ニュージェネとニューエイジ 『ウルトラマンオーブ』を中心に
※この記事では『ウルトラマンオーブ』を軸として話が進みますが、未履修勢でも理解できるように書いています。
トプ画はさすらいの太陽、ということで……
ニューエイジ=新霊性文化についてレポートを書く機会があり、その際に書いたものを一部改訂・加筆して取り上げます。
中心となるテーマは「光と闇の調停」です。
はじめに
新霊性運動は一般にニューエイジとして知られる文化運動だが、ここでは「一元論的世界観に基づく自己実現」というテーマに着目する。
新霊性運動の特徴としては
・全てのものはつながっており、一つである(一元論)
・あなたがあなたの現実を作る
・人間には無限の潜在能力がある
という主張が挙げられる。
これらはキリスト教的二元論へのカウンターであり、しばしば「本当の自分を見つける」物語であり、ジョン・レノンの『Imagine』にみられるような理想論的未来指向を含む。
だが一方で、極端な個人主義を助長し、共通善を軽視・毀損する傾向があるとも指摘されてきた。
しかし、ニューエイジ的な一元論的自己実現論の中にも、時代に応じて新たな要素を加えたことで、この問題を克服しうる物語があると感じる。
その証左として、ここでは『ウルトラマンオーブ』における自己実現論を考える。
『オーブ』での自己実現 ガイの場合
挫折 –闇の忌避–
『ウルトラマンオーブ』で描かれるのは、光と闇を二分せず、ホリスティックに調停することによる自己実現である。
それは、ウルトラマンオーブに変身する宇宙人 クレナイ・ガイと、彼のライバルであるジャグラス・ジャグラー、そして彼らと交流する地球人の少女ナターシャと夢野ナオミとの関係において描かれる。
ガイは西暦1908年の地球で少女ナターシャと親交を深めていたが、敵との戦いにおいて自身の力の制御に失敗し、戦いの余波で彼女を喪う。
このトラウマから、ガイは本来の姿であるオーブオリジンへの変身を忌避するようになり、他のウルトラマンの力が内包されたカードを用いなければウルトラマンに変身することができなくなってしまった。
約100年後、ガイは日本でナオミと出逢うが、ある怪獣が彼女を体内に吸収してしまう。怪獣の猛攻の前に一度敗れたガイは、ナオミを救い出すため、強大な力を持つ闇のウルトラマンのカードを使わざるを得なくなる。
だがガイはその闇の力を制御しきれず、怪獣こそ倒したものの周囲を破壊し尽くし、怪獣の体内にいたナオミにまで重傷を負わせてしまう。
このように、ガイは二度も「強大な力を制御できずに周囲に甚大な被害をもたらし、加えて大切な人を傷つけてしまう」という自己実現の失敗に直面する。
自己実現 –闇の受容–
ナオミが搬送された病院にて、ガイは彼女の友人である松戸シンの恩師コフネから、
という言葉を聞く。
そして回復したナオミは、ガイに
と語りかける。
さらにここで、ガイはナターシャが実際には100年前の戦いを生き延びて天寿を全うしており、ナオミこそ彼女が遺した子孫であると気づく。
これらの出来事によって「闇を恐れるのではなく、闇を抱きしめる勇気を持つ」という結論に至ったガイは、「闇を抱いて光となる」ことで闇の力を制御する。
さらに「己を信じる勇気、それが力になる。これが本当の俺だ!」と言い放ち、真の姿オーブオリジンへの回帰を果たす。
このような「自身の闇を忌避して光に縋るも、やはり闇に直面せざるを得なかった男が、闇に染まりかけてもなお彼を信じる者からの愛を受け取り、自身の闇を受容するだけの勇気を手に入れる」という構造には、光と闇を二元論的に対峙させるのではなく、両者を「愛」「勇気」によって調停し、本当の自分を見つけるという新霊性的な自己実現の物語が潜む。
『オーブ』での自己実現 ジャグラーの場合
挫折 –光への執着−
そして、自己実現の契機はガイの宿敵であるジャグラーにも与えられる。
ジャグラーはかつてガイと共に光の戦士として戦っていたが、紆余曲折を経て闇に堕ち、宇宙各地で悪事を働きながらガイに執着するようになる。
物語終盤、ジャグラーはガイがナオミへの愛で強くなることを見抜き、ならばナオミこそが彼の弱点であるはずだとして、ガイが愛するナオミと地球を共に消そうとする。
星の全てを食らう怪獣マガタノオロチを東京に出現させ、これに敗北したガイの前でナオミを人質に取ったジャグラーは、
と語りかける。しかしガイは毅然とした態度で
と反論する。
激昂したジャグラーはナオミを殺そうと脅すも彼女は動じず、そればかりかガイへの感謝を叫ぶ。
ナオミは自身が殺されること(=消えること=闇に帰すこと)に対して恐怖を抱かず、それよりもガイへの想いを優先させた。
これにより、ジャグラーが掲げた主張は破綻してしまう。
自己実現 –光の受容−
