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「壊れた脳 生存する知」山田規畝子著〜脳卒中で片麻痺リハビリ中

2022年7月49歳の時に脳卒中で倒れ入院、1週間後めでたく50歳に。
後遺症で右片麻痺になり7ヶ月のリハビリ入院。12月noteをはじめ、2003年2月に退院。現在は通所リハビリ継続中。これまでの経緯と入院闘病記はこちら↓


壊れた脳 生存する知

現在の山田規畝子さん

山田規畝子さんの「壊れた脳 生存する知」を読んだ。

著者の山田規畝子さんは、東京の医大に在学中、一過性虚血発作と脳出血を起こし「モヤモヤ病」の持病が発覚。幸いその時は後遺症もなく、大学を卒業。そのまま東京で医師の道を歩みだす。

その後郷里の高松に戻り、結婚出産を経て父親の病院の院長に就任。
34歳の時に再び脳出血を発症し、その際脳梗塞も併発。「高次脳機能障害」が後遺症として残った。

37歳で再び脳出血に。3度の脳出血、さらに離婚を乗り越え、後遺症と闘いながらも医師の仕事と子育てに奮闘している。

本を読み始めてすぐ、この本が2004年に出版されていることに気づいた。
あれ、もう20年も前か。出版時に著者の山田規畝子さんは40歳くらいだから、今は60歳くらい?本に出てくる息子さんも、30歳くらいになっているはず。

今はどんな生活を送られているのだろう。
自分は脳出血発症から1年半で、まだまだあらゆる後遺症に悩まされている。

私のような脳出血ひよっこからすれば、3度の脳出血を経験してなお、医師として活躍されている著者は希望の星だ。発症20年後の状態を知りたい。素朴な疑問、興味からネットで検索してみた。

すると…
たどり着いたのは「壊れた脳 生存する知」山田規畝子オフィシャルサイト

サイトのお知らせページに「長男よりお知らせ」とあり、2018年3月に脳出血を再発し、失語と全身の麻痺が残り、発話したり自分の意思で体を動かしたりすることが難しくなっていると書かれていた。

なんていうこと!まさか4度目の脳出血を発症されていたなんて…。
「山田は現在も高松にて、穏やかな環境の中で療養中でございます。」サイトの管理スタッフが1年前に更新した、2023年1月の情報以降はわからなかった。

高次脳機能障害と生きる

20年前に出版されたこの本には、3度の脳出血を発症したにもかかわらず、山田さんが不死鳥のように復活を遂げた軌跡が描かれている。脳出血による後遺症、主に「高次脳機能障害」が生活にどのような影響を及ぼすのか。

本書では、高次脳機能障害によって起こった実際の出来事、またそれにまつわる当事者の苦悩や心情を詳しく、かつわかりやすい表現で述べている。山田さんは医師だが、難しい医学用語などは使わず、エッセイのように書かれているのでサクサク読める。

手の麻痺や足の麻痺、顔面麻痺などと違い、高次脳機能障害は一見すると周囲からはわかりにくい。私も軽い記憶障害や注意障害などに悩んでいるが、「そのくらい私もよくある」とか「年齢的なものでしょう」とか、軽く受け流されがちだ。

発症前とは明らかに違うし、理解してもらえずほんともどかしい。かといってその違和感を説明するのも、これまた高次脳機能障害のせいで、なかなか適切な言葉がみつからない。その辺を山田規畝子さんは、上手く表現されている。

ただし、後遺症はやはり人それぞれで、10人いれば10通り。100人いれば100通り。手足の麻痺にせよ、高次脳機能障害にせよ、一人として「全く同じ」とはいかないのが厄介なところだ。


「できない自分」への失望

全く同じではないものの、記憶障害に関しては著者と似ているような後遺症があり、私もいわゆる短期記憶ができなくなった。単純な数が覚えられない。人の顔と名前を忘れる。今でも毎日今日が何年の何月何日だったか、何度も何度も確認してしまう。お世話になっている療法士さんなどの名前も出てこない。

