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理想のキッチン検討会・第3回座談会④ 歴史編 『主婦の友』から

4.『主婦の友』が紹介してきたキッチン

阿古:戦前戦後については、『主婦の友』は台所改善運動の担い手の一つでした。コンさん、調べたことを教えてください。
コン:ここから5年ぐらい経ちましたね。主婦の友の100周年記念で出した『ニッポンの主婦100年の食卓』。阿古さんにもご協力いただきました。表紙は、昭和39年10月号のキッチンの写真です。コンロの横に食器棚があって、ポップアップ式のトースターがあって。
 下の写真は昭和3年の理想的に設計された1坪の台所です。水道もガスもある建築家の方が作ったキッチンです。『ニッポンの主婦100年の食卓』で紹介しているのは、地方か郊外の人のキッチンの例です。左側の写真は、水道もありませんし、調理も練炭です。ポンプで水をくむと書いてありました。昭和3年ぐらいには立ち流しが理想的と紹介されていました。

昭和3年1928理想的キッチンDMA-029


 それは、それまでの台所では床に座って煮炊きしていたからです。立ったりしゃがんだりで効率が悪くて、雑誌でも立ち流しにし、北向きでじめじめしていた不潔だったのも改善しよう、という運動をしていました
阿古:背景には、女中の払底もありました。それは女工さんが増えるからなんです。女工さんのほうが待遇がいいので、女中さんがいなくなるという危機感が中流家庭にはあり、1人でもなんとかできる効率化が切実に必要とされていました。何しろ家電もほとんどなく、洗濯も手でやらないといけない時代でしたから。
コン:このときの人気記事「名流婦人とお台所」の特集で、工学博士の大熊先生が設計された昭和3年の最先端の台所を訪問しています。「東京女学館を卒業後、ご家庭でお料理、茶の湯などのお稽古をなさっている方でございます。この方もお手製のおやつを息子のために作っています」、と書いてありました。
阿古:奥にあるのは換気口ですか?
コン:換気口ですね。
広瀬:奥に息子が写っている!
有賀:お坊ちゃまだね。
阿古:コーヒーの配膳スペースがあるのがいいですね。
有賀:これ引き出して使うんですね。それにしても、有名人のキッチンを除く、という雑誌の企画は今でいう芸能人の例みたいで昔も今も変わりませんね。

昭和3年大熊氏設計DMA-1928_12_名流婦人とお台所


コン:そこからは戦争中になってしまって。戦後は建坪に制限があって15坪までしか建てられなかった。
阿古:狭小住宅全盛期なんですよね、戦後は。
コン:バラック住宅の中にも理想的な「15坪小住宅」というのがあって、「台所は東南か東北が最もよいのでここに置きました。ガスのかまど、戸棚の位置、茶の間との連絡など、活動と衛生の2点を配慮して配置しました」と書いてあります。とてもちっちゃい台所。
阿古:お風呂とスペースが変わらないですね。
コン:でもすごくリッチな、新しい家を建てた方のキッチンなんだろうと思います。流し、ガス窯、出窓、戸棚の位置、茶の間との動線など、活動しやすさと衛生の2点に配慮しているそうです。
阿古:調理スペースがほぼない。今の1人暮らし用キッチンはこの頃のものとあまり変わっていないですね。
有賀:でも1人暮らしじゃないですものね。
コン:茶の間が3畳、居間が6畳、座敷が8畳となっています。
広瀬:でもこの台所は勝手口があって狭くても快適そうな感じはします。野菜は踏み込みに置いておいてもいいわけだから。

DMA-1946昭21_1月裏表紙小住宅


阿古:昔の台所には必ず勝手口があって、御用聞きが来たりしました。封建的なところでは、主婦は玄関をなるべく使わず勝手口から出入りしなさいというところもあります。
 台所改善運動は、座敷中心、玄関中心の封建的な家を、家族中心に変えましょう、という運動でもあったんです。お屋敷に住んでいる上流家庭の人は体面が大事だし、お客さんが来てビジネスの話もするから、客間や洋式の別館がある。でも、中流サラリーマンはそこまで接客重視じゃないので、家族が暮らしやすいようにする。新しい階級の人たちだったので、格式からある意味自由だったんです。
 台所改善運動と同時期に子供が発見されていて。子供がいて、夫婦がいて、家族を大切にしましょう、ということで台所の地位が上がる兆しがあって、実際に上がるのは次の時代なんです。勝手口は便利であると同時に主婦の地位の低さも表している気がします。
コン:同じ時期なんですが、「農家の夜」という向井潤吉先生の絵が昭和21年のだんらん風景で紹介されています。囲炉裏の周りで夜なべ。同じ年代でも都会と地方ではかなり差があることを、雑誌の中でも紹介していました。
 次は1959年、昭和34年ものもです。トップの写真を見ていただけると、ユニット炊事台5万3千円。この方が、14.5坪のお宅の家の5坪をリビング・ダイニング・キッチンにした最先端の家です。ここでダイニングテーブルが出てきました。動線や高さも話題になり、人気記事だったと思います。子供の面倒をみながら台所仕事ができる。台所仕事をしながらお客様を接待できる。3番は台所を中心に、玄関、風呂、洗面所、洗濯をまとめたので、歩き回らないで家事ができる、と書いてあります。