その直後、ジャグラーは墜落してきた戦闘機から咄嗟にナオミを庇ってしまう。
彼は100年前にも、ガイの戦闘の余波から同じようにしてナターシャを救い出していた。
これを知ったガイは、ジャグラーを一度殴った上で深く抱きしめ、「ありがとう」と感謝の意を述べる。
「闇に堕ち、数々の罪なき人間を殺めながらも、目の前で失われる弱い者の命を二度も救ってしまう」という深刻な自己矛盾に直面したジャグラーは、「なんなんだよ、何がしてえんだ俺」と呟く。
だが、ナオミからマガタノオロチ討伐という具体的・即時的な目標(自分の闇から生まれた罪を清算する行為とも解釈できる)を与えられついに再起し、オーブと共闘してこれを倒す。
ガイ、ジャグラー、ナターシャ、ナオミという四者関係を「光と闇の調停」という観点からまとめると、以下のようになる。
①闇に堕ちたジャグラーの中に残っていた光がナターシャの命を救い、
②ナターシャの紡いだ命であるナオミがガイに闇を受容する勇気を与え、
③そしてジャグラーもナオミを救ったことで自身のスタンスを崩し、
④ナオミからの激励を受けて再び光の面を取り戻す。
このように、「自身の中の闇を受容した光の戦士」と「自身の中の光を受容した闇の戦士」が手を結ぶという展開には、闇と光の流転/調和による二人の男の自己実現達成が描かれている。
すなわち『ウルトラマンオーブ』とは、「闇と光は単純に切り離せるものではなく、その受容・調停が自己実現に直結する」という極めて新霊性的な要素を含んだ現代の新霊性神話なのである。
『オーブ』の非新霊性的要素:「愛」
『オーブ』における他者と愛
だが同時に、『オーブ』の構造には旧来の新霊性運動と反する要素も見受けられる。
それは、自己実現が個人の内面で終始するのではなく、弱者に対する無償の慈しみ、他者愛によって支えられている点だ。
・闇だけが唯一永遠なのではなく、それは常に光と拮抗し、相対する
・そして、光と闇の調和、光から闇、闇から光への移動には他者への想い=愛が伴う
・だからこそ唯一永遠なのは闇ではなく、愛である
という作品全体を貫く主張に、他者愛の重要性が表れている。
一方、旧来の新霊性運動における他人の存在については以下のような指摘が存在する。
だが『オーブ』における「愛」とは、自己実現のための単なる手段として意識的に選択されるものではなく、しばしば自己実現のために利用する/しないという打算的判断をする暇もないままに目の前の命を助けてしまう、という瞬間的な情動を指す。
見ず知らずの他人であるナターシャや直前まで殺そうとしていたナオミを、自身でも理解のつかないまま咄嗟に助けてしまったジャグラーの行為はそれを象徴するものである。
このように、新霊性運動が助長しうる極端な個人主義ではなく、目の前の他者を思いやる隣人愛の要素を組み込んでいる点で、『オーブ』は非新霊性的であるとも言える。
マクロな不条理とミクロな愛
『オーブ』の他者愛観に関連して、そのミクロ性についても取り上げる。
『オーブ』の構造は宇宙スケールで描かれるマクロ規模の戦いの物語でありながら、根底にはミクロ的な人と人との繋がり、すなわち愛による〈生=前進=光〉の肯定と〈死=消滅=闇〉の受容が描かれている。
このような「解決不能なマクロ的対立・矛盾・不条理に溢れる現世において、ミクロ的な人と人との繋がり(専らそれは愛の形で顕現する)に生きる意味・価値・存在理由を見出す」というテーゼは他のフィクション作品でも主張されてきたものであり、有名どころでは『もののけ姫』などもこれに該当すると考えられる。
以上のような他者愛観に見られるように、『オーブ』の自己実現論はベースこそ新霊性的であるものの、細部においては新霊性運動と異なる点も見受けられる。
終わりに
今回は『ウルトラマンオーブ』における自己実現について、「光と闇の調停」を中心に据え、その新霊性的な部分と非新霊性的な部分とを区分して論じた。
このような、光と闇に対する非二元論的アプローチはニュージェネ全体に見られる(以下はその例)。
本来は同一の存在であったギンガ(光)とルギエル(闇)
光と闇の力を借りた光の戦士 オーブ サンダーブレスター
光と闇の間を往来(たまに迷走)する戦士 ジャグラスジャグラー
父親の闇から生まれるも、血の運命に抗い続ける光の戦士 ジード
「光も闇も等しく無価値」と主張する虚無主義者 トレギア
光であり闇であり人でありウルトラマンである戦士 トリガートゥルース
今回は列挙するのみに留めるが、これらに対しても今後考察を深めたい。
おまけ
オーブとジャグラー関連の過去絵👇
オーブ最終回直前(当時)の心境👇
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