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コースの学びが進んでいくとどんなふうになっていくのか?


忘却のベールが持ち上げられていくとき

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びが進んでいくとどのようになるのか?

ということでいうなら、自分の内側の罪、罪悪感、恐れというものがもっと頻繁に湧き上がってくるようになると言うことができます。

いわゆる、内側に内在しているものに対して微細になっていく、というふうにも言い換えられます。

言い方を換えるなら、光に近づくにつれて真理に対する自我の防衛(抵抗)も強くなっていく、というふうにも言うことができます。

それは当然のこととしてそうなっていくと知っておくといいでしょう。

というのも、無意識に隠されていたものが明らかになっていくわけですから。

自覚されていない「心」がもっともっと意識化されていくということです。

そう、「心」が意識化されていくにつれて、その「心」は罪、罪悪感。恐れの夢の真っ只中にあり、そこはまさに「殺すか?殺されるか?」(M-17.7:11)の戦場であることが認識されていくということです。

コースでは、それを「忘却のベールが持ち上げられていく」というふうに表現しています。

本当は、コースを学んでいようがいまいが関係なく、罪、罪悪感、恐れといったものに私たちは常に苛まれているわけですが、コースの学習者は心に戻る訓練をしていくので、学びが進んでいくにつれて、それが顕著に実感として感じられるようになるわけです。

つまり、コースの学びが進んでいくそのプロセスにおいては、不安定な時期を過ごすことになるといえましょう。

その時期を過ごすことによって、自我を教師としているかぎり、つまり、教師を選び直して思考を逆転させていかないかぎり、心に平安がないのは当然のことである、ということを学んでいくことになります。

つまり、愛か?殺害か?というくらいに、その両極が極端に感じられるようになっていくということです。

そう、その段階にまで達しているコース学習者であるなら、あるいは、コースの思考体系が根付いてきている者であるなら、その不安定さを受け入れて、むしろ、それらを使って真の自己を思い出すきっかけとしていくようになっていくといえましょう。

つまり、赦しのレッスンという訓練が妥協のないものになっていくということです。

そして何よりも、そのような進歩したコース学習者は、動揺を嫌なものとしては捉えなくなっていくと共に、それを「愛の呼びかけ」として捉えるようになっていきます。

いわゆる、知覚が逆転されていく、思考が逆転されていくということです。


目的が一つの目的へと定まっていく

コースの形而上学に基づいて自分の内側を観察していくとき、自分は一日中、自我の声と共に過ごしていることが自覚/認識されるようになります。

自分は誰かや何かに対して常にジャッジ(裁き/価値判断)している、つまり、自分は常に自我を教師としていることが自覚/認識されていくわけです。

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コースをもっと深く理解していきたい方へ。コースの学びが進んでいくとどうなっていくのか?というテーマで、もりG自身が体現した実録レポートとして、一般には公開できないDeepな話が書かれているコラム集です。

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