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日記のようななにか 2023/9/21~9/30

「日記のようななにか」というシリーズを始めて1か月、とりあえず一区切り。またそのうち始めるかもしれない。基本的にはその日の出来事や考えたことを書く「日記」に似ているが、積極的にうそや妄想を盛り込んでいくことで別の世界と繋げている。本当のことしかかかない日もある。だから「ようななにか」なのである。

2023年9月21日

新しいYouTubeチャンネルを公開した。「やりましょうよ」と声をかけてから公開までなんだかんだで3か月かかってしまった。その間に日本はカーッと熱くなって、これからは少しずつ涼しくなっていくようだ。

動画のアップロードはデジタルとアナログの融合したものだ。作ったデジタルデータをまず専用の機械に移す。そうして攪拌ボタンを押すとデータがこなれて滑らかになってくる。ちょうどいいころ合いでボタンを再度押して止めなくてはならないので、ここに動画アップロード職人の腕の見せ所がある。

機械の横にはハンドルがついており、それをくるくるとまわせば動画がシート状に加工され五月雨式に出てきて、導かれるように上空に登っていく。長さにもよるが、アップロードの途中でだいたい見えなくなってしまうので少し不安になる。ドラフト状態から高解像度に処理され、端末から細かい設定をクラウドへ送れば完了だ。

晴れて動画は公開されるのである。

2023年9月22日

雨の降る音を聴きながらPCの前に座っていた。いろいろ思うところあって、気持ちは緊張して落ち込んでいた。

だいたいこういう時にどうしたらいいかわからない。いや、どうなったら元気になるかはわかっているのだが、自分で工夫できるものではなく人からのアクションに左右されており、何がその時私を癒して「良い状態」に戻してくれるのかは見当がつかないのだ。

SNSの書き込みを眺めていて、目に浮かんだ最近の出来事があった。それは私にとってとてもいい思い出なので「ああ、あれは良かったなあ」と思いながら何気ないリプライを付けた。
すると先方からも、私が思い出したものと同じものが見えているとわかる返信が来た。

単純なもので「ああ、確かにこの人とその時間を共有したんだなあ」と思えたことで私はすっかり元気になったのだった。

2023年9月23日

夕方、外の空気が吸いたくて散歩に出た。クリーニングの受け取り時間ぎりぎりまで近所を散歩した。

新築ビル工事現場の横を通りながら良くないことを考えていた。気持ちを整理しながら昇華するために短歌を作った。

用事は済ませたがまだ物足りなかったので、荷物をいったん家に置いてから再び外へ飛び出した。手ぶらでスマホだけポケットに入れて、サンダルでホテホテとあるく。すっかり暗くなっていて、暗い住宅街で家々の窓の灯りを見るのが好きな私はどんどん静かな道を選んで進んだ。

庭の塀の上に突き出している樹木のあたりから、生き物が出してるとは思えないほど安定した高音の「虫の声」が聞こえた。電線から出てるんじゃないか?と思ってしまうほどだった。

夜の公園にも虫はいて、さっきほど機械的じゃないもののあちこちから虫たちが呼応していた。
またひとつ短歌を作った。

短歌のために感情や情景から言葉を探して考えて組み立てることは、良くない考えにとらわれた私の気をそらして整えてくれるような気がする。

2023年9月24日

金策を考える。使い切ったら稼ぐだろうと思っていたのに全く稼ぎ始めない。他人事のようだが私自身のことだ。

なにか安定収入を得たい。いろんな仕事を考えてみるが、どうしても「もっと面白いことで稼げそうなんだけどなあ」と思ってしまう。それをもう10年もやっているというのに……

「かたつむりのねばねばしたところをエスカルゴしないか?」と誘われたこともあるが断ってしまった。やはりリスクが大きすぎる。
大根おろしの汁で機密文書を作る仕事も、ミカン汁のあぶり出しのほうが好きだという理由で断ってしまった。仕事を選びすぎているのかもしれない。

唯一、ヤドカリマッチングサービスのスタッフはやりたいとおもった仕事だ。センターに保管されている貝殻から、ヤドカリの成長速度に合わせて機能的なヤドを選んであげる仕事だ。あれは楽しそうだった。でも賃金がやすく、交通費が出ないので見送ってしまった。

求人誌に「りんごのボケ鑑定士」の募集があった。信州育ちの私になら……いや、難しい仕事だ。やめておこう。もっと簡単な仕事はないか……私にもできそうな……

2023年9月25日

私はくだらないものやくだらないことをするのが好きだ。

もちろん、本当に「何の意味もない」「意味が薄い」ものが好きというわけではなく「くだらない。くだらないが……光って見えるぞ」と私が見つけたもののことが好きなのだ。

くだらないといってもダメなわけではなく、つまり「誰から見ても有意義であったり、必需品というわけではないがあったらうれしいもの」のことだ。私はそれを作っていきたいし、それをそばに置いておきたいといつも思っている。