今は2024年の1月。わかっているはずなのに、子どもとの会話で何の疑いもなく2月と言ってしまい、指摘されて初めて間違いに気づく。

しかし短期記憶は忘れがちだが、昔のことはとてもよく覚えている。まるで認知症のお年寄りのように。

でも高次脳機能障害では、知能の低下はひどくないので、自分の失敗がわかる。失敗したとき、人が何を言っているのかもわかる。だから悲しい。いっこうにしゃんとしてくれない頭にイライラする。度重なるミスに、われながらあきれるわ、へこむわ、まったく自分で自分がいやになる。

「壊れた脳 生存する知」より

自分のことは自分が一番よく知っている。前はできたのに。
私の場合、発症してまだ1年半。できていた時の記憶が新しく、どちらかというと何事もテキパキとこなすほうだったので、「できない自分」に日々直面し、思わず失望してしまう。

脳がシャットダウンする問題

発症前、私はショートスリーパーだった。「いつ寝てるの?」とよく言われていたが、実際に寝ていなかった。家事に育児に仕事、一馬力でこなしていた。今考えると完全にオーバーワークだったけど、若いころから寝ない方だったし、それでも大丈夫な体質なんだと思い込んでいた。

一転、発症後はとにかく脳が疲れやすい。当然、脳が疲れれば身体も疲れる。頭の回転が悪くなるとかそんなレベルじゃなく、脳が腫れて身体の右半分(麻痺側)がずっしり重く、ビリビリと痺れて麻痺がひどくなり、上手く動かなくなる。

集中して作業を行わないといけないような場面では、脳がショートして眠くなる。十分寝ているはずなのに、あくびが止まらない。

パソコンに例えると、フリーズして強制終了=シャットダウンしてしまう。
特に夜はシャットダウンしやすく、入院中も消灯時間は21時だったけど、その時間になると目を開けていられない日も多い。

こういった作業を続けていると、あくびが出て仕方ない。脳細胞が酸欠になるのだ。昼近くになると燃料不足も加わって、眠気も強くなり始める。

「壊れた脳 生存する知」より

今は複雑な作業や、同時にいくつも並行して作業することができなくなり、また単純作業であっても、手足の麻痺のせいで以前の何倍も時間がかかるので、気がつけば家事だけで1日が終わってしまうこともしばしば。

例えば料理一つとっても、前は同時進行でおかずを数種類も手際よく作れたけど、今は一品ずつしか作れない。それは右手が麻痺していて片手しか使えないという物理的な理由もあるが、高次脳機能障害で物事を段取り良く進めることができないという理由が大きい。

家事とはとてもクリエイティブで、効率が求められる作業が多い。健常者のころは、普段何の気なしにこなしてきてけど。

だから「今日は家事しかできなかった」じゃなくて、「家事ができた(あたしすごい)」と考えるようにしている。あたしすごい、が重要。自分で自分をほめてあげる笑

視床痛と感覚異常

山田さんは、視床痛に関しても言及している。

感覚鈍磨と矛盾するようだけれども、私の左半身は、やり方によっては触っただけでも痛い。(中略)このほかには、温かさと冷たさが、痛みに変わる。凍ったものや50度くらいのものが要注意だ。

「壊れた脳 生存する知」より

私も同じ、触覚や温度覚の感覚異常がある。触られなくれも電車で隣に誰か座った時とか、ほんの少しの刺激だけで痛くなることもある。常に麻痺した右側だけ異常に冷たいし、同じものに触れたとしても右で触ると冷たくザラザラと濡れているように感じる。

この「視床痛」は、その痛む部位には問題がないのに、脳の働き(というか脳の異常)がそう感じさせているわけで、思えば脳とは不思議なものである。視床痛がもっとも激しかったのは、初期のリハビリの頃である。

