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物語食卓の風景・残された妻②

 洋子は、電車に乗って2駅先の大型スーパーまで買いものに出かけた。ご近所の人に見とがめられないよう、遠出する買いものにも最近慣れつつある。これまでの3~4倍時間がかかるようになったが、案外そういう時間があることに、改めて気づいた。

 考えてみれば、お父さんがいないと、家事が減るのよね。洗濯物も半分で買いものも半分以下で済む。掃除もだんだん回数が減っている。一緒に暮らす人がいなければ、別に部屋がきれいでなくてもいいと思っちゃうのよね。毎日洗濯しなくていいし、第一毎日洗濯するには量が少なすぎてかえって不経済になる。下着の替えがなくなると困るから週に2回は洗濯機を回すけど、それでも量が少ないなと思うぐらい。ふとんは、清潔でないと気になるから毎週干すけど、干す布団が一組だとその作業もラク。枕なんてかえって晴れている日は毎日干すようになっちゃった。何かしないといけない気がするのは、長年主婦をやってきて身に着いた性分かしら。

 時間が余るものだから、ときどき念入りに家じゅうを掃除しちゃうときもある。あまり構わないでいると、何だか身も心も荒れてしまうような気がするの。実はお父さんがいなくなって呆然としたけど、すぐに香奈子を呼んで話したから安心したのかしら。

「警察には連絡しないの?」と言われたけど、もし警察がウロウロしてご近所に見とがめられたら困るし、警察に言ってしまうと、事件になってしまうようで怖いのよ。事件なんて他人事だと思ってずっとニュースを見て来たのに、当事者になるのは震災で懲りた。これ以上、事件の当事者になんてなりたくないもの。でもそうやってぐずぐず何もしないでいるから、香奈子に怒られるんだけどね。

「ママ、どうしてパパを探さないの。心配じゃないの? 何か事件に巻き込まれているかもしれないし、浮気しているかもしれないし、どこかで行き倒れていたらとか思わないの?」

「お父さんは、そんなにタフではないかもしれないけど、案外丈夫だもの。70歳を過ぎたのに、健康診断でも血圧がちょっと高いぐらいで、今まで風邪もそんなにひかなかったし。ああちょっと血糖値が高めになりつつはあったわ。尿酸値も悪くないしコレステロール値も、まあ少し高いけど、年齢相応でしょう。がん検診も大丈夫だったわよ。毎日きちんとご飯を食べていたから」

「私がちゃんとご飯をつくったから……って言いたいんでしょう。それはわかったけど、浮気の心配はしないの?女の人のところへ行ったかもしれないでしょう」

「浮気? だって、携帯に入っていた電話番号、ほぼ全部男性だったじゃないの。あなたの番号ぐらいでしょう。お父さん、1人っ子で女きょうだいもいないし。つき合っている女がいたら、その番号ぐらい入っているのが当たり前。連絡を取る手段がないじゃない。それにあちこち一緒に探したでしょう、手がかりを。でも、名刺1つ出てこなかった」

「持って行ったかもしれないじゃない。水商売をしている人が相手で、いつもお父さんがその人のところに直接行っていたとか。お父さんだって出て行ったら手がかりを探されるのわかってるんだから、手がかりを隠していたかもしれないじゃない」

「まあ香奈子は想像力があるのね」

「誰かに聞きに行くとかしないの?」

「だっていなくなったって知られちゃうじゃない。ご近所の噂の的になるのはいやよ」

「お母さんのその何にもしないところ、知ってたけどあきれた。長年自分の夫でしょう。心配したりしないわけ? 寂しかったり不安だったりしないわけ?」

「もちろん、何でとかは思うわよ。でも、待っていたらそのうちフラッと帰ってくるかもしれないじゃない」

「もう!お母さんがそんなだから、お姉ちゃんだって帰ってこなくなったじゃない!お姉ちゃんのことも心配しないし。お母さん、1人で平気なの?」

「真友子のことは別の話でしょう。あの子だって東京でフリーライター?忙しいんでしょう。その話を持ち出さないで」

 そのとき、運よく香奈子の携帯が鳴って用事ができたとかで、香奈子は帰って行った。これ以上いろいろほじくり返されたくなかったからよかった。何もしないといわれても、何かして問題が大きくなったら嫌だし。実のところ、お父さんがいない生活って気楽なのよね。掃除も洗濯も少なくてすむし、ご飯の段取りでは困るんだけど。だって、おコメを1人分炊くのはうちの炊飯器では無理だから、どうしても2回3回分ぐらいになってしまう。もうそんなにご飯を食べないから、1合半でも3回分ぐらいにはなる。残りを冷凍して、ということもやってみたけど、あんまりうまく解凍できないのよね。ご飯のところどころが冷たいと食べるのが嫌になってしまうもの。

 おかずもねえ、1人だとお浸しとか作っても余っちゃうし困るのよねえ。食べることだけは、1人って不便だわ。でも、好きなものを好きなように食べることもできる。さて、スーパーに着いたわ。


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