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チャリダーアキの自転車世界旅行 オーストラリア一周編(8)

月への階段


 西海岸の町Broome(ブルーム)に到着する前日、空に白く浮かぶ雲を見た。7日ぶりの雲だった。空に雲があるだけで、少しだけ涼しいような気がする。日々体力を奪っていく向かい風も、多少ではあるが暑くなくなっていると思う。潮風だ。海はもう、すぐそこにある。
 
 翌日、朝4時に起きてコーヒーを飲みながら出発の準備を始める。この頃は午前9時を過ぎる頃には暑さで苦しくなるので、4時起き、5時起きは普通になっていた。
 早朝に出発したものの霧が濃くて視界が異常に狭い。前方15m~20m位から先は真っ白で何も見えない。こんな状態での走行は初めてだった。たぶん、海が近いからだ。大地や大気が水分を多く含んでいるのだろう。こんな霧であっても、この国のトラックは猛スピードで走っていて、追突されるのではないかとヒヤヒヤしながら悪い視界の中を進む。
 
 霧が晴れる頃には景色は一変していた。いつの間にか、緑の葉を付けた木がそこら中に乱立している。この辺りは熱帯気候だという。エアロバーを握りしめた僕は、バオバブの木と乾いた大地を後方に置き去りにし、緑に囲まれた道に飛び込んで行った。
 
 ブルームは小さな美しい町で、西海岸有数の観光地だ。綺麗なレストランや宿泊施設がぽつりぽつりと見て取れるが、僕が目指すのは当然キャンプ場だ。海の見えるキャンプ場には、幸いテントを張るスペースがあった。自転車から荷物を下ろしていると、
 
「アキ!!」
 
 聞き覚えのある声が聞こえた。
 クリちゃんと、ケアンズで仲良くなった友達との久々の再会だった。ブルームは小さいとはいえ、人口14000人位と言われており、町にはいくつかのキャンプ場がある。たまたま選んだキャンプ場での偶然の再会。
 
これだから旅はやめられない。
 
 出会いの神様のいたずらは、クリちゃん達との再会だけでは無かった。僕は偶然隣にテントを張っていたSくんと、必然であるかのように出会った。彼とはブルームで4日間一緒に過ごしただけの関係だけれど、彼のことは忘れられない。この先もずっと忘れることはないだろう。
 
 この日の夕方、皆で“月への階段”を見た。(海から昇ってくる満月が、干潮時の浅瀬に残った海水を照らす。海水に写る月の明かりが、満月まで真っ直ぐに伸びて階段のように見える現象。)
 満月が水平線から昇るタイミングと、干潮のタイミングが重なる特定の日にしか見ることができない自然現象。偶然今日から3日間が、それを見ることができる特別な日となっていた。
 ここまで頑張って自転車を漕いできた僕に、神様が見せてくれたご褒美だと思うことにした。
 

Sくん


 僕の隣にテントを張っているSくんとは、知り合ったばかりにも関わらず、すぐに仲良くなった。彼は自転車でパースから西海岸を北上し、ブルームまで来たという。朝食後、彼は折れてしまった前輪用のキャリアーを修理するために出掛けようとしていた。
 
 が、……  テントの前でうずくまって動かなくなってしまった。
 
 どうにも様子が明らかにおかしかったので、しばらく横になることを勧める。
 
 が、……  動かない。しばらくして、
 
「やっぱり今日は、出掛けるのやめるわ。」
 
 と言って、テントの中に入っていった。
その直後、テントがガタガタと揺れ始めた。
 昨日、彼から“てんかん”の発作がでることがあると聞いていた。“てんかん”の発作であることは分かるのだけれど、僕もクリちゃんもどうして良いのか分からない。
 
 激しくテントを揺らす発作は長く続いた。体感で10分近く続いたように思う。揺れが収まると、彼は自分の荷物を確認しているのだろうか?テントの中から、ガサガサと音が聞こえてくる。
しばらくして、
 
 “ジ-ッ”
 
 っと、ファスナーが開く音がして、Sくんがテントの隙間から顔を出した。
 
「ここ何処?」
 
「ブルームだよ。」
 
「オーストラリア?」
 
「そう。」
 
「俺、何泊目?」
 
「2泊して、今日3泊目。」
 
 彼はテントに戻り地図を眺めているが、直ぐに、
 
「誰?ここ何処?」
 
 と、同じことを聞いてきた。この会話をいったい何回繰り返しただろうか?
 
