物語食卓の風景・対面②
料理が運ばれてくると、美帆はしばらく食べることに夢中になったようでしゃべらなくなった。目を輝かせて次々と料理を取っていくさまは、まるで子どものようでその食欲にも、真友子はたじろいでいた。年代は同じぐらいだろうに、そして美帆がとりわけ太っているわけでもないのに、食欲が違う。食欲から見える美帆の貪欲さはまるで、両者の人生の豊かさを反映しているようで、真友子はなんだか自己嫌悪に陥りそうだった。
私は今まで、何かを貪欲に求めたことはあるだろうか。子どもの頃は確かに母親に押さえつけられて、「お姉ちゃんだから」といろいろなことを我慢させられた部分もある。しかし、年の離れた香奈子のめんどうをときどき見させられるのはそれほど負担ではなかったし、年の近いきょうだいと違って、同じおもちゃを取り合うなんて喧嘩もなかった。
ただ何となく、多くを求めてはいけないような気だけはしていた。文章を書く仕事をしたい、という気持ちはあったが、創作もできないから小説は考えられなかったし、ジャーナリストになって追求したいテーマがあったわけでもない。特別食いしん坊でも料理好きでもないから食のジャンルは違う、ファッションも別に小ぎれいであればいいし、雑貨に夢中なわけでもない。なんとなくやってきたから、企業の仕事が多い現在のポジションになったのかもしれない。華やかな仕事を求めていたわけじゃないから、別に問題はないけれど、考えてみればよく50代まで中心テーマもなく仕事をしてこられたと思う。ただ、人の話を聞くことはいつも面白いと思ってきた。自分とは違う世界、自分とは違う考え方、自分とは異なる価値観。世界は広い、と取材をするたびに感じてきた。だから何とか続けられたのか。でも結局、いつの間にか、なんとなくなんだよなあ。そこが私のつまらないところかもしれない。と、すっかり会話が少なくなった航二のことを思う。
浮気を疑っているとはいえ、恋愛から結婚当時の情熱はとうに失っている。ほかの人を好きなのだとしても、それがつらいのかどうかわからない。それより、当たり前と思っていた生活が変わってしまうかもしれないことが怖いのだ。毎日2人分の料理を作り、2人分の洗濯をして干して畳む。なんとなく、「今日は寒いね」とか「ニュースでこんなことやっていて」というどうでもいいような会話をする相手がそこにいること。寝るときに隣に人がいること。生活の一部になっている人を失うのが嫌なのだ。それがもう愛情でなく、単なる生活習慣で単なる惰性だったとしても。
長沢先輩がときどきぼやく。「1人分だと、食材が片付かないんだよね」と。目の前にいる美帆さんも、1人分の料理のめんどくささが料理から遠のいたと言う。2人分でも、揚げ物は余ってしまうからあまり作らないのに、1人分だったら、例えばカレーは何回食べ続けなければいけないのか、炒め物は作りにくくないのか、ご飯は冷凍しないといけなくなる、など面倒なことが増えるように思う。キッチンだって1人暮らしの物件は、コンロが一つしかない、調理台がほぼないなど、条件が悪くなる。洗濯物や掃除が減るのは助かるかもしれないけれど。会話の相手もいなくなる。長沢先輩みたいに、猫でも飼わないと口を利かない日が増えるかもしれない。
私は便利だから航二と一緒にいるのだろうか? そうか、思い切って航二とのことをそれとなく聞いてみようか。
「真友子さん、あんまり食べていないんじゃないですか? お口に合わなかったですか」と美帆が心配そうな顔になっている。
「いいえ、おいしいですよ。ちゃんと食べていますよ。でも私、そんなにたくさん食べないほうだから」
「注文しすぎました? すいません、私も周りから『よく食べるなあ』と言われがちなのですが、つい自分の基準で見比べちゃいました」
「大丈夫です。それにしても美帆さんって、食べるのがお好きなんですね?もしかして角谷と一緒によく食事されるのは、ご飯好きだからですか?」
「角谷さん、食べるの好きですものね。でも、そんなことじゃないでしょう、真友子さんがお聞きしたいのは」
「え!」
「私がお誘いしたのは、ほかでもない角谷さんとのことを話そうと思ったからです。真友子さん、疑っていらっしゃいますよね? 私たちの関係を」
やんわりと、遠回しに探ってみることができれば、そこで何もなさそうだと思えれば安心できるかもしれない。そんな臆病な真友子の本音は、もしかするととうに見通されていたのかもしれない。それにしてもこの人、なんて大胆なんだろう。そんな直球で。私はなんと返せばいいのか。真相を知りたい気持ちはあるけれど、最悪の展開だった場合、どうやって耐えればいいのか。1人分の食事を作る生活になってしまうのか。少なくとも、年齢から言って妊娠の気配は少なそうだけど、それでも最近は高齢出産も少なくないし。この先、聞かなきゃいけないだろうか。逃げ出したい!
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