「壊れた脳 生存する知」より

私の病名はまさに「左視床出血」なので、右の頭のてっぺんから足の先まで常に焼けるような、針で刺されるような痛さと痺れががある。

視床痛の薬も一応あり飲んでいるが、特効薬ではなく、10ある痛みを8くらいに緩和する程度。まあ、飲まないよりはマシといった感じ。

ちなみに山田さんは「視床痛がもっとも激しかったのは、初期のリハビリの頃」と書かれているが、私は退院してからの方がより症状としては重くなっている。

痛みと並んでかゆみもまた、一種の知覚異常と考えられる。

「壊れた脳 生存する知」より

かゆみに関しても、ある日突然起こる。私の場合、頭や首周りが多いが、腰や足など、特に夜寝る際に布団に入って温まった頃に起きる。  

視床痛についても見えない後遺症だし、感覚鈍磨や感覚過敏、立体覚、触覚、温度覚、位置覚異常なども経験のない感覚なので、理解されづらい後遺症だ。

バリアリッチでやさしくない街

山田さんは、高次脳機能障害などの目に見えない障害に対して、日本のバリアフリーは遅れていると指摘している。

自他ともに認める福祉後進国の日本でも、以前に比べると、ずいぶんとバリアをなくす工夫がなされているかに見える。しかし、少なくとも高次脳機能障害などの目に見えない障害は、まったく計算に入っていない。

「壊れた脳 生存する知」より

この本が書かれたのは、冒頭にも書いたが20年前の2004年だ。今は2024年。20年経って、どうだろうか?

高次脳機能障害だけでなく、私には手足の麻痺もあるので、外出の際は杖を使用しているが、目に見えない障害だけでなく、障害全般に対して「バリアフリー」にはまだまだ程遠いと感じる。

確かに昔に比べたら駅のエレベーターが増えたり、階段だけでなくスロープができたりしたかもしれないが、道路上のちょっとした段差や凹凸はここかしこにあり、「ただ歩くこと」も障害者にとっては命懸けだ。いや大袈裟ではなく。

車椅子ユーザーに至っては、さらにバリアリッチ、バリアアリーだろう。
みな健常者の時は、気づかないのだ。障害者になって初めて「やさしくない街」を実感する。私もそうだったように。

一番の問題は山田さんも言うように「人」だ。
健常者にとって障害者の抱えている恐怖やお困りごとは、想像もつかないので、自分の行動が誰かを危険に晒しているなんて思ってもいない。

街に出てもっとも困るのは、社会のルールを守れない人間の存在である。
通路に立ちふさがる人たち、どこにでも無秩序に置かれた自転車。(中略)
今日もいた、バリアな人。私たちの命綱でもある手すりを握って、立ち止まっている人だ。

「壊れた脳 生存する知」より

特別な光景じゃない。よく見るし、実際に街で遭遇する光景だ。
もしかしたら、自分も気づかずにやってしまっていたかもしれない。悪意も悪気も全くなく。健常者だった頃は。

後遺症を受け入れ、使命を果たす

この本が執筆された2004年当時、39歳だった著者は、3度の脳出血を乗り越え、後遺症による障害も受け入れていた。

私は勝者だ。人生は生きていくようになってる。(中略)自分に与えられたプログラムを、自分らしく生きることを受け入れることができたのだから。

「壊れた脳 生存する知」より

もやもや病という基礎疾患から、脳出血を繰り返してきたにも関わらず、この先の人生に向き合い、希望に満ちていた。そして、この本の執筆を機に、高次脳機能障害の認知を広げることをライフワークとし、講演などをされていた。

私は自分が脳卒中という病に倒れるまで、恥ずかしながら脳卒中という病気についてもよくわかっていなかったし、ましてや後遺症についても全く知識がなかった。

祖父を脳卒中で亡くしたが、わたしは当時まだ小学生だったし、祖父は発症後再び目を覚ますことなくあっという間に逝ってしまったから。


1年半前の2022年7月、脳出血で右肩麻痺、高次脳機能障害という後遺症を負い、SNSや本などを通じて初めて、同じような障害を持つ人たちが社会にはたくさんいるんだということを知った。

健常者だった頃には見えなかった視点を持つようになり、こうしてnoteも書いている。山田さんには及ばないが、認知を広げること、そしてどこかの誰かに役立てばいいなと思って。今日もまたどこかで、脳卒中に倒れ、途方に暮れている人がいるかもしれないから。

今、著者の山田畝子さんは4度目の脳出血に倒れ、闘病されている。
山田さんの復活を心からお祈りいたします。


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