この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして
コースに対する思い入れの変化
2023年を迎えました。
これまでコースの学びや実践についてあれこれと綴ってきました。
コース(奇跡のコース/奇跡講座)とは、どのようなものか?
というテーマで、私自身が学んだことを整理するつもりで書き綴ってきたわけですが、コースの学びが深化していくにつれて、若干、自分の中においてコースに対する思い入れが変わってきたように感じる次第です。
というのも、コースが教えていることの理解が深まれば深まるほど、むしろ、コースに対する思い入れがなくなってきているのです。
つまり、コースに対しての「特別な想い」というものが失せてきているのです。
でもそれは、むしろ良き兆候だといえるでしょう。
むしろ、喜ばしいことだと。
コースというスピリチュアリティを特別視しなくなってきたことが、その学びが進んでいる証拠だというふうに捉えることができるからです。
コースが真に学ばれていくにつれて最終的にはそうなっていくということが、コースの中で述べられています。
わきまえておかなければならないのは、最終的にそうなっていくということであり、もちろん、実相世界に至る(悟りが完成する)までは学びと訓練は終わらないということを見逃してはなりません。
無論、まったく空にしてすべてから自由になっているならば、もはや、学びも訓練も必要ないというのは言うまでもありません。
そうでないならば、学びと訓練をしていく必要があることに変わりないということです。
コースだけが唯一の非二元のスピリチュアリティではない
コースに対する私自身の思い入れの変化として明らかに変わってきた想いは、非二元のスピリチュアリティ(霊性の道)を歩んでいく上で、コースだけが唯一の非二元のスピリチュアリティだというわけではないということです。
非二元のスピリチュアリティはコース以外にもさまざまに存在しているわけで、結局のところ、コースはその中の一つの霊性の道にしかすぎないのだと、ますますそのような捉え方になってきたということです。
コースでなければならないというわけではない、という思いと共に寛容さが私の中に生じてきたということです。
コースの学びが深化していくにつれて、コースという霊性の道についてよりそう思うようになってきているという意味では、まさにコースは不思議な霊性の道としか言いようがありません。
それというのも、形而上学に基づいて実践して生きるにしたがって、所詮、形而上学は形而上学でしかないことが理解されてきたからです。
とは言いましても、私がこれまで探究してきたスピリチュアリティの中でも、心理学的な側面から述べられているコースのその形而上学(内容)は、かなりの優れモノであることは言うまでもありません。
だからこそ、コースという霊性の道を学び続けているわけです。
そう、コースというスピリチュアリティに対する思い入れはますます失せてきているわけですが、結局のところ、これからもコースの歩みを止めることはないのだろうなとも思います。
なぜなら、私の学びと実践は完成したわけではないからです。
ですから、これからもその学びと実践は続いていくことに変わりないと思います。
あくまでも、コースは一つの霊性の道にすぎません。
そのような考え方は、とても大事だといえます。
なぜなら、コースの学習者(実践者)ではなく、コースの信者(信奉者)になってしまいかねないからです。
そうなってしまうならば、カルトへと発展しかねないことを知っておく必要があるといえます。
ただ、コースが真に学ばれていくならば、そうはけっしてならないどころか、むしろそういうものからまったく自由になっていくはずです。
逆の言い方をするなら、コースを神聖なものとして崇めたり、絶対視しているとするなら、コースが教えていることが正しく学ばれていないと言うことができましょう。
それというのも、コースが学ばれていくなら、コースも含めて、この世界に神聖なものなど一つもないということが分かるからです。
真の神聖さ(聖なるもの)はどこにあるのか?
というなら、あらゆるものを手放して、両手をまったく空にしたところにあるのだということです。
コースは、あらゆるものを手放して、両手をまったく空にしていくことの重要性を私たちに教えてくれているます。
その学びが深化していけばいくほど、そのことが明らかになっていくとともに、それだけを望むようになっていくといえます。
それは学びが深化していくにしたがってそうなっていくようにカリキュラムが組み立てられているからであり、実際にそうなっている自分を実感している次第です。
そういうことから言っても、このコース(奇跡のコース/奇跡講座)という霊性の道は他には見ないかなりの優れモノだと言うことができるでしょう。
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