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旅の原点

母親の胎内から産道を通り、光や音、酸素など地球を構成する様々なものと出会うまでが、私が一番初めに経験した「旅」だというのは過言ではありません。実際には覚えているはずありませんが、押し出されたり、引っ張られたり、多くの困難を経験して、この世という新しい世界へ旅してきたのです。しかしこれが旅の原点ではありません。今日お話しするのは、記憶の中に残る一番最初の旅のこと。私の出発点です。

どなたにも初めての旅というのはありますよね。家族で、ご両親と、おばあちゃんと、もしかしたら隣のおじさんと。それは遠くまで出かける旅ではなくて、隣町までの買い物かも知れません。しかし何もかもが新しい発見の子供にとって、それは大きな一歩であり、今いる自分の世界が広がるということです。

私にとっての「初めての旅」は、3歳でした。

父が立教大学・ワンダーフォーゲル部、母は法政大学・山岳部という生粋の山一家で育った私。とにかく父は立教愛が強く、常に誇りを持ち、何かというと大声で校歌を歌うという始末。卒業後もOB会の会長を長きに渡り務め、そして群馬県水上の山奥にワンゲル部の山小屋を設立し、そこにはOB始めその家族そして現役大学生が常に集まっていました。

私も当たり前のように毎年数回にわたり、東京から水上の山奥まで旅をして、山小屋で過ごす生活を送っていました。末っ子で生まれたこともあり、その一番古い記憶が3歳の頃、という訳です。もちろん親と一緒なので、旅と言っても連れて行かれた程度。しかし子供にとっては、見ることやること全てが新しい経験、旅そのものでした。

山小屋に毎年一家総出で行くのは年末のことでした。おそらく当時は東京から鈍行の汽車に乗ったと思いますが、この辺りの記憶はあまりありません。覚えているのは、向かい合わせの直角椅子4人がけの席を陣取り、三兄姉一番下の私は、椅子の間の床に新聞紙を敷き、そこに座らされていたことです。トランプのババ抜きをすると、私の持っているカードは後ろにいる兄や姉に全部見られていて、いっつもビリ。けれどもそんなことにも気づかない幼子ですから、悔しくて悲しくてよく泣いていた記憶があります。

水上の駅に着くと、まず始めに駅前にあるお土産やさんに行きました。そこは古くから地元の方が営んでいるお土産やさんだったと思います。父はいつも嬉しそうにお店のおじさんと話ししていて、私はお饅頭を食べさせてもらうのが楽しみでした。しばらくお店で過ごすと、そこからはバスで山小屋に一番近いバス停まで行きます。

田舎のクネクネ道。小さい私は右へ左へと身体が揺さぶられ、ブオンブオンと排気ガスを出しながら走る陰気なバスの匂いに、あっという間にお腹の中がぐちゃぐちゃです。吐き気と闘う私にとっては、その時間が悪夢のように長くただひたすら過ぎ去るのを待つ嵐のようでした。

小一時間ほどでしょうか。藤原ダムを上流まで上っていくと久保という集落に到着します。悪夢から解き放たれた私は、履いてきたゴム長靴で真新しい雪の上に降り立つと、大喜びではしゃぎ回りました。キンと冷えた空気が身体の隅々まで入り込み、どんよりした顔色が瞬く間輝きを取り戻したものです。

ここでも父は必ずバス停の目の前にあるお店に寄りました。そこは久保酒店という名前だったと思います。お酒好きの父は、たんまりお酒を買い込むのです。

ガラガラーっと戸を開け「おーい、来たよ!」と叫ぶと、いつも奥からおばちゃんが「まぁ、よう来たね」と嬉しそうにツッカケを履き、店先で出迎えてくれました。「あら、一番下の子かい。また大きくなったね」「今回はいつまでかい?」など父との会話が弾んでいるのを横で聞いていると、田舎のおばあちゃんに会ったような気分になっていました。

少し経つと山小屋から現役の学生さんが迎えに来てくれます。彼らはプラスチックでできたソリを持ってきて、私たち家族の荷物を山小屋まで運搬してくれるのです。集落の一番上にある山小屋までは大人の足で一時間くらい歩きます。荷物もあり、子供もいる家族が到着するたびに学生さんが迎えにきてくれるのです。

圧雪されていない雪道をザックザックと歩いていきます。体重をかけるたびに沈む長靴、歩くたびに聞こえる足音、楽しくて楽しくて寒いことなんか忘れてしまいました。けれど、そのうち足が前に進まなくなり、学生のお兄さんが引くソリに乗せてもらうのが私の結末でした。

集落の一番上にある林甚平さんが山小屋の管理人でした。もちろん甚平さんの家にも寄って、父はひとしきり話をします。甚平さんの家からは少し先に、赤い三角形の屋根でできた山小屋が見えます。甚平さんの家からは、雪がもっと深くなりますが、そこからは自分の足で歩かなければなりません。話がそれますが、甚平さんの長男のかっちゃんと私は、「大きくなったら結婚しろ」と言われていました。結末は…想像にお任せします。

朝早く、東京の家を出てクタクタになっていますが、そんな時に山小屋の屋根にかかっている大きな鐘の音が聴こえてきます。リーンゴーン、リーンゴーン。長い旅の終わりを告げる鐘の音でした。

この記憶が私の「旅の原点」です。もちろんこれから滞在をするわけですから、旅は続きます。しかし、到着するまでの遥かなる旅路が、幼い子供にとっては「旅」として完結したのです。

みなさんにとっての「旅の原点」はどんなものでしょう?記憶を引っ張り出すと、新しい発見があるかも知れませんね!





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