見出し画像

アベノマスクなぜ不評

 昨日、ようやく国から布マスクが届きました。マスクに、どのぐらい感染を防ぐ力があるか分かりません。3月には、あまり意味がないといううわさも聞きました。また、マスク配布が決まった後、WHOが不織布がついていない布マスクは勧めないと発表したりしましたね。

 とはいえ、自分が知らずに感染していて、しゃべったりくしゃみをして飛沫を飛ばし人に迷惑をかける、ということを予防するには効果があるという話も出ました。

 今、改めて調べてみると、このように両方発表していたものが、情報の出方によってとらえ方が違うということのようですね。

 いずれにせよ、今はマスクをしないで外出することはエチケットに反するというムードになっています。そのせいか、先日行った調剤薬局でオーナーのおじさんがマスクもしないでうろうろしていて、何だか近寄りたくなく怖かったです。すっかりマスクエチケットに私も染まっています。それにしても調剤薬局でそれはないんじゃないかと思いましたが……。

 さて、今日はアベノマスクがなぜ不評なのか、ジェンダー視点で考えてみます。発表があったのは、4月1日。「エイプリルフールか!」と思わずツッコみたくなるようなタイミングでしたね。

 なぜ不評なのかはすでにたくさんの分析がありますが、「ほかにやることがあるだろう」というのが、瞬間的に反発を感じた人たちの思いではなかったでしょうか。今回のコロナ対応では、いろいろと頓珍漢な政権ではありますが、それを象徴するのがこの1世帯にマスク2枚配布、という発表です。

 首相というのは国を代表する人なのですから、最初にやって欲しいのは、やはり裏付けを持って国民の生活を守る宣言だと思います。マスクは裏付けになるでしょうか? 

 マスクは、シャープやアイリスオーヤマが生産に乗り出し、うちにアベノマスクが届く前に、近所のあちこちでマスクは売り始めていました。必ずしもドラッグストアではなく、臨時の店舗だったり、雑貨屋だったりスーパーだったりするのですが。私も3月に布マスクを作り始めた近所のカフェで買いました。布マスクをつくることはこのように民間の力でできるのです。そして2枚分の金額はわずか。

 しかも、アベノマスクは配布が始まってから問題も出てきました。東南アジアでかなり安く作らせたために、虫が入っていたとか、カビていたとか、品質管理に問題が発生したのです。しかも写真で隣に置いた通常の不織布入りマスクと比べてわかるように小さい。せめてマスクぐらいきちんと作って欲しいと思った人は多かったでしょう。

 それより皆がその頃から心配していたのは、欧米の一部で起こっていた医療崩壊が日本でも起こるのではないかということと、なぜPCR検査がこんなにちゃんと進まないのか。それから、緊急事態宣言などによる外出自粛の影響で仕事が干上がっている人たちへの補償はどうなるのかです。

 どちらも遅々として進まず、今もなお問題が山積しています。感染者数のデータがきちんととれないために、緊急事態宣言解除は、1カ月延ばすと言う話になっていますが、それすらもあいまいで、仕事を奪われている人はイライラしています。先日は、ついにとんかつ屋の店主自殺という悲劇が起こってしまいました。

 私はテレビでこのニュースを知ったのですが、聖火ランナーに選ばれ、商店街活性化のために働く人であり、人気の店だったという。コロナ禍さえなければ、今頃は聖火を持って走った後だったかもしれず、街の人たちから、お客さんたちから頼りにされて充実した日を送っていたはず。

 遺書がないので自殺と決まったわけではないようですが、状況証拠からそのように推定されるようです。彼が将来を悲観したのは、店をいつ開けられるかわからないからです。国民が声を上げているし、国会を観ていると、野党の中には危機感を持っている政治家たちもたくさんいるようなので、やがては少しは補償があるかもしれません。

 しかし大切なのは、具体的に何をいつどうするかを決める前に、マスク配布を発表する前に、コロナのために休業を余儀なくされているたくさんの人たちの、生活を守り命を守るために国が全力を尽くす、と発表することではなかったでしょうか?

 なぜ、安倍さんをはじめとする政治の中枢にいる人たちは、そういうことを真っ先に言ってくれないのでしょうか? 私は政治記者ではないのでわからないことはもちろんありますが、今の生活が脅かされる国民感情を理解しないのは、庶民の生活を、生活するとはどういうことなのかを、彼らが考えてこなかったからかもしれません。それは、生活を人任せにして自分は政治屋に徹してきたからではないでしょうか?

 代々政治家で、お金持ちで、庶民がわからないのか。生活するということは、今日のご飯代を稼いで家賃を稼いで、ご飯を作って子どもを食べさせておじいちゃんの話相手をして、といったささやかだけど切実なことです。家賃を払ったことがない、ご飯を作ったことがない、誰かの世話を任されたこともない、そういう人たちしか、もしかすると自民党の有力議員にはいないのかもしれません。生活感のない人たちばかりが権力を握るのは、生活を人任せにすることができる人しか、偉くなれない構造があるからではないでしょうか?

 世の中には、有能な女性が多く、キャリアを積めないできました。私の同世代は、仕事か結婚か、仕事か子どもか、仕事か介護かと選ばされ、生活を優先させてキャリアを断念した心優しき女性がたくさんいました。彼女たちが仕事を断念せざるを得なかったのは、会社に人生をささげることができなかったからです。そして、仕事に人生をささげて奥さんから粗大ごみ扱いされた男性もたくさん観てきました。私の世代からはそういう理由で離婚された人もいます。下の世代は何とか両方を得ようとして、疲弊したり、家族を大切にする余裕を失ってしまっている人たちがいます。

 両方は無理、という状況をいつまで私たちは続けなければならないのでしょう。両方ができないから、仕事しかできない生活感のない「有能な」ビジネスマンと政治家たち、生活はできるけれど所得が少ないために経済力がない女性たちで、世の中はあふれています。少子化と晩婚化、非婚化が止まらないのは、仕事と生活の両立が困難だからです。女性たちの所得が低いことで起こるシングルマザーとその子供たちの貧困問題も、女性はキャリアは積まなくていいとしてきたから生じた問題です。そうした、生活を軽視する社会が、ここへきてはっきりと立ち現れているのです。

 補償をしぶる政府は、仕事もさせないのに自助努力で何とかしろというのは無理だ、ということがわからないからなのでしょうか。家賃収入はないんですよ。庶民には。そういう不労所得は庶民にはありません。働かないと収入は得られないのです。一部の企業で休業補償が始まっていますが、それも体力のある大きな会社だけです。それでも動いていない会社の方が圧倒的に多い。

 政府がビジョンを示さないから希望を失う人たちがいるのです。そういう人はこれからもっと出てきます。何しろ感染の実態がわからないのですから、容易に日常生活を取り戻せるとは思えませんから。

 政治家は、何のために政治家になるのでしょうか。国民の税金でお金をもらう政治家というのは、私たちが選んだ、残念ながら私も選んだ(私が選んでいない人もいますが、誰かに1票は投じた)、私たちの替わりに生活の枠組みを決める人たちであるはずです。国民のために奉仕するのが政治家の仕事です。自分たちが権力を握って大きなことを決めるために、国が経済大国になって世界で力を誇示できるためにあるのではありません。

 言うとおりにさせて、国を豊かにする駒として私たちがいるのではありません。あなたたちが、私たちを安心して暮らせる場を作るために働いてください。マスクよりも、ビジョンが欲しいです。そしてそのビジョンを実行するために、「スピード感」ではなく、スピードを持って動いてください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?