見出し画像

物語食卓の情景・イクメンになり切れない夫②

 勝が初めて洋子に会ったのは、食事に招かれたときだった。当時、すでに真友子は東京で働いていて、香奈子の両親へご挨拶する形になった。結婚を意識した彼女の親とはいえ、仕事の面では今一つ将来への自信が持てず、プロポーズするのは躊躇している段階だった。だから、数カ月前から香奈子に「母が会わせろってうるさいの」と言われていたのを逃げ回っていたのだが、「私のこと大切じゃないの?」とウルウルされてしまったら、誠意を見せざるを得ない。

 香奈子に押し切られて初めてご挨拶をしたのが、10年前の秋。初めて入った家の中は、何だか植物が多い印象だった。「いくら切ってもパキラがどんどん伸びちゃうの。剪定した枝がもったいないからと、別の植木鉢に挿したらそれも根づくでしょう。気がついたらパキラの植木鉢が10個になっちゃって。どうしてこの植物、どんどん増えるのかしら。花も咲かせないのにねー」と苦笑交じりで話すお義母さん。いやそれは、切った枝を捨てないで植えるからじゃないかと思ったけど、そんなツッコミをいれたら印象が悪くなりそうで、「そうなんですね」と無難に返事するにとどめた。パキラ、という観葉植物の名前はそのとき初めて知った。

 お義父さんの印象は、しゃべり続けるお義母さんの陰で何だか薄い。いつも大声で話す親父と違って、物静かな上品な人だなと思ったけれど、もしかするとお義母さんがにぎやか過ぎて話をする隙がないだけかもしれなかった。「勝さんは、香奈子と同じ会社にお勤めなんでしょう? 香奈子は会社でどんな感じかしら?」というので、上手な返事の仕方を考えているうちに、「まあ香奈子のことだから、とりあえずそつなくやっているのかしらね。印象を聞かれても、つき合っている女性のお母さんにはいいようにしか答えられないわよね」と勝手に答えを推測して自分で言ってしまう。

 一事が万事その調子で、まともに自分が語ったのは、お義母さんが知らない自分の家のことぐらい。そういえば、俺の仕事がどんなだかは聞こうとしなかった。職場が一部上場企業だから、それで特に聞く必要がないと思っていたのかもしれない。それは、おいおいわかってきたことだけれど、人のうわさ話をするときのお義母さんは、いつもその人の肩書を気にしている。誰それはどこの会社にいる、誰それはどこの大学を出た。誰それは、息子をどこの大学に入れた。そういった肩書で人の性格や人生まで決まってしまうと言わんばかりの様子が気になった。そんな母親にツッコミを入れるのは、義姉さんだった。

「お母さん、そんな風に人の人生を肩書だけで決めつけないでよ。有名企業にいる人がみんないい人なわけないでしょう。熾烈な競争に勝ち抜いて出世するには、いい人ぶっていられない場合だってあるんだから。出身大学も気にするけど、社会に出たら出身大学なんてあんまり関係ないわよ。特に東京なんて、人に会うたびに出身大学なんて聞く人いないわよ。そういうものが人を決めるわけじゃないってわかっているし、関西の小さな世界と違って首都圏にある大学もたくさんあり過ぎるうえ、地方出身の人も多く集まってくるから、そんなところで序列なんて作ってられない。それより大事なのは今の努力と才覚なんだからね」

 義姉さんは、香奈子と一緒に俺が会うときはまったく話す隙もなさそうなお義母さんの話を中断させて、自分の主張をしっかり語る。それができるのは、それこそ競争が激しそうな東京でフリーで働いている人の強さなのか、それとももともとそういう主張の強さがお義母さんに似たのか。いや、もしかするとその頃結婚していたからかもしれない。結婚すれば女は強くなるって言うけど、香奈子もその後だんだん強くなっていって、子供が生まれて叱る場面が増えるにしたがって、お義母さんともどんどんやり合うようになっていったように見える。義姉さんが帰ってこなくなってからは、義姉さんが乗り移ったみたいにお義母さんとやり合うようになった。その分、こっちは疲れるんだけど。

「それで、勝さんのところのご家族構成は?」と聞かれてようやく話す機会ができた。「はい、両親と妹と、それから祖母が一緒に暮らしています」「まあおばあさんも。父方のほうですか?」

「はい。父が長男なので、自然に一緒に暮らす形になりました」

「そう。この人も長男で、というか1人っ子なんだけど、この家もこの人が育った家なのよ」

「じゃあ、香奈子さんも僕と同じように三世代同居で育ったのですか?」

「まあ一応そういうことになるけれど、一緒に住んだのはほんの数年だから、香奈子は覚えていないんじゃないかしら」

「覚えているわよ! あやとりを教えてくれたの、おばあちゃんだったもの。お姉ちゃんはもう小学校の高学年で、友達と遊びに行くことが多かったから、小さかった頃遊んでくれたのはおばあちゃんだった」

「そうだったかしら。あら。あの人、しょっちゅう出かけていた印象が強かったから、香奈子と遊んだっけ?」

 この人、自分の娘が小さい頃にどうやって過ごしていたか、あまり覚えていないんだろうか? 幼少期といえばかわいい盛りで、気になってしょうがないんじゃないのか? と疑問を抱いたのを今でも覚えている。何となくなのだが、お義母さんが話す家族像はどこか現実と食い違っているように思える。現実とイメージとのずれが、もしかすると義姉さんが帰ってこなくなった一番の要因かもしれないし、香奈子が何かと言えば衝突する原因かもしれない。そして、お義母さんと一緒にいると俺が疲れるのも、その食い違いがあるせいかもしれないと思う。そういうずれがお義父さんを失踪させているんじゃないか。そんな風に意地悪に思ってしまうのは、いけないことかもしれない。

 だってお義母さんはいつも邪気がなさそうな楽しそうな様子で、料理もこまめにするし、くるくるとよく動いて年齢の割にはずいぶん元気そうな印象をいつも受ける。何かといえば、しんどがっているうちの母ちゃんとは違う。

 まあ母ちゃんはそれこそ、足が悪いばあちゃんの面倒もみなければいけないし、ずっと仕事もしてきたから、家事全部を引き受けるのはしんどいかもしれない。俺も結局結婚するまで家にいたし、妹もいまだに実家暮らしだし、俺にはあんまり見えていないけれど、いろいろと負担が大きいのかもしれない。何しろ、2人目が生まれて香奈子は大変そうだ。手伝ってやりたいけれど、料理以外にできること少ないし、何か手を出すと、「それはそうじゃない」っていっつも怒られるんだもんな。下手に手を出すとかえって香奈子の仕事をふやしてそうで、うっかりしたことができないんだよな……。


 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?