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もやもやして、焦ったくて、身悶える 小説を読むには心の体力がいる

「もやもやして、焦ったくて、身悶える」

これは私の好きな小説や映画に共通するテイストです。
読後感、鑑賞後感が、言葉で言い表せないような感覚。
「なんでこんなことになったんやろ」
「誰が悪かったとか何が悪かったとか、簡単に言われへんやん」
「どうにかできへんかったんかなぁ」
と焦ったく身悶えるような、感覚。
不条理さとか理不尽さとか、救いのなさとか、
それらを感じられるものが、私の大好物に共通する要素。

ドラマシリーズ「クリミナルマインド」のいくつかのエピソード。
「ブラックミラー」のいくつかのエピソード。
映画「チョコレートドーナツ」

そして最高に好きなのが、赤江瀑の小説。

赤江瀑の小説は、もうほんまに、読後感がしんどいです。
文体もはっきり言って、読みにくい。
漢字だらけだし、持って回った言い回しだとか、京言葉とか、役者台詞のような大仰な表現など、読むのもしんどい。読んだ後もしんどい。
自分の顔を飲みで切り裂く能面打ちの青年とか、
自分の生い立ちに疑念を抱き、妄想と現実の境界を見失ってしまう青年や、
祭りの夜の出来事が、その後の人生に大きく影響してしまった人たち、
などなど。
はっきり言って、ハッピーエンドはひとつもない。
だいたいみんな、破滅に向かいます。

私は10代の頃に赤江瀑の小説に出会い、がっつり魅了されました。
なんであの文章を読む気になったのか、あのもやもやと身悶える結末にしんどくなりながらも、ずっと好きで読み続けたのか。
我ながら不思議なんですが、最近思うのは、
「若さと体力があったから」かも、です。

映画もそうですが、見終わった時にずどーんと気分が重くなるものって、気力体力がないと観れないんですよね。
しんどい時はシリアスなものより、お気楽アクションやコメディがいい。
ましてや小説は、自分で文章を読みながら頭のなかで映像を作るという作業があり、受け身なだけでは読めないので、映画を見るよりさらにパワーがいる。
心の体力がないと読めない。
実際、赤江瀑を再読してみると、一日中しんどくなるから。引きずるから。

そんなわけで、頻繁には再読できずにいます。



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