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物語食卓の風景・シングル女性の悩み①

 家庭ごとに異なる家事の場面を描く物語、4人目の登場人物は、立花一家の長女、真友子の先輩の長沢美紀子です。美紀子は東京で1人暮らしで、フリーの編集者です。前回の、美紀子登場場面はこんな感じでした。

 久しぶりに1日まるまる仕事をしないで済む日、美紀子は公園のそばにあるペットショップまでキャットフードを買いに出かけた。いつの間にか、愛猫のアンナちゃんのエサが底をつきかけていたからだ。

 この2カ月、なんて忙しかったのだろう、と美紀子は振り返る。真友子に原稿を頼んでいる社内報の編集のほか、突発的にグルメ雑誌のムック版の手伝いもさせられた。いつも仕事を請け負っている編集プロダクションで人手が足りず、美紀子に助っ人を頼んできたのだ。グルメの仕事なんて知らないのに、私に仕事を発注している斉藤尚人は「大丈夫、大丈夫、長沢さんは経験豊富だからさ。それに世の中グルメばやりだろ。うちもグルメの仕事に幅を広げようと思ってさ」などと言う。

 斉藤は大のラーメン好きで、「飯つき合えよ。おごってやるから」などと珍しいことを言うから、ついていったらラーメンだった、ということがあった。「うちはなかなか厳しくてね」と言う斉藤が、経費でおごってくれたことは一度もない。そういうことはやはり、出版社でないと難しいみたいだ。期待しているわけじゃないけど。それでも斉藤はねぎらう気持ちはあるらしく、「ラーメンだったらおれの調査もあるからさ、いつでもおごってやるよ」と言い、それから何度かごちそうになったことがある。

 おかげで、ラーメンの流行は少しだけ知っている。つけ麺がブームになったこと、煮干しラーメンが人気だったこと。とはいえ、斎藤がおごってくれたラーメンが特別おいしかった記憶はない。違いが今一つわからない、というのが正直な気持ちだ。一つだけ印象に残っているのは最近で、ビニール袋に包まれた具材の袋を適当に選ぶ形式の中国麻辣麺の店だった。「中国東北部の麻辣味が今、流行ってんだよ。辛いのが得意でなかったら、一番辛さが低いのを選べよ」と教えてくれた。でも十分に辛かった。それに何だかクセが強い。そういう意味でも強烈で記憶に残っているのだろう。

 とにかく取材に行って、記事をチェックし、取材先に確認を取り、走り回る2カ月間だった。編プロに詰めて夜中になったことも何回もあった。その間、アンナちゃんのエサどころか、自分の食事もままならなかった。買い物に行く暇がなくて冷蔵庫が空っぽになっていることに気づいたのが夜で、結局遅くまで空いている近所の韓国料理屋へ駆け込んだこともあった。10年ほど前に来日した、というウエイトレスのおばちゃんは、「美紀子さん、こんな遅い時間に食事? 寝る前の食事は美容に悪いよ」と言う。「それならなんでこの店あいてるのよ。それに私の仕事、まだ終わらないから」と返事をしたら「日本の人、働き過ぎね。それよくないよ」などと言う。

 トイレットペーパーがなくなって、緊急的にティッシュペーパーを使ったときは情けなかった。ティッシュを流していいのかしら?と一瞬思ったけど、それも夜遅かったから仕方なかった。翌朝もう一度使った後、ドラッグストアに買いに走った。都会暮らしは便利で、ライフスタイルもいろいろだから、「結婚しないの?」などと真正面から聞く人も最近いない。下手にそういうことを聞くと「セクハラ」と言われてしまう社会風潮もある。でも、本当にこういう忙しいときは、誰かが家事を引き受けてくれないかと思うことがある。

 部屋の中も散らかってしまい、テレビを置いている棚に、うっすらとホコリが積もった。床の問題は考えないことにする。洗濯物も溜まったけど、この頃暑くなってきて大変だし、人に会う仕事だから、少なくとも週に1回は洗濯機を回した。干したり取り込んで畳むのは面倒で、自動畳み機があれば便利なのにと思った。

 やっと仕事が片づき、今朝は思い切り掃除をした。床をウエットタイプのクイックルワイパーで拭いたら、あっという間に真っ黒になった。2DKの狭い部屋なのに、なんと5回もペイパーを取り換えたのだ。恐ろしい。アンナちゃんの毛がたくさんついてしまうこともあったけど。あんまり相手もしてやれなかったなあ。そういうときに、自分で勝手に外へ出かけて遊んでくれるいい子なのでよかった。

 ペットショップでキャットフードを買った帰り、天気もよかったので、公園も散歩した。いつの間にか桜は終わり、アヤメが咲いている。なぜか一年中いる水鳥たちも楽しそう。越冬しに来ているのではないらしいけど、鳥の種類もよくわからないからなあ。と考える。そういえば、この間の取材で一緒だった真友子が、珍しく自分から「先輩、この後時間ありませんか?相談があるんです」と言ったのに、グルメムックの編集があったから「ごめん、今度にして」と言わざるを得なかった。真友子にLINEしてみる。

「この間はごめんね。やっと時間が取れたの。もしまだ間に合うようなら、相談聞くよ。いつがいい?」と送ったところ、さっそく返信がある。「先輩、ありがとうございます! 急ですみませんが、明日の夜とかいかがですか?」とくる。どうも切羽詰まっているようだ。いったい真友子に何があったのだろう?

 

  

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