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マスカラが目の下で滲むほどの悩み

明日は人生初の出張です。日帰りだから楽しみなような、人一倍気が利かないのに気を使うから疲れそうと思うような。

1週間ぐらい前に謎に左首後ろを痛めて整骨院へ通う日々なのですが、治りかけてきてるかと思ったら今日の朝反対側が痛くなってて病院へ行ったら悪化してたみたいで初めてバキバキされたらびっくりしたわたしの「うわーーー!」という叫び声が響き渡ってとても恥ずかしかったです。

若いうちは思いっきり働けと言う人、若いうちは思いっきり遊べと言う人、若いうちはとりあえず学べと言う人。

SNSにはえらそうにいろんなことを言う人がたくさんいますがどれも正解だと思っています。

向き、不向きの問題であり、それぞれしたいことをするのも自分を律して無理するのも個人次第です。

ただ、わたしは友達が少なくて遊ぶのも向いていないし、激務の中自分を無理強いて勉強をできるほどタフじゃないので気が向いた週末しかしていないです。"若いうちは思いっきり働け"の生活が一番自分のスタイルに近く、そして肌に合ってると感じます。

精神的にも肉体的にもじわじわ追い詰められる酷い職場を離れて思うのは「社会って舐めてみたら案外甘いから舐めてみるもんやとは思うけど、好きなことだけやって成功するほど甘くない」ということ。

全てを投げ出したくて、まあまだ若いし!なんとかなるっしょ!と関西を飛び出して上京したらみんなやさしくしてくれるし、やりたいことと決して遠くはない仕事に巡り会えたし、悪くはない。

わたしはこうして定期的に、そして日記のように文章を書いてるとおり、文章を書くのが好きです。学生時代にライターをやっていたこともあって、ライターになりたいと本気で思っていました。「読み返したくなる自分の好きな文章を書いて」とありがたいことに言われていたので、今でも自分の書く文章が好きです。今書いているプラットフォームはココしかないけど、たまに自分のnoteを読み返したりもしてます。

ただ、テレビの仕事に就いて3年経った今、ライターになりたい、文章を書く仕事をしたいという考えはいつの間にか忘れ去っていたなとふと気がつきました。文章を書くことを仕事にしていたらこうしてnoteをたまに更新することもなかっただろうし、きっと早々に心が折れて書けなくなっていただろうなって。

そして本当に好きなことを生業にしている人を見たら、好きなことだけやって成功できるほど甘くないって尚更実感します。例えばEXILEの大樹くんや世界さん。OWVの本田くん、JO1の蓮くん、INIの柾哉くん西くん。特にダンサー出身の彼らはダンスという険しい道を極めて今は表舞台に立つすごい人になっていますが、彼らの輝かしい今の裏側は1%の才能と99%の努力の世界だなって心から思います。わたしには好きなことを仕事にできるほどの強い信念がない。その強い信念を持ち続けられることこそが才能なのだと。

25歳ってある意味分岐点ですよね。転職する子、結婚する子、仕事を続ける子。悩んでる子も多い気がする。

わたしは今解決できる以外の問題、たとえば漠然と未来が不安だとか、数年後どうなっていたいとか、そういうことに悩むたび、まあまだ22歳やしな!まあまだ23歳やしな!まあまだ24歳やしな!と歳を重ねてきました。今でも差し引いて重要ではない漠然とした悩みに飲み込まれそうになった時、生き急ぐな。わたしはまだ25歳だぞ。と思うことで精神を保てている節がある。

この「まだ⚪︎歳だぞ」の免罪符を自分に使えるのは何歳までなんだろうか。

今わたしが自分の生き方を誇れているのはきっとその辺の同世代の人たちより特殊な世界でめちゃくちゃ働いていることのおかげなので、この免罪符が使えなくなったときのために積み立てておきたい。

爪が欠けただけでも元気がなくなるわたしの悩みって、ふと鏡を見た時に目の下が黒くなってて気づく滲んだマスカラ程度にちっぽけなんだなぁって。

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