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「起きることが起きているだけ」と分かっていても、それだけでは何の助けにもならない


起きることが起きている

この世界の中で私たちが経験していることは、真理から見るならば、すべてあらかじめ自分で設定していることを経験しているにしかすぎないといえます。

非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティでは、それを「起きることが起きているだけ」とか「自作自演」というふうな言い方をしています。

そのことについてコース(奇跡のコース/奇跡講座)ではどのような言い方をしているか?というなら、「すでに終わった過去を見ているだけ」(W-p1.7)というふうに述べています。

ワプニック博士の言葉を使えば、「私たちはすでに撮り終えたドラマを見ているにすぎない」というふうな言い方もします。

ようするに、この世界で私たちが経験していることは、すでにストーリー(シナリオ)の決まっているドラマを再生しているにしかすぎないということです。

ですが、ここで私たちが正直にならなければならないのは、実際のところ、私たちの内側ではまったくそのようには思っていないということです。

目の前に起きている人生が、でっち上げられたドラマ(映像)だというふうにはまったく捉えていないわけです。

むしろ、自分で人生をどうにかしなければならない、自分で人生をコントロールしなければならないと思っているわけです。

そう、自分たちが経験していることがまるで現実であるかのように信じています。

この世界は本当に実在しているのか?現実なのか?ということについて、まったく疑いの余地すらありません。

私たちは無自覚的にそのように信じ込んでしまっているわけです。

つまり、それが何を意味するのかというと、

そういったことにまったく無自覚になってしまっているということ、
それゆえに、この世界のドラマに囚われてしまっているということ、
そして、それこそが苦しみの原因なのだということ、

といったことに私たちは無智な状態になっているということです。

そして、コース(奇跡のコース/奇跡講座)は、そういうことについて私たちが自覚/認識できるようになるために導いてくれているスピリチュアリティ(霊性に道)であるといえます。


この世界の夢から目覚めていくための方法

私たちがコースを実践していく上で気をつけなければならないことがあります。

それは、非二元の教えやコースの教えに少しだけ触れると、私たちは、これはドラマだから、この世界は幻想なのだから、、、というような言葉をまるで言い聞かせていくような実践をしがちになるということです。

コースの実践において私たちがしていく実践はそのようなものではないということを理解しておく必要があります。

むしろ、すべてが自作自演のドラマだから、、、と、そのことを知的理解で分かっているだけでは何の助けにもならないというのは、コースを実践している者であるならば、誰もが経験的に分かることです。

そう、コースの実践は、「これはドラマだ」というふうにこの世界や自分が経験していることをむやみに否定していくようなものではないということです。

もしそのような実践をしているとするなら、それはただ否認しているだけで、無益な実践をしていると言うことができます。

コースではそれを、「否定の中でもとりわけ無価値な形の否定」(T-2.Ⅳ.3:11)というふうに述べています。

では、私たちはコースの実践において何をしていくのか?

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