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私に疑問をくれた人

気づいたのは高校生の頃だった。

高校へは、自宅から最寄り駅まで自転車で10分ぐらい、列車に15分ぐらい乗って、高校の最寄り駅から高校まで徒歩で30分ぐらいかけて通っていた。

駅から高校までの30分、友人と一緒に歩くことが多かった。友人とたくさんたわいもない話をした。今となってはひとつも思い出せない。最近の人間関係についてや、気になる人との進展はあったのか無いのかという話が多かったかもしれない。

私はまんがと本をいっぱい読んでいたので、しゃべり方もオタクっぽかったし、語彙も回りくどいものが多かったのだろう。友人からちょくちょく

「いまのことば! どういう意味? それってなに?」

と質問されていた。ごく簡単だと思ってた言葉が多かったし、伝わると思ってしゃべっていた言葉だからあえて問われると「そういえば、他にどういえばいいのかな?」といったん考える。言いかえを考えたり、思いつかなかったり。時には回答を保留してきちんと調べる時間をもらい、次に友人と話をするときに改めて「昨日の○○というのは」と解説したりしていた。

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彼女がいちいち私の話をとめて、言葉の意味を聞いてくることは全く苦じゃなかったし、改めて調べることも楽しかった。ぼんやり、ふんわり言葉の意味を雰囲気でとらえてしゃべっていた自分にも気づくことができたし、調べた言葉は身についていったと思う。

彼女のすごかったところは、私の説明を「へえ!そうなんだ!」と素直に聞いてくれ、保留した答えを時間差で解説することを許してくれたことだ。

せっかく調べて言っても「え?何のこと?」と相手が忘れていたり、「もう興味ないよ。その時言ってくれないんならいいよ」とあしらわれてもおかしくないのに、彼女はいつでも「うんうん。そうだったんだ」「なるほど!」と聞いてくれる。

だから、ぶつけられた疑問に答えることを楽しみにすることができたのだ。

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それから何年かたって、仕事をして自分で生活していくほどの大人になったころ、改めて「疑問を持つことって大事なことなんだ」と感じた。

なんでも「知ってる」つもりになってしまうのが一番怖い。当然知っていると思うことを、知らない人の気持ちで、改めて考えてみると自分だって本当は「何もしらない」のに。

2000年代の初め頃、わたしはYahoo!知恵袋をよく見ていた。わたしには思いつかない「疑問」の宝庫だったからだ。「○○ってなんですか」という質問に、一瞬は「○○も知らないのか……?」と考えてしまうこともあるけれど、じゃあ自分のことばで解説しようと思ったら、出来るのか? できないことも多い。改めて調べる。 質問者にその調べたことを教えるとは限らないけど、自分が「なるほど、それは私もはっきりわからないな」という事柄に出会うために質問掲示板を良く眺めた。

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そして現在、わたしはたくさんの知りたいこと・知らないものに囲まれて生きている。たぶん、わたしは「疑問を抱く」能力を少し手に入れたんだ。

自分が興味を持てる「これは何だろう」を見つけては、それについて調べる。わかったり、わからなかったりする。新しいことを知ったり、再確認したり。ひとに発表できるぐらい資料をまとめたり。

これが毎日楽しい。

身の回りのものをひとつずつ、興味が持てるものから再発見していこう。
いままで見えてなかったものが見える目をわたしは手に入れている。

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【余談】

疑問をくれた友人とはもう長い間連絡を取っていないが、こうやって彼女のことを思い出すと「わたしに初めて愛をくれたひと」なのかもしれない。なんかてれくさすぎるし「真面目にいってんのか?」と自分でも突っ込んでしまうけれど。

わたしに本当に期待し、わたしなら答えてくれると信じてくれ、話に耳を傾けてくれ、幸せになって欲しいと言ってくれていた。最初にわたしについて「あなたは魅力のある人だ」と言葉にしていってくれたのもその人だ。小学校から高校まで、べったりしていたわけじゃないけどいつもそばにいてくれた人だ。

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【追記】

疑問を持つことはいいことだと書いたけど、自分で調べずにすぐ人に聞くことがいいことだとは思っていない。

わたしが手に入れた「疑問を抱くちから」は人にぶつけるものではなく、自分が知りたいと思うきっかけにするもの。

ではこの友人と、他の人と何が違ったかというのは、「自分で調べるのがタルいから目の前のやつに教えてもらお」っていうのではなく、「あなたの話を聞いているので、わからないところをちゃんと確認することで、ちゃんと理解したい」と思ってくれてるのが伝わるところだと思うのだ。

わたしが自分で「調べて、彼女にちゃんと伝えたい」と思ったからこそ調べて伝えていたわけで、わたしが調べず・彼女にも伝えなかったとしてもそれはそれで問題なかったのだろう。でも調べたいと思えたのだ。

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