 彼は1人でオーストラリアを自転車で2ヶ月近くも旅しているのだ。日本をママチャリで一周したこともあるという。
 
 信じられない、すごい男だと思う。僕が自転車でオーストラリア一周に挑戦しているのとは訳がちがう。発作と発作による記憶障害を持つ彼が挑戦していることは、僕と比べると遙かに高いレベルでの挑戦であると思う。自分に置き換えて考えてみれば直ぐに分かる。自分がSくんだったら、海外旅行なんて出来ないだろう。彼のことを無謀だという人もいるかも知れないが、僕は違う。昨日あったばかりの彼が、どのような人生を歩んできたのか分からない。何故彼が旅をしているのかもわからない。ひとつだけ確かなことがある。

「何という途方もない勇気を持った男だ!」
 
 彼は1時間位かけて、ゆっくりと皆の名前や昨日のことを思い出していった。その後、何も無かったかのように自転車の修理に出掛けて行った。
 
 
 自転車乗りの朝は早い。ブルームを出発する日の早朝、Sくんと一緒に“朝日への階段”を見た。
 キャンプ場はまだ暗く、人の動いている気配は無い。他のみんなは、まだテントの中で寝ている時間で、起きているのは僕達だけだった。ちょっとひんやりする空気が、ちょうど日本の夏の朝と同じ様で気持ち良く感じる。少しずつ周囲が明るくなってきて、鳥たちが目を覚まし、今まさに朝日が昇ってくることを確信させてくれる。水平線の向こうから朝日が姿を現し、浅瀬の海水を照らし始めると、浅瀬に反射したオレンジ色の光は、まるで朝日に向かって真っ直ぐに伸びる階段の様に見えた。
 
(この先、きっと良いことがあるに違いない。)
 
 その幻想的な風景は、まるで僕とSくんを祝福してくれているかのように感じさせてくれた。彼とは必ず何処かで再会するはずだ。
 
 “朝日への階段”を見た後、僕は南に向かって、Sくんは東の灼熱地獄に向って走り始めた。彼の勇気と根性があれば、きっと走りきるに違いない。
 
 走り始めて直ぐに気が付いたことがある。西海岸に出たからといって、南に向っているからといって、涼しくなる訳ではなかった。これまで同様、昼には暑さで走れなくなってしまったのだ。更に強風が正面から吹き始め、自転車を押して歩き始めた。心が折れそうになっていると、クリちゃん達が車で追いついて来た。
 
(いったい何回会うのだろうか?腐れ縁があるとはいえ、さすがに今回が最後かもしれないな。)
 
 1分程度の再会ではあったけれども、何はともあれ、冷たい水を飲ませてもらって生き返る。
 
「ありがとう。元気出たよ!」
 
 再び自転車に乗り、南に向って走り始めた。
 
 
 
 1ヶ月後、Sくんから帰国すると連絡が入った。
 
「病気と向き合おうと思う。」
 
 というような内容が書いてあったと思う。僕は日本に帰ったら彼に会いに行くことを楽しみにしていた。
 
 Sくんが亡くなったのを知ったのは、僕が旅を終え帰国してから間もなくのことだった。亡くなった理由は今も知らない。
 
「この広い世界で、たまたま隣にテントを張っていただけの関係のSくん、君に出会えたという奇跡は今でも僕の宝物だよ。生まれ変わったらまた会おう。できればまた、旅の空の下で再会しよう。語り合いたいことが山ほどあるよ。」

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