「想念はその源を離れない」の意味?
原因と結果は離れない
想念はその源を離れない。
それはどういう意味なのか?というなら、いわゆる、原因と結果は離れないということです。
つまり、主体と客体は離れていないということであり、それらは別々なのではないということです。
それが、非二元というものです。
そもそもが分離していない、すべては一つである(一なるものである)ということです。
それを、「ワンネス」と呼んでいます。
つまり、知覚しているもの(主体)と知覚されるもの(客体)とは離れていないのだということです。
要は、外側に知覚しているこの宇宙空間のすべては、この主体である自分からは本当は離れていないのだということです。
自分(主体)から離れているように見えているのは、「投影」という仕掛けによってそのように見えているだけなのです。
想念はその源を離れない。
それが真理だとするなら、この宇宙空間のあらゆる場所(局所)は「ここ」なのだということになります。
つまり、あらゆるところが「ここ」であり、ぞれが日本のどこかであろうが海外のどこかであろうが、遥か遠い何万光年も離れた天体がある場所であろうと、そこは「ここ」なのだということになります。
すべてが「ここ」であり、すべてはいま「ここ」にあるということです。
その「ここ」と呼んでいるものが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)で「心」と呼んでいるものです。
いわゆる、時間も空間も超えた場所のことです。
あらゆる局所が「ここ」であるならば、
言い換えるなら、この心の自分(主体)はこの宇宙物理空間のどこにでも臨在していることになります。
自分はどこにでもいる。
それが意味するのは、私たちは心である自分の姿を外側にあらゆる形態の象徴として映して見ているだけなのだということです。
そして、実相(真理)からみるならば、その自分(主体)すらも、知覚しているように見ているそのすべて(客体)も、まったくの嘘(非実在)なのだということです。
そのことに気づいている視点こそが、聖霊の視点というものです。
私たちは、その視点(聖霊の視点/悟りの視点)を思い出すために、コースを学び、そしてコースを実践しているのだということです。