スマイルトゥルーで歯列矯正②

歯にまつわる思い出 続き

親知らずが歯肉を割って出てくるその痛みに苛まれる大学生の私は、お兄さん先生の「抜きましょう」の一言に素直にはいと答えた。

言うが早いか、診察台は倒され、頭の上で手術道具がチャリチャリ音を立てる。お姉さんスタッフの動きは俄かに慌ただしくなった。

ふと目についた、駅前の雑居ビルの中の歯科医院で、いま、抜歯が始まる。


まずは上の歯を抜くことになった。
綺麗な病院にお兄さん先生、最新の医療機器、優しく親切なお姉さんスタッフ…
申し分ない環境ではあるが、「歯を抜く」という未知の体験を目の前にして、私は完全に縮こまっていた。
ぐらぐらの乳歯が抜けるのとはわけが違う。健康に生えている大きな大人の奥歯を、抜くのだ。

親知らずの抜歯といえば、ペンチで無理やり引っこ抜くだとか、頬がパンパンに腫れて高熱が出るだとか、痛くて何日もご飯が食べられないだとか…
上記は全て母の証言だ。今の方がずっと技術は進歩しているに違いないが、怖いし、不便だ。


慄く私に先生は笑気ガス吸入を提案した。

笑気ガスとは亜酸化窒素のことで、酸素と混ぜて使うごくごく弱い麻酔だ。手術による恐怖や痛みを和らげ、リラックスさせる効果がある。
吸入している時の感覚は、お兄さん先生によると、手足がポカポカしてくるだとか、少し眠くなるだとか、お酒を飲んでホロ酔い気分だとか、人によって感じ方は様々だという。当時20歳そこそこだった私は、ホロ酔い気分と言われてもピンとこなかったが。
体に負担もかからないし、保険適用だというので、使ってみることにした。


鼻周りにチューブが添えられ、吸入が始まる。
匂いは全く感じない。ただ空気を吸っているような…というか空気が出ているのかすらさっぱり分からない。説明された様な感覚も一切ない。このまま抜歯が始まって大丈夫なのだろうか。

あまり効果を実感できないまま、歯茎に麻酔が注射される。痛い。が、チクリ程度だった。3ヵ所うたれた。

依然、笑気ガスの効果を実感できずにいたが、歯茎への麻酔の痛みが想像より大したことなかったので、もうガスが効こうが効くまいが、どちらでもよくなった。

その時、ふとおかしなことに気が付いた。

診察台に接しているはずの背中と手足の感覚が、まったく無いのだ。


続く

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