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たとえ「私は平安です、私は幸せです」と言っているとしても

不安定な感情になったり、動揺したりするのは当然なこと

この世界にいる誰もが心の奥底の中には「恐れ(罪、罪悪感)」を隠し持っているといえます。

言い換えるならば、「恐れ(罪、罪悪感)」というものがあるから、私たちはこの(分離の)世界に居るのだということです。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになると、そういうことが分かってきます。

そう、たとえ「私は平安です、私は幸せです」と言っているとしても、自分はこの世界の中にいると信じているなら、その内側では恐れ(罪/罪悪感)が否認、隠蔽されているということです。

そして、私たちコース学習者は、その内側に隠された恐れ(罪/罪悪感)を直視していくことが求められているということです。

それが意味するのは、コースの道を歩み進めていくとき、私たちは必ず、「恐れ(罪、罪悪感)」と向き合うことになるということです。

つまり、コースを学んでいくことで、不安定な感情、不安定な感覚が顕わになっていくといえます。

具体的に言えば、身の回りの状況が一見悪化したかのように見えたり、理由もなく心が不安定になったかのように感じたりするということです。

ワプニック博士は、そのことについて以下のように述べています。

「コースを学んでいくにつれて、身の回りの状況が一見悪化したかのように見えたり、理由もなく心が不安定になったかのように感じたりすることはあります。ですが、そうなることは、コースの学びが進んでいる証拠であり、そういうことがないとするなら、コースの学びが進んでいないといえます」と。

つまり、コースの学びの過程において、不安定な感情になったり、不安定な感覚になったり、動揺したりすることは当然のことだということです。

というのも、この世界に居ると信じている私たちは分離、個別性、個人性という自我の思考体系を信じているわけですから、当然、内側には「恐れ(罪、罪悪感)」が隠されていて、それが顕わになっただけのことだということです。

ただ、コース学習者である私たちが覚えておかなければならないのは、むしろ、それを使って赦しのレッスンとして、それらと向き合って(直視して)いくことをしていくのだということです。

コース学習というものはそういうものであるということをしっかり理解しておきましょう。


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