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「私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年 」くらんけ著〜脳卒中で片麻痺リハビリ中

2022年7月49歳の時に脳卒中で倒れ入院、1週間後めでたく50歳に。
後遺症で右片麻痺になり7ヶ月のリハビリ入院。12月noteをはじめ、2003年2月に退院。現在は通所リハビリ継続中。これまでの経緯と入院闘病記はこちら↓

私の夢はスイスで安楽死


今日は2024年6月1日。
実は半年以上前に読み終わり、この記事を書いたけど、なんとなく公開しないままになっていた。

その理由は後述するとして、安楽死というテーマについて語るにあたり、わたし自身の死生観について、少し触れておこうと思う。

『いつ死んでもかまわない生き方をしよう』

そう決めたのは、14歳のある日。
中2の時だった。

なぜそう決めたのか、詳しくはまた別の機会に書くとして、とにかく明日死んでも後悔のないよう生きてきた。

別に死にたいわけじゃない。
希死念慮があるわけでもないので、ご心配なく。

2年前脳卒中で倒れ、言葉通り死にそびれたが、それでもわたしの死生観は変わらなかった。

あくまでフラット。
生きるも死ぬも凪。

生きていることに、「使命」なんていちいち大きく考えないし、死んだら無でいいと思ってる。

かつ、尊厳死については
小学生の頃から話題としては身近だった。

その理由も長くなるので、またの機会に。


と、ここからが
半年前に書いた記事↓


「いっそ死んで楽になりたい」と考えている大勢の人たち

この本は、6歳で難病を発症した筆者が、31歳になるまでの人生を綴ったもので、成長に伴う症状の悪化や学校生活について、そして「死ぬ権利」を手に入れるまでの苦労や葛藤などについて詳細に書かれている。

毎日を健康に暮らしている人々からすれば想像できないかもしれないが、世の中には、治療の難しい病に苦しみながら「いっそ死んで楽になりたい」と考えている人が大勢いる。そして、我々が生きるこの国では、そのように苦しんでいる人たちに対して死を選ぶ権利が十分に与えられていないというのもまた事実だ。

「私の夢はスイスで安楽死」より

冒頭部分の文中にあるが、ほんの1年半前まで私も「毎日を健康に暮らしている人」だったので、難病の人が抱える「痛み」が全く分かっていなかった。

身体的に壊れていくことが、どれだけ心を蝕んでいくかということが、想像もできなかったのである。

わたしは毎日を健康に暮らしていたが、昨年夏に突然脳卒中で倒れ、右半身麻痺という障害を負った。

SNSを通じて、後遺症や難病を抱えながら生きているたくさんの人たちと繋がり、葛藤や苦悩、心の叫びに触れるようになる。

「いっそ死んで楽になりたい」と考えている大勢の人たち。そんな世界線があるなんて…。

障害者になるまではどこか他人事で、大変だなぁくらいにしか思っていなかった。

後遺症を負った今でも本当に分かったとは言い難いけど、以前に比べたらだいぶ気持ちを理解し寄り添えるようになったと思う。

「安楽死」についての問題提起

この本を知ったきっかけは、テレビで見たドキュメンタリー番組だった。

今年10月に放送された『最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~』

昔から「安楽死」という方法があることは知っていたし、日本では認められていないが、合法的に認められている国があることも知っていた。

ただ実際に日本からどうやってそこまで辿り着くのか、具体的な手続きや方法については今回の番組を通して初めて知った。

自分の尊厳のために“最期を選ぼう”とする人々を通して、“最期を選ぶ”という選択肢の存在について考え、議論するきっかけになることを心から願ってやみません。

「最期を選ぶ ~安楽死のない国で 私たちは~」ディレクター山本将寛氏の言葉

最期を選ぶという選択肢。なぜその決断に至るようになったのか。

様々な事情で安楽死という選択をする人たちを通して、自分だったらとか、家族のうちの誰かがとか、想像がぐるぐると頭を巡る。

見終わった後、安楽死についてもう少し知りたくなり、検索しているうちにこの本と出会った。

安楽死の権利を手に入れスイスまで渡航したものの、死の直前で踏みとどまり、日本に戻ってきた人がいる。それがこの体験記だった。

生きることの最期に死がある

末梢神経が徐々に麻痺していってしまう難病「CIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)」を6歳で発症し、以来過酷な人生を生きてきたくらんけ氏。

幼い頃から両親と共にこの難病と闘ってきた著者だが、今のところ特効薬もなければ、効果的な治療法もない。進行していく症状と薬の副作用。

そんな中、次第に“死”に救いを見出すのは必然だと思う。

中心に自分がいないまま生かされる人生は、本当に幸福なのだろうか。(中略)頑張ることこそが美徳だと言う刷り込みや誤った寄り添いで、逃げ場を失った者たちを平気で軽んじている。

