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人生はゲームだ チャーミングを追求せよ

「この人なんかいいな」と思う時、そこには爽やかさや愛らしさ、そして温かさなど、人として生まれ持つ心が揺さぶられる。

塾でアルバイトをして多くの生徒に接していた頃から、社会人としてたくさんの大人に交流する機会が増えた今でも、変わらない「この人いいな」がある。

それこそがチャーミングさだ。愛嬌というかもしれない

チャーミングであることは、すべての問題を解決する。
それは単に可愛いということではない、チャーミングさには様々な戦略が隠れているのだ。

これまで出会った大人の中で私が真似したいな、と感じた大人がいる。とある金融業界の経営者。初めてお会いした時から元気に目を見て挨拶をしてくださる。

大人が子供をよく観察していると同様に、若者も経営者をよく見ている。
意外と、挨拶ができない大人は多い。挨拶をしない人、目を合わせない人、まるで若手はいないように扱う人…

経営者にとって時間こそが財産であり、忙しい中で打ち合わせなどの時間を捻出しているのは百も承知だ。しかしながら、初めて会う人に挨拶さえできない人は
人としてどうなのかな、と感じるところもある。

意外と、私たちはお互いを観察している。評価するし、評価されている。自戒を込めて気をつけたい。

話を戻す。私が素敵だと感じる社長さんは、まず第一声で心奪われる。
「私はあなたのことも大事に思っていますよ」という表現をすべてで行うからだ。例え若手であろうとも、人として認めています、社会人として一緒に仕事をしましょうね。そんな声が聞こえてくる。

電話で代表から電話がかかってくる時、いつも話しかけてくださる言葉がある
「〇〇さん、お元気ですか?いかがですか?」と。

気にかけてくれる、というのが社交辞令だとしても嬉しい。嬉しい気持ちは忘れない。

所詮、すべてのことは人間社会で発生する出来事だ。仕事も仕事で成果を出すために動くのではない。その先にいる誰かのために力を発揮したい、と感じて仕事はうまく流れていく。

いつの日か、自分がもっと歳を重ねて、肩書きと呼ばれる社会的地位が高くなったとしても、一人ひとりを見て大切に扱うことは忘れない。自分にとって、嬉しかったことは次世代に還元していくことが大事だと強く感じる。

「人の心」を読むのはむずかしい。だが、人の心を喜ばせる、というのは案外近くにある簡単なことから始められるのだ。
そして、チャーミングさはこの「喜ばせたい」という気持ちから生まれるアクションに過ぎない。

赤ちゃんは目の前にいる母親が自分の笑顔に合わせて笑わないとき、とても不安な気持ちになる。一度は大きく笑って、母親ももう一度笑顔になってくれるんじゃないかと試みる。それでも表情が変わらない時、赤ちゃんは泣き出してしまう。

つまり、人は何かの目的に対して与えようとする。赤ちゃんの場合は、母親との信頼関係を育み、生命を維持するための目的のため、笑顔を作り出しているのかもしれない。

そして社会人として仕事を行う私にとっての目的は、仕事を成功させたい、ということではなく依頼者の期待を超えるような嬉しい気持ちをお届けするため、動き続けることである。

必ずそこには誰か、想いを届けたい人がいる。
その想いを届ける上でチャーミングさはとても有効な手立てとなる。

チャーミングさ、可愛さは戦略であり、方法であり、人生を豊かにする目的だ。
今日も誰かのチャーミングさに気づき、学びを深めていきたい。





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