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コースの観点から見た「引き寄せの法則」についての考察

引き寄せの法則のしくみ

私たちは、すでに終わったドラマを見ているにすぎません。

この人生というものは、非二元/真理から見るならば、そういうものです。

私たちは、本当はすでに時間の旅を終えたところから、過去の記憶として、すでに終わったこととして、この「人生」を見ているだけです。

本当の私たちである真の自己は、時間と空間(時空)の外にいるのだということ、そして、そこから夢のドラマ(ストーリー)を見ているだけなのです。

ただし、私たちは夢のドラマの主人公と同一化してしまっており、その真実をすっかり忘れた状態になってしまっています。

そう、夢の主人公、つまり、ドラマの「主人公」は、この人生のドラマにおいて未来に何が起きるのかは知りませんし、さらにいえば、現在の自分の如何によってその未来を変えることができると信じています。

なので、ドラマの「主人公」は、この人生というドラマをもっとより良いものにしようと、「引き寄せの法則」なるものを使って、自分の人生をコントロールしようとします。

そして、ときには願望が叶ったりして、あたかも人生を思い通りにコントロールしているかのような錯覚を起こすのです。

自分が「引き寄せの法則」を使ってその現実を引き寄せたかように思うわけです。

でも、それがすでに決まっていること(ストーリー)が起きているだけということには、まったく気づいていないのです。

じつのところ、起きるすべて(ストーリー)はすでにシナリオどおりに起きているだけであるにもかかわらず、自我と同一化してしまっている私たちはその真実を知ることもなく、この世界のドラマに振り回され続けていることにまったく無知な状態になっているのです。

たとえ仮に、「引き寄せの法則」なるものを使って思い描いたイメージ通りの現実を引き寄せたかのように思えたとしても、思い描いたそのイメージそのものが、そもそもはそうなる未来の記憶(シナリオ)を無意識の部分で覚えていて、それをただ思い出していただけなのだということです。

言い換えるならば、人生のドラマの中にそのような記憶(シナリオ)がないならば、当然、いくら「引き寄せの法則」を使って思い描いたシナリオを引き寄せようとしても、無理なものは無理だということです。

引き寄せに成功した者たちというのは、自分で願望して未来を引き寄せたのではなく、その願望自体がすでに「未来の記憶」としてあったのをただ思い出していただけであり、起きるべきことがただ起きたにしかすぎず、引き寄せたわけではないということです。

すべてが、自我のトリック、自我(二元性)による錯覚でしかないということです。

何度も申しますが、私たちはすでに終わったドラマを見ているにしかすぎないのです。

リニアに時間が流れていると錯覚しているだけです。

それを「人生」と呼んでいるだけです。

時間というもの自体が、すべて過去です。

すべて終わったことを旅を終えたところから見て(リピート/再生して)いるだけです。

たとえ、これから起こるであろう未来も、すでに終わった「過去」にしかすぎません。

私たちは、ただ過去を見ているにしかすぎないのです。


私は過去だけを見ている。(W-pI.7)

奇跡講座/中央アート出版社


引き寄せの法則の成功者は「自分は成功した、良き人生をうまく引き寄せた」というふうに思っているかもしれませんが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、まったく自我の知覚による錯覚だということです。

つまり、「引き寄せの法則」とは、あらかじめそのような人生になることになっていただけのことでしかないということです。

自我は、ストーリーが大好きなのだといえましょう。

自我は意味などないストーリーに意味付けをしたくなるわけです。

それがこの世界にいる私たちだといえましょう。

コースの教えが根付いていくにしたがって、つまり、正気(正しい心/聖霊)の思考体系へとシフトしていくにしたがって、そういうことがありのままに見えてくるようになります。

人生の仕組み、この世の仕組み、そのメカニズムが明らかになってくるということです。

言い換えるならば、その仕組みを完全に知り尽くさないかぎり、私たちがこの世界から自由になることはけっしてないといえましょう。

コースはその仕組み(メカニズム)を心理学的側面から解明してくれているスピリチュアリティだと言うことができます。

そう、コース学習者の私たちはそれを完全にマスターすることを目指して、コースというスピリチュアリティの道を歩んでいるのだということを覚えておきましょう。


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