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『日本外食全史』試し読み③

ラーメン、「和食」に舵を切る

 世間がエスニック料理だ、カフェだとグルメブームに踊っていた一九九〇年代後半、ラーメン界でも新しい潮流が生まれる。それは、のちに「九六年組」と呼ばれた「中華そば青葉」「麺屋武蔵」「らーめんくじら軒」が、斬新なラーメン店を打ち出して、一九九六年に開業したことがきっかけだ。
 環七ラーメン戦争の頃は、車社会を前提に幹線道路沿いのラーメン店が注目された。関西に住んでいた私の周りでも、幹線道路の「四三(号線)」沿いの店がうまい、といった噂を男性たちからよく聞いた。映画『タンポポ』の店も商用車が走る幹線道路沿いに設定されていたこともあり、地方でも、幹線道路沿いのラーメン店が熱かった。それは恐らく、長距離トラックの運転手たちが育てたラーメン文化を、若者たちが発見したということだったのだろう。
 男子大学生が、就職を前提にローンを組んで車を購入した時代。車がないと、彼女ができない恐れがあった、というバブル時代が背景にある。
 ところが、『ラーメン超進化論』によると、九六年組は駅から歩いて行ける場所に店を構えた。青葉はJR中央線中野駅から徒歩五分の飲食店街の中、麺屋武蔵は営団地下鉄(現東京メトロ)青山一丁目駅から徒歩二分という都心ど真ん中。くじら軒は横浜市営地下鉄センター北駅徒歩一〇分弱。一人で訪れる男性客が中心の幹線道路沿いの店は、内装に凝る必要はなかった。そのそっけなさも、ブームに踊る若者には穴場に見えたかもしれない。しかし、電車で動く会社員は、数人で来店することも、女性の場合もある。
 若者が車を持つとは限らなくなった時代や、女性が一人で好きな店に行く時代にいち早く対応した九六年組。その特徴を『ラーメン超進化論』をもとに紹介する。
 青葉は、今は定番となったWスープを広めた店。香りが魅力の鰹節などの魚介出汁と、コクのある豚骨・鶏ガラの出汁を別々につくり、器で合わせて提供する。
 麺屋武蔵は、中華料理店でも、うま味調味料を使わない「無化調」が売りの店。出汁は魚介から取る。『ミシュラン』時代を予感させる創作ラーメンも売りだった。
 くじら軒は、鶏ガラや煮干し、昆布などを合わせた透明な出汁の創作ラーメンが特徴。こうした「淡麗系」の出汁は、その後も登場する創作ラーメンの店で定番となっている。
 『ラーメンと愛国』は、麺屋武蔵のスタイルに注目する。創業者の山田雄は、もともとアパレル系の会社経営者で、四〇歳を過ぎてラーメン業界に入った。ラーメンはバブル崩壊後からの独学。山田が複雑なWスープを生み出したことにより「ラーメン屋のオヤジは、ラーメン職人に昇華した」。組み合わせ次第で多彩な味のバリエーションができるからである。
 店員のユニフォームを、和装を意識した赤のシャツにし、店の前を歩く人がラーメン屋と気づかなかったほど、和風のしつらえにした。
 同書が、ラーメン屋に和風の装いを流行させたとして、もう一店挙げるのが、一九九五年に東京へ進出した豚骨ラーメンの「博多一風堂」である。一風堂はラーメン店で初めてBGMにジャズを流し、作務衣をユニフォームとして導入。店のブランディングは外部のデザイン会社に依頼した。看板やメニューに、手書きの文章「ラーメンポエム」を書くスタイルは、この店がルーツの一つである。
 二〇一五年五月二三日、朝日新聞土曜版beに、創業者の河原のインタビューが掲載されている。一九五二年、福岡県生まれで四人兄弟の末っ子。父は美術教師。高校はデザイン科に進学し、卒業後に上京して美術専門学校と劇団養成所に一年半通う。しかし、挫折して九州産業大学に入り直す。コックの見習いをしながら地元の劇団で役者をしていたが、二六歳だった一九七九年、博多駅前でつぶれたままだった五坪のレストランバーの経営を引き継いだことから、飲食店経営の道に入る。店を舞台と見なして接客する楽しみを見出したのだ。
 しかし「夜のマスターより昼の職人で商売したいと思い始めた」ため、一年近く長浜ラーメンの有名店で修業させてもらい、一九八五年に福岡市大名で、博多一風堂を開く。翌年、運営会社を立ち上げる。多店舗展開の経営に行き詰まっていた一九九四年、新横浜ラーメン博物館に出店し、二〇〇一年まで一日千杯を売り上げ伝説を築く。一九九五年に東京・広尾に出店。
 博多一風堂はおしゃれな和風デザインで、女性客や外国人客が気軽に入れるラーメン店のひな型をつくり、二〇〇八年にニューヨークに進出し、大行列ができた。その後も海外進出を続けている。
 次々と店舗を広げた博多一風堂も、出汁こそ豚骨だが、店のスタイルからラーメン=和のイメージをつくり、日本式のラーメンを、外国人にも人気の日本食代表に育てた立役者と言える。
 和風トレンドへのシフトを、『AERA』二〇〇二年六月一〇日号の「魚だしの逆襲」も注目する。豚骨ラーメンから魚介出汁へ人気が移った背景に、「ラーメン屋さんの乱立もあって、質のいい豚骨を手に入れることが難しくなっている」ことを挙げる。また、『ラーメン王選手権』(テレビ東京系)で六代目チャンピオンになった佐々木晶が「最近の和風ラーメン店は研究熱心で、豚骨系のだしに魚のだしを入れて、こってり感を和らげたり、野菜を入れて雑味を消したりしています」と説明する。
 この記事からも、この頃、ラーメンの和食化が進んだことがわかる。同時に、Wスープやおしゃれなスタイルの店は、『ミシュラン』に評価されるようなグルメ化への道も開いた。布石は、一九九〇年代に打たれていたのである。

