなと感じますね。
③天人合一思想
これは先程の整体観にもつながる部分ですが、人体の形や機能が天地自然(自然環境)と相応していることや、人と自然は一つということを意味したものです。
さらには天や地を大自然(大宇宙)と考え、人体を小自然(小宇宙)としてとらえています。どちらも内も外も同じ自然(宇宙)ですよというものです。
私の東洋医学概論の学習はまずこの天人合一思想から始まりましたが、当時24歳の脳みそでは処理しきれないパワーワードすぎて一気に東洋医学との距離が広がりました。ええ?宇宙?はぁ?ってマジで言葉に出ていた気がします。今となっちゃ分からなくもないんですが、まだ心の準備ができていないときにこの辺りから入るとキツイですね。
以上です。お忙しいなかお読みいただき、ありがとうございました。
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