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酒を辞めるための無駄だった努力(1):高い酒なら減酒できるのでは?

お酒を辞めて もう3年が経過するが、実のところ お酒は25年以上ずっと、ほぼ毎日飲み続けてきた
呑まなかったのは 酷い二日酔いのときと健康診断の前日、あと夜勤中ぐらいだ(なお、そのうち健康診断も二日酔いで行くのが恒例になった)。

今までの生き方を振り返って、タバコは比較的かんたんに辞めれたものの、酒からは長年 自由になることができなかった、と感じる。

ハードボイルド小説っぽく書くなら…
「酒も悪女も、その魅力は抗いがたいけれど、扱いは難しい。」どちらにも賢く対処しなければ、翌朝には必ず頭痛が待っている。
離れたいと思っても、それができないのが人生というものだ…。

そんな悪女のような酒と別れるために、色々 工夫してきた健気な作戦を気が向いた時に書いてゆく。そんなシリーズの第一弾。

■高価なお酒なら飲酒量をコントロールできるんじゃないか作戦

もともと、私は酒をただの酔っ払うための道具として利用しており、「複雑な味の違い」を楽しむ方々とは一線を画して生きてきた。そう考えると、この辺から 私の孤独な(無粋な)一人飲み人生が始まっているとも言える。
そんなこともあり、高価な酒の味を味わおうという気もなかったので自分で高価な酒を買うことはなかった。

唯一自分の中で高価なお酒として入手できたのは 知り合いからもらった「久保田の千寿」ぐらいであった。

まだアルコール依存症になる前の 20代の頃は 地元の仲間から「クボタノマンジュっていう高級のお酒があるらしい」と聞いたことがあり、「ハイソサエテーなひとはクボタノマンジュを飲む」というイメージを持っていた。

そんな 久保田酒造の「千寿」というお酒をもらって心が弾んだ。
萬寿と千寿があるらしいが、詳細はよくわからない。その日は特別な気分で、ちびりとだけ味わい、後はキッチンの奥へとしまいこんだ。そして、いつものルーティンに戻り、いつもの安酒を手に入れて一晩を過ごした

そのまま台所の奥でずっと出番を待つ千寿。

リスが森にどんぐりを埋めて忘れてしまうように私も 台所のシンク下に大切にしまって忘れてしまう。

つまり、高価なお酒をもらっても この日それを味わうことなく安酒に走ってしまったことで 以降 久保田の千寿を試す機会はなかった

なお、この久保田の千寿は、受け取ってから20年以上経った後、ようやく奥から取り出された(それは、私が断酒を決意した特別な日の事だった)

残念ながらこの日、千寿はグラスに注がれる運命にはなかった。
結局、他の酒と共に台所のシンクで流されてしまうのだが、これは また別の記事に書くことにする。

結論:高い酒をちびちび飲むということで減酒できるか?という手法は 結局試す機会がなかった。大酒飲みは 「いつもの安酒」に帰ってしまう習性があるのだ。


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