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会話

Twitterでは本当にどうでもいいことしか呟いていない。
というか、それが本来の役割であると最近ようやく気づいた。原点に立ち戻った感がある。

以前は巷の話題で自分が思ったことを赤裸々に引用などして書き残していたが、取っ付きにくい印象を与えかねないと考え断念した。
それでも、時折抑えられずに溢れてしまい、その度にツイ消ししている。実に不甲斐ない。

思えば、1番初めにTwitterを開設したのは中2の頃だった。
周りの友達がアカウントを持っている話を耳にしたので、流れで作ったような記憶がある。そのときは自分でツイートするよりかは、情報収集のような感じだった。
高校に入ってから今までは、主にゲームをしている人との交流がメインである。

当時と今とで変わったことは、やはり目にするツイートの変化が分かりやすい。
昔はといえば、よく見ているYouTuberなどのツイートが流れていたが、最近はバズったツイートがジャンル問わず雑多に流れてくることが多い。
内容は何かへの批評が大半を占めていると感じる。

現実に照らしてみればそういった声は少数であると理解しているが、他人は内心そういった思いを抱えて生きているのかもと想像すると少し不安になる。
他者にどの程度配慮して振る舞えばいいのか分からないというのは、私にとっては死活問題である。世間話をしようにも、地雷を避けながら会話を盛り上がらせるのは難儀である。気心知れた関係であったり、定番の話題を持ち合わせているならば別だがそういう訳でもない。
話題以外にも、文面では言葉選びが、会話では声のトーンや表情などによって与える印象の違いが生じる。(細かい要素を上げるとキリがないので割愛)
生憎だが、デノテーションとコノテーションの塩梅をコントロールするのも不得手である。
人生において会話が上手くいった経験よりかは誤解を与えた記憶が多いので、こういった要素に悩まされた結果、他者との会話が苦痛になり避けるようになってしまった。

とはいえ属するコミュニティによって主題が変わるというだけの話であって、それについてざっくりと分析すれば及第点の会話は出来るだろう。
変数は一定数存在するので、そこを加味して自分が快適に過ごせるコミュニティを探して身を置くのがいちばん良いと思う。
自分のしたい会話を優先するか、迎合するか。
ネット上であれば、それを選ぶことができる。





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