物語食卓の風景・対面③
真友子は、ゴクリと唾を飲み込み、大きく目を見開いて目の前にいる女性を見た。美帆は真剣な顔をしている。さきほどまで絶えず何かを口に入れていたのに、手は止まって、テーブルの下に隠されている。何を考えているのか。表情を読もうとして、いや話す気があるというのだから、聞いたほうがいい、ここは聞くべきだ、と心の声がする。グラスの底に少しだけ残っていたワインを飲み干し、真友子は若干声を震わせながら聞いた。
「そうです。もしかして、美帆さんは角谷と単なるご飯友達ではないのではないか、と思いまして」
「それはつまり男女の関係ってことですよね? はい、そうです」
なんと!悪びれもせず、ストレートに答えられてしまった。美帆さんが一緒だったあの日の航二の笑顔。ふだん私には見せないような楽しそうな様子。やっぱりそうだったのか。でもLINEのあの事務的なやり取りは何。
「実は私、美帆さんと夫のLINEを見ちゃったんです。でも、ひたすらご飯の約束をやり取りしているだけだったので、もしかして、そういう関係ではないかもしれない、と思っていたのですが」
「ああ、LINEね。あれは事務連絡用なので」
「では別の方法では、もっと男女のやり取りになっているんですか?メッセンジャーとか、メールとか」
「その方法はお教えできません。LINEは、そういうこともあるかと思ったので、余計な詮索をされないようにしようって2人で決めました。私が言い出したんですが」
「いつから?」
「LINEですか?」
「ではなくて、2人の男女の関係が」
「どちらかといえば最初の頃ですね。実は最近、もうあまり恋愛関係という感じでもないんです。惰性のようになってしまったこの関係をどうにかしたい、と思っていたところに、真友子さんとお会いすることになったので、そろそろ潮時かなと思っていたんです」
悪びれないどころか、私を利用しようとまで考えていたのか。なんてしたたかな女なんだろう。冷静さを保とうと努力しつつ、切り出す真友子。
「では、美帆さんは夫とそろそろ別れたいと思っていたんですね」
「はい。最初の頃は角谷さんも新しい時代の住宅やキッチンの在り方について一緒に盛り上がっていたんですよね。この人と一緒に事務所でも開けるんじゃないか、ってぐらい意欲的でした。まあ、実際にはいろいろあるので、独立して事務所なんていうのは現実的じゃない。ともかく、刺激的な関係で盛り上がっていました。だから食事の後も盛り上がって……。
でも、角谷さんは、その意欲を会社の仕事に結びつけることに失敗したらしくて、だんだん意欲がなくなってきました。そのあたりから、会ってもご飯を食べておしゃべりするだけで終わるようになってきて、なんとなく茶飲み友達というか、愚痴のハケ口というか。スナックのママさんみたいな役割に私がなってきていて。それか、私が話すのをただ楽しそうに眺めていたりするんですよ。おじいちゃんっぽい感じ、と言ったら失礼ですけど。
私の仕事も、結局はサポートでしかないし、独立してやっていこう、と思えるほど自信もない。何しろ男業界ですから。会社にいればそれなりにお給料ももらえて、海外旅行に行くお金も時間もある。惰性でよくないなと思いながら、勤め続けてきました。気が付けば中年もなっちゃって、今更独立もない。むしろ老後資金を貯めないとまずい、ということにも気づき始めて、ここ数年、実はもう旅行をあまりしていません。
仕事も惰性になっているうえ、角谷さんのそういう煮え切らない態度のせいで、プライベートも惰性になってきていて。ただただ、男に利用されているだけじゃないか、みたいな気持ちに1年ぐらい前からなっていたんですよ。いや、奥さんを前にこんな話ですみません」
「利用って、あなたも夫を利用しているのではないんですか? この前の食事代、当たり前みたいに出してもらっていたでしょう。あなたも付き合ってもらったりしている部分があるんじゃないですか」
「ないとはいいません。でも、もう男女の関係でもないし、角谷さんの話に刺激的要素もないし、結婚しているわけでもないし、スナックのママさんみたいにお金をもらっているわけでもないし。まあおっしゃるように食事代は出してもらっていますけど。
でも、なんとなく私が話をすることで搾取されている感じがあるんですよ。わかります?そういう感じ。私のほうは得るものがもうないのに、角谷さんだけが私と付き合うことで充足している感じがあるんです。セックスがあれば、セックスワーカーみたいな感じなんでしょうけど、話をするにしても、一方的に情報やエネルギーを取られている感じがあって、キャッチボールをしている感覚がなくなっているんです。フェアじゃないというか生産性がないというか。だから最近は、会った後になんだか疲れる、ということが増えていて。自然消滅も狙ったんですが、当たり前みたいに毎週角谷さんからLINEが来る。私もはっきり拒絶できればよかったんですが、なんとなくうれしそうに来られると、それも言いづらくて、何もできないままダラダラとお付き合いを続けてしまっていました。真友子さんにお会いできたところで、これはチャンスだと思ったんです」
「なるほど。搾取。わかるようなわからないような。でも、私は美帆さんの罪悪感の一つもないところが気になります」
「罪悪感はもちろんあります。本当は、真友子さんにこんなことを言うのは筋じゃないのもわかっています。申し訳ないと思います、はい」
「そんなつけたしのように言われても」
「すみません。私、自分のことでいっぱいになっちゃって。でも、奥さんがいるのに誘ってきたのは角谷さんのほうなんですよ」
「それもびっくり。あの人がまさか浮気しているとは」
「だから私は利用されたんです。最初は愛人として。そのうちお金のかからないカウンセラーみたいに。会社でも補助職にしかつけていないし、なんとなくずっと搾取されていることが当たり前みたいになっていたので、セックスがなくなった最初のほうはぼんやりとした違和感だったんですけど、最近、世の中女性の差別についてずいぶんと盛り上がっているじゃないですか。インターネットに流れているいろいろな情報を読んでいるうちに、私ももしかすると、関係性を搾取されている立場なんじゃないかと」
「感化されちゃったんだ」
「感化というか、以前から職場の男女差別には忸怩たる思いがありましたし、女性は損な役回りになることが多いように思っていました。それに、こんなこと私が言うのは変ですけど、この間お聞きした家事のバランスだって、真友子さんは角谷さんに搾取されているんじゃないですか? 家事の負担が大きいことで、できなくなったこともあるんじゃないですか?」
真友子はドキリとした。確かに、それは思い当たる節がある。
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