コロナはタイムスリッパー

コロナの危機感を感じないのかと若者にフォーカスがあたる中、いやでも外出してる人の8割は若者じゃないけどなぁと疑問を抱く今朝です。
#買い物で久々の外の空気

さて今回はコロナはタイムスリッパーというテーマでお送りいたします。

前置きとして、コロナが収束したら生活が元に戻るという認識は誤っているように感じます。
今までオフラインだった会議もオンラインにせざるを得なくなりました。
今まで安心感の塊であった学校教育もその対応に休む暇がありません。

コロナが収束したとして、賢ければ賢い会社ほどオフライン会議には戻しません。二の矢三の矢を警戒するからです。

さて、一方でこの状況の中、スムーズにオンラインに移行できた企業、学校もあります。
それらの共通点は大きすぎず、小さすぎない「街」であることです。
街の説明は以前にもしましたが、要は「独自に決め事ができる」状態の集団を「街」と呼んでいます。
典型的な例は公立学校と私立学校です。

公立学校、例えば県立学校であれば何かを行いたいとき、県の許可が下りなければそれに取り組むことができません。一方で私立学校は決定権をもつ集団と議案を出す集団が同居しているため比較的スムーズに取り組むことができます。
私立学校は「街」だからこそ、対応が早いのです。

「街」が優位に立ったということは「個」の時代が終わりつつあるということでもあります。

先の例での県立学校は県の傘下にある「個」にすぎません。

企業においても、中小企業のそれぞれは「街」のように思えますが、会議で決まったことを実行する手段(コネ)がほとんどないことから「成長した個」です。

この「街」の関係はまさに縄文時代、弥生時代そのものです。

「個」の時代に限界を迎え、集落として協力して生活する。物々交換によって他の集落どうしで関係を持つ。領地を取るための戦争こそありましたが、協力体制が整っていたことに変わりはありません。

コロナウイルスは令和を生きる僕たちを遥か昔の時代へタイムスリップさせる存在となっています。

コロナ時代、#君たちはどう生きるか

本っっっっっっっっっとうにありがたい限りです。