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「誂える」は、特別なことになってしまったのか

少し前、SNSでブランド物の話を見かけた。
どのブランドが人気なのか、
どういう層がそのブランドを使っているのか、などの話だった。

私はいわゆる高級ブランドに興味関心がなく、
欲しいと思ったこともない。
若かりし頃はDCブランド全盛期だったけれど、
お洒落で格好いいと思いはしても、
どうしてもこの服が欲しいとはあまり思えなかった。

お高くて手が出なかったというのもあるのだけど、
私の中には何故か
「洋服は誂えるもの」
というイメージがあったのです。

ウチは決して裕福な家庭じゃなかったよ?
どちらかというと窮していた方。

それでも昭和の高度成長期以前からしばらくの間、
大量生産品が世の中に溢れる前は、
いろんな物が「誂え」「注文」して作ってもらい、
使いながら「修繕」「修理」して、
最終的には別の何か、布は雑巾に、金物は金具などの小物になる。

そんな時代の名残が、子供の私にも染みていたのでしょう。

大量生産の衣服がスーパーで売られるようになった頃、
大人たちは「既製服」とそれらを呼んでいた。
わざわざそう呼ぶほどには、まだ「誂え」が一般的だったのでしょう。

話を冒頭のブランド物論争(?)に戻すと、
富裕層は〇〇ブランドじゃない?なんて話しているのを見ながら、
「誂えやろ」と私は思っておりました。
しかしながら、私の見た範囲では「誂え」「オーダー」という意見が見当たらなかった。

服やバッグ、帽子、靴、アクセサリーなど小物に至るまで、
富裕層は誂えるもんやろ、と私は勝手に思っていたのだが、
「誂える」は、いつの間にか日常では思い浮かばない言葉になってしまったのか。


いや、でも、昨今は
インターネット経由で、作り手さんに直接依頼っていうのも増えてるよね?
あと、和服の世界は今も「誂え」が主流よね。

「誂え」は特別なものでも高価なものでもなく、
愛着を持って扱えて、修繕もできて、
長い目で見れば決して高くはない。

そして(無理やりこじつけると)
病院や市販薬が「既製品」なら、
鍼灸の施術も「誂え」ですね。

「誂え」、いいですよー



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