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人生の軸を決めた本

活動の原動力はなに?

いろんな所で自分の活動をお話する機会を頂くのですが、参加者に質問を振ると、「その活動力の源はなんですか?」とか「なぜそこまでやるんですか?」って聞かれることがほんとに多いんです。

いつも
「地球を持続的に人が住めるようにして先の世代に届けたいから」
と答えています。

地方公務員を選んだのも、神戸市を選んだのもすべてはここから繋がっています。

ではなぜ、そんなことを思っているのか。
その原点が中学生(たぶん13歳)の時に読んだ科学雑誌「Newton」(1989年8月10日発行)の「地球クライシス 人類に未来はあるのか?」を読んだことでした。

確信はなかったけどたぶんこれって思ってました。

1989年の本を再び30年ぶりくらいでゲット!

ずっとNewtonのバックナンバーを探していたけど見つからず、つい先日、オークションで見つけてあわてて落札!ついに手に入れました!
俺の原点本!

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その中のこの「異常気象レポート'88」
これを読んだ時にあまりにショックで、
男なんだけど、「自分のこどもを生みたくない」と思ってしまいました。
わりと身内が大事という性格なので、自分の子や孫が辛い辛い環境で生活することを想像して嫌になったんです。

そこから始まる人生をかけた戦い(笑)
同世代の方にはこのての洗脳を受けて、地球環境を守るんだ!と思っている方が多い印象です。
その中でも洗脳が解けずにずっと人生の軸にして生きている僕は珍しいかもですが・・・。
高校は地元の進学校である加古川東高校の理数選抜コース。
試験の論文で「地球と私」ってテーマで書いたことだけは覚えてます。
面談で「理数コースを選んだ理由」を聞かれて、
「科学者になってオゾンホールを埋めたい!」と宣言しました(笑)

大学は環境工学がある大阪大学へ。
現役の頃はD判定でも前期後期と果敢にチャレンジして撃沈。
浪人して後期試験で大阪大学の環境工学科にようやく入れました。
でも大学は勉強しなかったので、勉強するために大学院へ。

就職先は3つの選択肢

就職は3つほど方向を見出してどれにするか悩んだ。
①環境省(当時は環境庁だったな)に行って国家プロジェクトを。
②環境系コンサルに行って環境ビジネスを。
③地方自治体へ行って環境先進都市モデルを。

①は早々に選択肢から外しました。
当時は「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」があったのでイメージ悪すぎた(笑)
そもそも国家試験うかる気がしなかったし、東京が嫌だったし。

②③で就活して、最後「アンダーセンコンサルティング」と「神戸市」で最後に選んだのが神戸市。

さて、この選択が良かったのかどうかは、これからの行動次第です・・・
でも、人生の軸として持っているものには感謝してますね。

僕が人生に求めるものはこれ!
でも
人生が僕に求めるものはなんだろう? 
ここも考えていく年になってきた。

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