阿古:大卒初任給が1万とか。『週刊朝日編 値段の風俗史』によると、昭和35年4月で公務員が1万800円です。
有賀:今、ユニットキッチンを買うと100万とか普通にするから。
コン:値段感は変わっていないのかも。ここからは急速にキッチンが素敵な感じになってきまして。1967年は収納の話があります。豊かになってモノが増えてきた。面白いのが全部しまう収納と出しておく収納、という話をすでに言っています。

DMA-1967昭42_3月P90-91台所収納


阿古:後ろに家電がありますね。これは冷蔵庫?これはジューサー?
コン:ジューサーだと思います。
有賀:白いのはトースター?
コン:トースターですね。
綛谷:タッパーウエアもない?
阿古:お酒がいっぱい並んでいるところが昭和な感じ。この間ユーチューブで、団地の宣伝番組を見たんです。1950年代ぐらいと思うんですが。狭いダイニングキッチンの横にソファとソファーテーブルも詰め込み、旦那さんがシェーカーを振ってお客さんにカクテルを出す。昭和30年代はカクテルのブームだったんですよね。それから、断水したときに蛇口をうっかり開けていたので、水があふれて下の階の人に迷惑をかけてしまいました、というエピソードが紹介されていました。
近藤: 1963年と1964年、昭和38年と39年は、冷蔵庫特集をよくやっていました。「僕の家にやってきた電気冷蔵庫。溶ける時代は終わった」と。
阿古:卵置き場がすごいな。
有賀:牛乳もビールもビン。
広瀬:銘柄が違うビールがいっぱい並んでいる。
コン:スポンサーの何かを考えたんじゃないかな。
阿古:この牛乳は明らかに配達されているやつ。

DMA-1964昭39_5月P293冷蔵庫とまほうびん


コン:このときの阿古さんのコメントが、「昭和30年代に生まれた人たちは、家電が入ってきたことを一つ一つよく覚えています。生活が便利になる喜びが味わえた時代です」としています。
阿古:30年代の人たちはそういうのを記憶しているんですけど、40年代に生まれた人たちはデフォルトになっているので感動がない。私はかろうじて、テレビが白黒からカラーになった記憶は幼少期にあって、近所で自慢した記憶があるんですが。冷蔵庫はあって当たり前でした。
コン:30年代生まれやその頃のお母さんたちはものすごく幸せだった。昭和42年頃の、「おいしい朝食を手早く」という記事です。ダイニングとキッチンに冷蔵庫が写っていて、朝ごはんがすごく豪華で。「コーンスープと卵と野菜のサラダぐらいは作れるはず」って書いてあって、結構ご馳走を作っています。
広瀬:共働きって書いてある。
コン:そうなんですよ!
綛谷:「共働きでも安心なパン献立」
有賀:でも、確かにご飯炊いて味噌汁作って魚焼いて、というフルの朝食に比べればラクかもしれません。ポテトサラダはつくりおきできるし、この時代の人からすると、パンで簡単な朝ご飯なんでしょうね。
阿古:味噌汁は何で出汁を取るかにもよるんですが、鰹節はパックの削り節がないので、いちいち削らないといけない。ご飯も炊くところからやったら時間がかかるし。この頃は共働きが増加したときなんです。企業が人手不足で女性をどんどん雇った。

DMA-昭42、40136P16B01共働きの朝食


コン:昭和47年、「いやな家事を楽にする方法」が人気記事でした。この辺からみんな、「家事は大変だ」と。共働きも始まった時代ですね。
阿古:6人のうち3人は有名な家事評論家。吉沢久子さん、犬養智子さんは最初に時短家事を提唱した人、西川勢津子さんは、私が子供の頃よく雑誌に出ていました。
コン:イラストもおおば比呂司さんという有名な方で、貴重な記事だと思います。あと面白いのが料理家の堀江家。昭和43年の台所の記事で、収納がしっかりあるのと家電をいろいろ使いこなしておられた。堀江泰子先生は電子レンジをいの一番に導入されて、テレビや雑誌でレシピを紹介されました。親子3代で日本の料理を楽ちんにするためにご活躍されて。それが50年後も大活躍しているキッチンが、こちらです。
綛谷:すごーい!残ってるんだ。
コン:冷蔵庫も大きくなってます。家電もジューサー、電子レンジ置いて。今でも2代目のひろ子先生も時短や簡単で楽にお料理できるように考えてくださって。なんと、同じキッチンの一角を撮影していた写真があるんですよ。昭和43年と平成の写真が1996年のものです。さらに、泰子先生がお亡くなりになる前の2016年、3代そろって同じキッチンで撮影させていただいた写真がこちらです。泰子先生、ひろ子先生、さわこ先生。100周年の本で取材させていただいたのが、すばらしい思い出です。駆け足で面白い記事をピックアップしました。
一同:面白かったです!

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カバー ニッポンの主婦 100年の食卓

 この部分の動画はこちらです。ここでご紹介した以外の画像も見られますよ!よろしければどうぞ。

 ほかの動画はこちらから見られます。ぜひ!

 この後は昭和後期、そして現在へと続きます。お楽しみに!



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