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たとえできないとしても、できるようになるためにそこから練習していくほかありません

私たちに求められているのは正直になること

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を真摯に実践してみれば分かることですが、コースで述べられている通りに、あるいは、ワプニック博士が伝えてくれている通りに、私たちはそれを実践しようとしても、そうそう実践できるものではありません。

コースを理解するようになればなるほど、そのことを自覚させられます。

せっかく学んでいるのに、学んだことをまったく日常に適用していなかったり、赦しを実践しようとしても、なかなか裁き、攻撃がやめられなかったり、いざ教師を選び直そうとしても、自我にしがみついている自分、自我を手放そうとしない自分、聖霊を拒絶している自分、、、

そういった自分を自覚するようになります。

できない自分、というようりも、やりたくない自分、やろうとしない自分と言ったほうが正直な言い方でしょう。

じつのところ、その自分こそが自我なのです。

それがどういうことか?というなら、つまりは、私たちはまさに自我になってしまっているということです。

ですから、実際の実践では、その自分(自我)を咎めずに見ることをしていくのが、私たちがコースの日々の実践でしていくことだということです。

ここで大事なのが、その自分(自我)を裁く必要もなければ、どうにかしようとする必要はないないということです。

もしどうにかしようとするなら、ますます自我と闘うことになるばかりでなく、自我を実在化させることにパワーを注いでいることになるということを知っておくとよいでしょう。

コースのイエスも、ワプニック博士も、私たちがコースが述べるとおりに実践できないことをあらかじめ分かっているということです。

そう、そのうえで、ワプニック博士は以下のように述べています。


”そして私たちがイエスに差し出すよう求められているのは「正直さ」です。その正直さとは「私がこれをでっち上げているけど、手放す気はありません」というものです。しかし、少なくとも自分がこれをでっち上げているという事実を知っていることは、ゆくゆくそれを手放していくための重要な「最初のステップ」になります。このコースが非常に穏やかである理由は、自分に準備が出来ていないことを行うよう求められている訳ではないからです。たとえ、それが教える内容が非常に権威があり、教えの内容に妥協の余地が一切ないとしても、これらの教えの適用にあたっては、非常に穏やかなものだからです。”

ーFACIMサイト Watching with Angels – Part 2 of 2よりー


コースのイエスが教える通りにはできない、ワプニック博士が教える通りにはできない、、、それができないとしても、それは当然なことだということです。

それというのも、私たちは自我の思考体系と同一化してしまっており、自我そのものになってしまっているからです。

ですから、なかなか学びと実践ができないというのは、けっして驚くことではありせんし、もちろん、そのことを裁く必要もないということです。

私たちがしなければならないのは、そのことにただ正直になることです。

聖霊やイエスに対して正直になること。

それが、「聖霊(イエス)と共に自我を見る」ということであり、「聖霊(イエス)のもとに自我(幻想)を運ぶ」ということの意味です。

私たちに求められているのただそれだけです。

ときに、コースのイエスが教えていることやワプニック博士が教えていることが権威的であったり、そこには一切妥協の余地がないゆえに、厳しいと感じたりすることもあります。

このコースの歩みが、そのように感じられることもあるでしょう。

でも、そのことについてワプニック博士は、

”自分に準備が出来ていないことを行うよう求められているわけではない”

と云ってくれています。

さらには、このコースは優しい霊性の道だとも教えてくれています。

”他の一元論のスピリチュアリティ(霊性の道)と比べるなら、コースの教えの適用していくやり方は、非常に穏やかなものである”

と。

コースは、あなたに強制しているわけではありません。

もしそう感じるとしたなら、他の誰でもなく自分でそうしているのだということを自覚しましょう。

それは自我と同一化している自分が、たんに真理に対して抵抗しているだけなのだということです。

真理に対して抵抗するのは当然のことなのだということです。

その自我に気づいていくことがとても大事なのです。

その自分(自我)を咎めずに見るということ。

自分の内側に正直になること。

それが、私たちがしていく実践です。

コースの学びと実践において、困難だと感じるとき、つらいと感じるとき、そういうときこそ、自分に優しく、親切に、地道に、という気持ちを忘れずにこの霊性の道を歩んでいくと良いでしょう。


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