(「和食」に舵を切る・了)


 試し読みは今回が最終回です。この他にも、外食とメディアの関係史や和食の発展を追った項目、外食文化を牽引した料理人に注目するなど、気になるトピックスが盛りだくさん!
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3月10日(水)発売

【目次】
■ はじめに
プロローグ 「食は関西にあり」。大阪・神戸うまいもの旅。

第一部 日本の外食文化はどう変わったか

第一章 ドラマに情報誌、メディアの力
■ 一 『包丁人味平』から『グランメゾン東京』まで。食を描く物語
■ 二 グルメ化に貢献したメディア

第二章 外食五〇年
■ 一 大阪万博とチェーン店
■ 二 バブル経済とイタ飯ブーム
■ 三 一億総グルメ時代

第三章 ローカルグルメのお楽しみ
■ 一 フードツーリズムの時代
■ 二 食の都、山形
■ 三 伊勢神宮のおひざ元で


第二部 外食はいつから始まり、どこへ向かうのか

第一章 和食と日本料理
■ 一 料亭文化の発展
■ 二 居酒屋の日本史
■ 三 食事処の発展
■ 四 江戸のファストフード

第二章 和食になった肉料理
■ 一 牛肉を受け入れるまで
■ 二 とんかつ誕生
■ 三 庶民の味になった鶏肉
■ 四 肉食のニッポン

第三章 私たちの洋食文化
■ 一 定番洋食の始まり
■ 二 ファミリーのレストラン
■ 三 西洋料理から洋食へ

第四章 シェフたちの西洋料理
■ 一 辻静雄という巨人
■ 二 グルメの要、フランス料理の世界
■ 三 浸透するイタリア料理

第五章 中国料理とアジア飯
■ 一 谷崎潤一郎の中国料理
■ 二 東京・中国料理物語
■ 三 ソウルフードになったラーメン
■ 四 ギョウザの秘密
■ 五 カレーとアジア飯

エピローグ コロナ時代の後に
■ あとがき

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