「私の夢はスイスで安楽死」より

一般的に言われる「命は尊い」。私ももちろんそれに異論はない。

ただ同じような状況に置かれた時、その尊厳を守るために、だからこその「死」があると言う彼女の主張を否定できるだろうか。

「私たちは、自分の生き方くらい、最期まで自分で決められるはずだ。」

本の最後に記された言葉に改めてハッとする。どのように生きるか(生きたいか)を考える人は多いが、その結末、最期についてまでほとんどの人は考えない。

そこで思考停止できるのは、心身ともに健康で逆に考えなくてもいいからだ。

あなたはここで死ぬべきではない

壮絶な病との闘い、学校でのいじめ、医療不信…さまざまな苦難の末、ようやく手にした安楽死のチャンス。

そしてはるばるスイスに渡り、医師立ち会いの元、薬が入ったコップのストローに口をつけた瞬間、彼女は逡巡する。

「ストップ。あなたはまだ死ぬべきではない」

医師から制止の声がかかり、安楽死は中止となった。

あんなに待ちわびていた安楽死なのに、踏ん切りはつかず、迷いを断ち切ることはできなかったのだ。

自分の命は、自分だけのものではない。
スイスでの経験を通して、私はこのことを強く実感した。自分は死んだらそれで終わりかもしれないが、家族の生活はその後もずっと続くのだ。

「私の夢はスイスで安楽死」より

実際死ぬ間際になり、思い浮かべたのは家族やペットの顔であり、自分を支えてくれた人たちを思い、死ぬことを踏みとどまった。

しかし問題が解決するわけではない。今後も特効薬ができない限り病状は悪化するし、「死にたい」という願望が消えたわけでもない。

ただ「死ぬ権利」も消滅するわけではないので、いつでも死ねるという安心感は大きいのだろう。

娘の安楽死という決断

「何をするにも、いつも娘は私の全てでした。」

本の最後に筆者の父のことばと、母のことばがある。

これはお父さんの言葉で、お父さんは娘の最期を見届けるためスイスまで付き添い、いざ薬を服用しようという瞬間を目の前で見ている。どれだけ辛かっただろう。

お母さんは娘が死ぬところを見ることはできないと、スイスに行くことはなかったが、その気持ちも痛いほどよくわかる。

私にも娘がいるが、同じシチュエーションになったことを想像するだけで胸が張り裂けそうだ。

本人の辛さは、もちろん誰も理解できないほどの強烈なものだと思う。でもわたしも親なので、どうしても親としての視点で見てしまい、ご両親の思いに胸が痛くなる。

しかし安楽死という手段を選択しなければならないほど、娘が苦しんでいることも一番よく分かっているはずだ。

堂々巡りだが、親としては「生きてさえいてくれれば」と思うし、本人からしたら「生きているだけでは意味がない」のも理解できる。

生きているだけでは意味がない?

さて、最後に自分のことについて少し書きたいと思う。

昨年夏に脳卒中(視床出血)という病気を発症し、体の右側半分に麻痺が残った。

発症時は49歳でじきに50歳を迎え、現在51歳になる。この病気の患者にしては若い方だし、手にも足にも、なんなら頭のてっぺんから足の先まで麻痺があり、中途障害者になった。

ただ病気になったことも、障害者になったことも、あるがまま。それ以上でもそれ以下でもない。

なんでわたしが…
とか悲観的になっても仕方ないし

逆に、
わたしだから乗り越えられる試練だ!
とか使命感に燃えてるわけでもない。
あくまでフラット。


ただあの日から、ガラリと生活が人生が変わってしまったのは事実で、その現実を持て余してはいる。


死ななかったから、生きてる。
朝がくるからまた毎日が始まる。

そう言う意味ではわたしもまた
「生きているだけ」なのかもしれない。

「死にたい」とも思わないけど。

安楽死を遂げた人たち


と、
ここまでが昨年書いた記事。


この記事を書いた後、また安楽死を求めてスイスに渡った人のドキュメンタリーをテレビで見た。

パーキンソン病の彼女は、スイスで願望を叶えた。


そして今年3月、日本では嘱託殺人の罪に問われていた医師が、地裁で18年の判決を受けた。被害者は難病ALSの女性。

「自己決定権は、個人が生存していることが前提であり、恐怖や苦痛に直面していても、みずからの命を絶つために他者の援助を求める権利などが導き出されるものではない」

裁判長の言葉(裁判記録より)

裁判記録も読んだが、女性がもう亡くなっている以上、全ては〜かもしれない、〜だったに違いないと想像の域を越えない。

家族にだって本心を語るは限らないし。むしろ家族だからこそ言えない気持ちはたくさんあったと思う。

彼女に限らず自ら死を望む人、そして亡くなっていく人というのは、残された人の気持ちまで考える余裕なんてないんじゃないかな。

残される人のことを考えられるならば、まだ「その時」ではないのだろう。


くらんけ氏が死の間際で、引き返してきたように。

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