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物語食卓の風景・ワーキングマザー②

 亜衣が香奈子と会ったのは、近所にできたテラスカフェだった。5月は神戸が一番美しい季節だと亜衣は思う。住んでいた頃は気づかなかったが、東京に来てみると、意外に東西の気候が違うことに気づく。

 夏の関西の暑さが半端ない湿度だということも、夏に帰省するとびっくりする。東京でも十分蒸すと思っていたけれど、新大阪駅で新幹線のドアが開くと、途端にムーッとした熱気が吹き付けてくる。数日関西で過ごして東京に戻ると「なんて爽やかなんだろう」って思っちゃうぐらい、その湿度は半端ない。

 梅雨時はもっと違う。関西で梅雨は蒸し暑い季節の始まりだったのに、東京では雨が降ると寒くなる。学生の頃は、いったん五月で半そでの季節になったはずで衣替えしたところだったのに、もう一度洗ったカーディガンを着なければならない羽目に陥ってがっかりしたものだった。なんで6月にカーディガンとか長袖がいるんだろう。

 冬は寒いけれど、カラっとした晴れの日が続くのはうれしい。特に午前中は、キラキラした光があふれていて、寒さもかえって気分がしゃっきりする。日が昇るのが早いので、お弁当を用意する時間も日が昇っているのがうれしい。夕方になると、金色の光があふれて、青山あたりだと、歩道もビルもみんな金色に輝いてびっくりするほどだ。そういう光は関西にはなかった。特にきれいなのが、11月から12月。「東京観光に来るなら、この季節がおすすめよ」って関西の友達には言うんだけど「そんな忙しい季節に旅行なんてできない」って返されることが多いのは残念だ。

 関西で一番美しい季節は、5月!ゴールデンウィークが5月にあるというのは、何てステキなことだろう。だって、一番いい季節に休暇が取れるんだよ。夏は何しろ不快指数が高いからあまり帰ってきたくないけど、ゴールデンウィークは喜び勇んで帰る。年に3回も帰らなくていいかもしれないけど、緑がキラキラして、びっくりするぐらい爽やかなこの季節はぜひぜひ関西でそのステキさを味わいたい。緑の色の種類は絶対関西の方が多い。いつだったか、家族で六甲山へドライブしたとき、窓から見える緑の色がたくさんあるのに感動した。

 だから、久しぶりに香奈子と会うなら、その光を味わえるテラスでって思ったんだ。でも、ずっと地元にいる香奈子は、周りなんて見ることなく何だか必死な顔をして現れた。「外でしゃべるの?日焼けしちゃうわよ」とかいうの。香奈子は、ダースベイダーみたいな大きなサンバイザーと、半そでのカットソーにアームカバーみたいなのをつけ、手袋までして現れた。「若い頃の油断が、中高年のシミになるのよ」だって。そういう人、東京にもいるけど、友人で会うのは初めて。「暑くない?」って聞いたら、「ちょっとぐらい暑くても、消えないシミをつくるよりはマシ」だって。席に座ると、バッグから日焼け止めを出す。見えているところをカバーするんだって首に塗っていた。「亜衣はいらない?」だって。

「香奈子、そういう奥さま系のキャラだっけ?」と驚いたら「ママ友に、毎朝必ずお化粧して、旦那さんの前でなるべく美しく装うよう気を使っている人から、今油断するとシミだらけになっちゃうってさんざん言われたの。おばあさんになって魅力がなくなってから、夫に逃げられたりしたら老後寂しいし、生活上も不安があるもの。でも、やっぱり亜衣が言うようにずっとこれっていうのも暑いわね」と言い、アームカバーと手袋を外し、むきだしになった腕にも日焼け止めをしっかり塗った。

「逃げられるってそんな」と冗談にしようとしたら、香奈子は深刻な顔をして「だって、うちのお母さんがそうだから」と言うのだ。

「何それ、どういうこと?」

「相談っていうのは、そのことなの」と香奈子は切り出した。どうやら話は長くなりそうだ。

 

 

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