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この世界は罪悪感により狂ってしまった者たちによる妄想的体系である

この世界にいる私たちはみんなまともじゃない

「自分は人間である」「この世界は現実である」と信じていることが何を意味するのか?

というなら、「私たちは一なる神のひとり子である」という真理を否定しているということであり、

偽りの自分をアイデンティティーとしてしまっているということです。

つまり、偽りの自分(自我)と同一化してしまっていることを意味します。

この世界にいる私たちはまさにそのような状態になっていると言うことができます。

それが何を意味するのか?というと、私たちはもはや心が分裂しており、病んでいる、狂ってしまっているということです。

というのも、もはや自分が誰なのか?をすっかり忘れて見失ってしまっているわけですから。

そして、真実(真理)ではないものを信じてしまっているからです。

そう、この世界にいる私たちはみんなまともじゃない、正気じゃないということです。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、私たちはみんなすでに狂ってしまっている(狂気だ)というわけです。

そのことにちなんで、ワプニック博士はこう云います。

「この世界に普通の人(ノーマル・ピープル)なんて、一人もいません。普通の人であるなら、もはやこの世界にはいません」と。

この世界にいる私たちはみんなまともじゃない(アブノーマル)ということなです。

ようするに、この世界にいる人たちはみんな狂っている人たちの集まりでしかないわけです。

そのことについて、コースの中ではこのように述べらています。


”あなたが見ている世界は、罪悪感により狂ってしまった者たちによる妄想的体系である。この世界をよく見なさい。そうすれば、その通りだとわかるだろう。”(T-13.In.2:2-3 )

奇跡講座/中央アート出版社


真理から見るならばそうであるにもかかわらず、ほとんどの人たちは自分についてどう思っているか?というならば、

「自分はまともだ」「自分は正気だ」と思っています。

そして、外側の人を見ては、「あいつは間違っている、あいつはまともじゃない」と裁いています。

そのようにして、裁き(ジャッジメント)、攻撃はやめられないわけです。

私たちは、この世界の夢の中でお互いにそういうことを当たり前にやり合っているのです。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)では、そのような関係性を「特別な憎悪の関係」と呼んでいます。

そして、コースが教えている通りにありのままに見るなら、この世界はそういう世界だと認識することができます。

実際、コースの実践を通してそのことが学ばれていくとき、ようやく私たちは「自分自身もまともじゃない」「この自分も自我である」ということを自覚するようになります。

いわゆる、自我の狂気の思考体系と同一化していることが自覚/認識されていくことになります。

そう、自分が見ているこの世界は夢であり、その夢を作り出しているのは自分だったと、自覚されていくわけです。

自分こそがまさに狂気の状態であり、その自分(自我)が作り出したこの夢の中にまともな者など誰一人いないのは当然なことだと理解されるということです。

そいういうことが体験的に理解されていくとき、裁き、攻撃、怒りがいかに愚かなことか!そして、裁き、攻撃、怒りはけっして正当化できないということが本当に分かってきます。

つまり、この世界はそのような狂った者たちの妄想体系でしかない(T-13.In.2:2-3 )ということが認識されていくわけです。

そうなっていくとき、この世界の夢から目覚めることへのあなたのモチベーションはもっともっと高まっていくことになるといえます。

言い換えるなら、そのモチベーションなしに、この世界の夢から目覚めていくことはけっしてあり得ないといえるでしょう。

ですから、コースのイエスは、この世界とはいったいどういうものか?について、悪夢、戦場、地獄、牢獄、賭殺場、、、といった言葉を使って私たちをこの世界の夢から脱出する方向へと促してくれているといえます。

そう、私たちはコースを通してそのことについてもっとしっかり学んで理解していく必要があるだけでなく、実際の実践においてそれを認識していくことが求められているということです。


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