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21才、愛猫の姿に思うこと〜50歳脳卒中で片麻痺リハビリ中〜

2022年7月6日49歳の時に脳卒中で倒れ、1週間後めでたく50歳に。
後遺症で右片麻痺になり7ヶ月のリハビリ入院。12月25日から手のリハビリも兼ねてnoteをはじめ、2003年2月10日に退院。現在は通所リハビリ継続中。これまでの経緯と入院闘病記はこちら↓

出会いは21年前

我が家には今月(2023年3月9日)に誕生日を迎え、21歳になった猫がいる。名前はレオ。「ジャングル大帝レオ」から取ってレオ。もう1匹の兄弟猫にはマオと名付けた。

2匹は生後2週間の時に浜松から東京の我が家に来た。母猫が妊娠している状態で保護され、産まれてくる仔猫の飼い主募集があり、産まれた5匹のうちオスの2匹を引き取った。東京から浜松まで車で迎えに行き、生まれる前から決めていた名前を付けた。

2匹はキジトラという種類の猫で、オスなのもあり性格は穏やか。甘えん坊で人懐っこい。特にレオは誰にでも寄って行き、抱っこして撫でてもらうのが大好き。マオは気が弱くてあまり前に出て行かないタイプ。性格は違うが、どちらも産まれてからずっと人間に育てられたので警戒心がなく、自分のことも人間だと思っているようだった。

レオとマオがうちに来た時はまだ生後2週間だったので、3時間おきに哺乳瓶でミルクを与え、食後はトイレのしつけをした。寒い時期だったのもあり、体温が下がらないようカイロで調節したり。人間の子育てと同じで、文字通り我が子同然に育てた。猫を飼い始めてから2年後、長男が生まれ、その2年後に長女が生まれる。

マオとの別れ

健康で元気にすくすくと育った2匹。初めの頃こそ動物病院で去勢手術を受けたり、予防接種をしたりしていたが、病院の先生が「完全室内飼いで外に出さないならもう予防接種しなくてもいいですよ…。」って言っちゃうような正直で優しい人なので、以来病気知らずだったのもあり病院にもかかっていなかった。

ちなみに実家でも猫を多頭飼いしており、中には体の弱い子もいたので、昔から都度この先生にはお世話になっている。今はオスのハチワレを1匹だけしか飼っていないが、わたしが子どもの頃から欠かさず猫がいたし、多い時は同時に6匹の猫たちと同居していた。最初の1匹を除き、皆もらい猫か保護猫ばかり。行き場のない猫だったり捨て猫だったり。

猫の数だけ、悲しい別れも経験してきた。猫に限らず生き物を飼うということは、最後を覚悟しなければならない。兄弟でもらってきたレオとマオだったが、マオとの別れは今から6年前、マオが15歳の時にやってきた。

猫の平均寿命は、完全室内飼いで15歳、外飼いで13歳だから、マオは大体平均くらい。人間で言うと70代後半にあたる。あれから6年。マオの兄弟のレオは、今年21歳の誕生日を迎えた。人間で言うと100歳らしい!

引越しと予期せぬ入院

そんなレオだが、さすがに21歳。もうダメかもしない…と思ったことが何度かある。(娘曰く4回らしい。)

今の家には去年の2月に引っ越したが、引っ越しが決まったのはその2年前。レオが18才の時。さすがに一緒に引っ越しはできないだろうと思っていた。ところがどっこい、確かに徐々に足腰は弱って痩せ細り、昔みたいなハリはなくなっていたけど、一緒に引越しする日はやってきた。

20年暮らした家。猫と過ごした20年の思い出が詰まった家を後にする時は、感慨深かった。(あっ、子どもたちとの思い出も詰まっていました笑)引っ越してすぐにレオが体調を崩した。3月の20才の誕生日直前のことだった。

もうダメかも…。と一時は覚悟したが、奇跡的に復活。普通の餌が食べられるまでに。そして7月、今度はわたしの予期せぬ入院。なんとか生きて会えるまで待っててくれたが、その間餌が食べられず衰弱し動物病院のお世話になったこともあったらしい。

さすがにもうダメかもしれない…

幾度かの危機を乗り越え、3月9日レオは21才の誕生日を迎えた。わたしが死の危機を乗り越え、7ヶ月の入院を経て退院したのが2月10日。その1ヶ月後のことだった。

痩せ細り、骨と皮しかついていない身体は見るからに年老いていたが、声にはまだ張りがあり餌も固形のものをしっかり食べていた。ソファの上にある猫ベッドで寝起きし、トイレと餌場までしっかり歩いていた。

ところが3月も終わりに近づいたある日、突然また体調を崩した。餌を食べられなくなり、じっと寝床にうずくまり、時々痙攣を起こし酷いと舌を出したまま意識を一瞬失う。痙攣がおさまるとヨタヨタと足を引き摺りながら歩き、水を飲みトイレでおしっこをしようとする。

もうトイレに入る力はなく、実際はその付近で漏らしてしまうのだが、それでもトイレでしようとするのは偉い。そんな状態が2〜3日続き、娘と交代でつきっきりで見ていた。

「21才だもの。もう、さすがにダメかもしれない…」と思いながら。

生きることに貪欲すぎる!!

死を覚悟して数日。その間、レオが産まれてからこれまでの日々を思い出し、感謝の気持ちを述べ、ここまでよく頑張ったねと労い涙した。このnoteも実はレオの追悼記になる予定で書き始めた。

ところが、なんと今回も持ち直したのである。死の淵から何度目かの生還。棺桶に片足を突っ込んだわたしといい勝負。いやレオの方がすごい。レオの生命力たるや。生きることに貪欲すぎる!!

わたしは昔から、太く短く生きたいと思っていた。
誰しも明日死ぬかもしれないから「今ココ」を精一杯生きる。14才の時そう決めた。過去も未来も固執しないし、いつ死んでも構わない。後悔はない。そういう生き方をしてきた。

今回のことで万が一人生が終わっていたとしても、後悔はなかった。いつ死んでも構わないくらい、毎日精一杯生きてきたから。
今でもそのスタンスは変わらないけど、死にそうで死ななかったレオとわたし。レオを見ながら自分を重ね、いろんな想いがよぎる。

人生何が起きるかわからない

どういう最期を迎えるか、どう死ぬかは、どう生きるかの延長上にある。
とはいえ、まあ人生何が起きるかわからないわけ。こう生きたいと思っていてもままならないし、死に方だってそりゃみんな理想はPPK(ピンピンコロリ)だろうけど、そうとは限らない現実を病院にいた7ヶ月間で嫌と言うほど見てきた。

かく言うわたしも、まさか自分が50才の誕生日直前で倒れるとは思ってなかったし、右片麻痺という後遺症を負うと思ってなかったし、身体障害者になるとも思ってなかったし。

それでも人生は続いていくわけで。だとしたら、わたしにはどういうリソースが残されていて、何ができるんだろうと最近よく考えるんです。横でスヤスヤと寝ているレオくんを見ながら。

まあ、当面はリハビリだなー。できることと、やりたいこと。擦り合わせつつ、ね。


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