私が好きなもののことをもっと深く知って、誰かから「そのくだらないものに良いところがあるのか?」と問われたら、私は目を輝かせてその魅力を語れるようになっておきたい。

2023年9月26日

今日は応援しているカフェの決算報告会というイベントに行った。いろんな条件が重なった結果、ここのところあまり売り上げが良くないという話だった。

イベント終了後、オーナーが「ゴミがあるんですよ。いいゴミなので買いませんか」と会場内の人に声をかけた。

「一番大きなゴミをください」まずそういった人は大きなゴミを買っていった。オーナーは「大きくても値段は同じだから。お得ですよ」と言う。

わたしも「三角形のゴミがあったら欲しい」と声をかけると、オーナーが「これなんかどうですか。こっちもかっこいい。これは欠けているな……これはクリシェ。クリシェな三角形のゴミです」と次々見せてくれた。

「では、”オーナーが選んだ三角形”をひとついただけますか」とお願いして、オーナーが選んでくれた三角形をレジに持っていった。

レシートには「三角形(壁)1点 ¥1,000」と書いてあった。

妄想のようで、事実手元には三角形の「オーナーが選んでくれたゴミ」があるのだ。

2023年9月27日

毎日書いていた日記を書くのが止まってしまうきっかけはいろいろある。

「今日のことは記録したくないなあ」と感じる日は日記をつけるのがとにかくおっくうになる。

楽しすぎて日記を書く暇がないときも日記は止まってしまう。あんなに楽しかったのに、振り返るためには日記が必要なのに、何も書いて無いわけだ。

つらいことも楽しいことも、その時は「こんなに心が動いているんだから、今日のことをわすれっこない」と思うのだが、私の経験ではどちらも「わりとすぐわすれる」。

日記はつけたほうがいい、できるだけ記憶が新鮮なうちに、忘れたくないものも忘れても構わないささいなものも。

2023年9月28日

漫画を描いている。

漫画を描くときは本当に考えることが多い。もう長い間描いているせいで、これがどれぐらい大変なことかよくわからなくなっているが、白紙に絵を描いて誰かが読んで内容が伝わるようにするのは大変だ。

漫画を描くことが決まってる分、決めることは一つ減っている。本来なら同じ内容でも「文章にするか、漫画にするか、動画にするか」など表現方法から決めなくてはいけない。

漫画を描くと決めても、紙の大きさ、画材をどうするか、事実に基づいていてもエッセイなのか他のキャラに動いてもらうのかなどを考える。

今回は内容を決めてから描き始めたのにどうもいまいちで、途中で構成を全部変えた。伝える予定の情報をバッサリ切って、情報より私の気持ちにフォーカスしてそこを強調する構成にした。

まるでパズルのようで、特に数ページに情報や展開を詰めこんだ漫画は構成を組み替えるとあっちがおかしくなったり、直すと今度はこっちがおかしくなったりと一筋縄ではいかない。

2023年9月29日

丸い月を見かけると写真を撮りたくなる。

何度も写真を撮っているが、基本的に「丸い月」であって素人目には特に代わり映えしない。

あるときから意識して、満月の写真を撮るときは「地球のものが横切っている」ようにしている。

立ち止まった場所からわたしと月の間にある地球の何かを一緒に撮影するのだ。

わたしは確かに地球に立って月を見上げている。

2023.9.29の月

2023年9月30日

9月も終わり。
週末で終わる限定混ぜそばを求めていきつけのラーメン屋に行き、私は通常メニューのつけ麺を食べ同行者が限定混ぜそばを頼む。

「つけ麺、大盛にしてください」
同行者はそういったが、私はつけ麺を大盛で食べるのは無理だ。
「混ぜそばのほうでしょ?」というと、訂正して
「すみません! つけ麺じゃなくて、混ぜそばを大盛で」
と伝えた。

店員さんは「はい、混ぜそばのほうを大盛ですね。わかりました!」と元気よく答えてくれた。

「お待たせしました、つけ麺大盛です」
そういって運ばれてきた大盛のつけ麺を前に困惑した。私には食べきれない量がのっている。

大盛になった分は混ぜそばのほうに譲ったが、どうも混ぜそばも大盛のような麺の量になっている。

フウフウ。
今日は麺をいっぱい食べたのだ。


ひとまず「日記のようななにか 2023年9月」はここで終了。10月からは書いていないのだが、また気まぐれに書くときが来るかもしれない。その時はまた公開するからよろしく。ぜひこの記事に「スキ」押して行ってください。

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