見出し画像

オランダのもったいない精神

外国語を話していると、訳しにくい・または訳せない日本語に出会うことがある。「もったいない」という言葉はその一つであり、一応「無駄になる・役に立たない」というような言葉で代用した定訳はあるものの、やっぱり日本語の「もったいない」とはどこか違うように思う。もったいない(勿体無い)という言葉にはどこか「恐れ多い」とか「神仏」を連想させるような超越した感覚があり、己とは関係なく限りある資源を無駄なく使うという意味が込められているように思う。英語でMottainaiというWikipediaページができているぐらいなのでおそらく、もったいないという概念は訳すことのできない日本固有のものなのかもしれない。しかしもったいない精神が日本人にしか理解できないというものではないようで、環境問題の分野をはじめとしてMottainaiという価値観は世界に浸透しているようだ。特にヨーロッパでは気候変動や環境問題に意識の高い人々が多いので、日常の意思決定において「もったいない」を意識することが多くなった。

オランダに住み始めて初めて知ったキッチン器具の中にFlessenlikker(フレッセンリカー)というものがある。何に使うのかというと、ヨーグルトやカスタードのようなとろみのある液体の残りを紙パックやボトルから取り除いたり、ジャムの瓶に残った最後のジャムをこすったりするのに使う細長い持ち手に半円形の先がついた器具である。半円の部分で丸いボトルの側面を、直線の部分で紙パックなどの側面を拭うのに使える優れものである。オランダでは一家に一つというほどではないらしいが、まぁまぁ持っている家庭も多い。一応オランダ以外にもあるらしいのだが、他の国ではまあまず見かけることはないだろう。

Flessenlikker(フレッセンリカー)。文字通りは瓶 (fles) を舐めるもの (likker)。
特に長い筒に入ったものが取りやすい

これこそまさにもったいないを体現した素敵な道具だと思い、これに出会った時には感激して日本にも似たような商品はないのだろうか?と思って探したがどうも見当たらない(もしかしたら私の知らない名前で売られている可能性があるが)。いわゆるヘラの機能を果たしているのだが、ヘラは口が狭いボトルには使えないし、オランダのヨーグルトやフラ(プリンのようなカスタードクリームのようなデザート)は縦長の瓶に入っていることもしばしばあるので、これさえあれば最後の最後まですくい出すことができるのである。側面についているものを書き出すと結構な量が取れたりするので、日常のちょっとした嬉しさと快感に繋がる。

日本とオランダは歴史的にも繋がりが長いし、もったいないという精神を共有できているのだろうかと考えてみたが、今のところ私が思うにオランダではモノを大切に思う精神というよりかは、どちらかというとケチの精神であるような気がする。どちらも行動の結果は同じなのだが、前者は自己の都合は関係なく(資源的に)まだ食べれるモノを無駄にしないという考えで、後者は自己の都合で(金銭的に)まだ食べれるモノを無駄にしないという考えのように思う。なぜそう考えたかというと、ヨーロッパでは日本と比べると食べ物(特に食べ残し)を捨てるということはよくあり、あまりそこに対して罪悪感を感じるというような文化ではないからである。

もちろんこれは単なる決めつけであって、正しいかどうかは知る由もなく、そしてどちらが良いとか悪いとかいう話でもない。ただ同じ行動も異なる動機から起こっているのはないかとふと考えさせられた一例であった。いろんな文化の人と関わって生活していると、同じ行動をしているからと言って同じ考えというわけでもなく、また逆も然りで一見異なった行動をしていても同じ考えということがあったりして、なかなか異文化理解は難しい。ここでの「文化」は必ずしも違う国や民族のことを指しているではなく、たとえ同じ日本人でも一人一人違う文化で生きているわけだから、誰かと一緒に生きていかなければならない人間としては誰しもが直面することなのかなと思ったりする。

ヨーロッパは国を跨いでも大体同じような家庭料理を食べているのだから、どの国にもFlessenlikkerがあっても良い気がするのだが、オランダだけに特別広まっているのはやはりこれはオランダ人のケチの象徴なのだろうか。もしオランダに来ることがあれば、Flessenlikkerは意外とオランダっぽい「合理的」なお土産になるかもしれない。