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運動会でつらかった思い出とか体育の記憶

運動苦手。体育きらい。
けっこう好き・嫌いがはっきり分かれそうだと思っている。「別に好きでも嫌いでもなかった」という人もいるだろうし、それが一番いいのかもしれないな。現在は体動かすのもきらいじゃないです。子どものころからもうすこし楽しめてたらよかったな……

私は体育の授業も運動会も嫌いだった。

小学生の頃の私は背が小さくて細くて、結局小学校の六年間は整列するときに一番前で腰に手を当てるポジションから変わったことがなかった。
なぜ運動が苦手だったかと言えば、たぶん単純に「本気でやらなかった」というのが大きい気がする。「本気を出せばやれた」と言い換えるとだいぶふざけているように聞こえるし、実際のところ本気を出したらやれたのかどうかは今となってはわからない。たいして変化しなかったかもしれない。

運動会の嫌な思い出

小学五年生からは担任の先生にいじめられていて、理不尽でつらい目にあっていた。

・徒競走のメンバーがひどい


徒競走は基本的に体育の授業で計測された走る速さを目安にして、似たようなレベルの人をひと組にまとめていたと思う。なのに、ビリのわたしが一緒に走る人はリレーのアンカーをつとめるような人たち(走るの速い)。
先生いわく「君はどこでもビリだから、どこに入っても一緒でしょ」
当然ビリだったし、みんなが「あの子はどうしたの……?」って思うぐらい遅れてゴールした。

・騎馬戦の配置が理不尽


運動会当日先生に告げられた「6年生(上級生)の騎馬に乗る人が足りないんだって。君どうせあぶれてるから6年生の騎馬戦に出てね」
5年生で一番体力のない、軽いことしか取り柄のないのが上級生の馬に乗って上級生から帽子をとる……無理だろ
わたしをあてがわれた6年生も「え……」って顔で困惑してたしすぐにぼうしとられてつぶれて終わってわたしのせいで負けたことになった。そりゃそうなるよ。

・組体操のピラミッドでてっぺんをやらされる

これはからだが小さい子あるあるだと思うんだけど、組体操のピラミッドは上に乗る人は軽い子のほうが下になる人が楽ということでてっぺんに立たされる。しかしからだが小さいだけあって筋力もないし踏ん張れなくていつも怖かった。高学年になると難度があがってものすごく高いし、丸いせなかや小さな肩、滑るシャツの上に乗っかって、全員が立ち上がるまで我慢して、最後わたしがきれいに立たなければ「失敗」なのである……責任も重大だし体力も持たない。ほんとやりたくない。

・スケート大会のコンビの組み合わせおかしい

スケート大会ってのもあって、スピードを競うものだけでなく道具を使う競争もあった。もちろん順位やクラス対抗で勝ち負けがあるもの。
二人一組になり、ロープを付けたタイヤに相方をのせて引っ張りながら滑り、帰りは引っ張る人とタイヤに乗る人を交代するという競技。
みんな似たような体格・同じ性別の人で組んでたのに、私だけなぜか男子の大きい子と組むことに(先生の指示)。あちらが引っ張ってるときは良かったんだけど私はまったく引っ張れずギブアップ。

・マラソン大会で置いてけぼり未遂

マラソン大会というのがあって、かなりきついイベントなので毎年憂鬱だった。低学年と高学年で半分ずつに分け、3年と4年・5年と6年で距離が違う。
5年6年は5kmの長さを走らされる。走るのは山の中の道路で、行きの2.5kmはひたすら登っていき、帰りは下ってくる。秋は唐松の葉が散らばっていて、下りはとくに滑るのでとても怖い。

私は遅くて毎年だいたいビリだった。途中でいなくなっちゃう子とかコースを守れない子がいたので、その子たちをのぞいたらビリである。
5年生の時は係の先生が折り返し地点を間違えてしまって、5年生はみんな3kmしか走らなかった。その結果私は学校全体で55位ぐらいになったので、アクシデントで得た上位でもうれしくて(55位だけど……)自分でチラシを折って作った額で家の壁に飾ったりした。

6年の時は先生のミスもなく、普通にみんなと同じ5kmを走った。
速い人たちは途中で歩いたり休んだりしながら走ってたけど、私は「遅いながらも歩かないことを目標に頑張ろう!」と決めていた。

もう前を走ってる人もだいぶ長いこと見ていないし、後ろからも誰も来ないからビリなのはわかっていた。でも最後までゆっくりでも走りつづけるぞ!と思っていたので、ゴールした時に拍手してくれた人もいてちょっとうれしかった。
しかしその後聞いた話に結局がっかりすることになる。

「もう最後は一人だけだし、全然戻ってこないし、待ってても無駄だから撤収して帰りましょう。あの子も一人で学校まで戻れるでしょ? 6年生なんだし」
と担任がみんなを撤収させようとしたという話を聞いた。母から。
このマラソン大会は家族の見学もある大会だったので、ゴールには母がいて、担任の言葉に驚いて「そんな、うちの子がもどってきていません。帰るなんてあんまりだ。待っていてあげてほしい」と言ってくれたそうだ。さすがにそう言われて「いや、もう終わりだ、帰る」とはならなかったみたいだ。だから私がゴールした時みんな残ってた。
あとでその話を知った時には「ああ、私がゴールした時にもう片付けられてみんながいなくなっていたら……私はとてもつらい気持ちになっただろう、いてくれてよかったな」と思った。

ただ、その話を知ってしまった時点でわりと同じ気持ちになった。

体育の授業もなかなかつらかった

跳び箱も全然飛べない。あれは体力とかじゃなくて方法論というか、思い切りとかテクニックだと思うのだけど怖くて踏み切れなかった。飛べる気がしなかったから。
これも先生にはからかわれていて、みんなに注目させてから私に跳び箱を飛ばせて、越えられずまたがってしまう私を指して「これは悪い見本です。こうならないように。さあもう一回みんなに見せてみて」と言ったり、一番てっぺんだけを残して飛ぶように言って「一段も超えられないなんて!」と笑ったりするのであった。跳び箱一段って、四段とかあるよりだいぶ怖いんだよね。

スケートも苦手だったなあ。スピードスケート、楽しかったけどうまく滑れなかった。思うに靴があっていなかった。高い靴だし、長い期間はけるようにと大きめのサイズを与えられていて、先っぽに綿とか布を詰めて使っていた。
力もなくてマイナス十度とかの屋外では手がかじかんで靴紐がきちっとしめられず、いつもグラグラしてすっぽ抜けそうな緩い状態で滑っていたが、誰もその辺はケアしてくれなかった。いや自分でやればいいんだけど、小学生だよ……私以外にもきっと困ってた子いたと思う。いや私だけだったのかな。ほかの子は私よりできてたもんな。

体育とか運動が好きじゃなくなったきっかけ……多分


水泳が得意だった。実際はおいといて、私の中では得意なスポーツ・水泳だった。これもからだが小さくて体力がないため誰よりも遅いんだけど、足をつかずに長い距離をチャポ……チャポ……と泳ぎ続けることができていた。
低学年のころ、友人に「すごいよ!私、ぜったい25メートルのうちに何度か足をつけちゃうのに、阿智ちゃんは足をつけずに泳げてすごいね!」と褒められた。自分でも気づいてなかったけど、そうか、そこは良い点なんだ! と思ったらとてもうれしくなった。(この友人は以前noteで書いた「私に疑問をくれた人」と同じ人である)

そこで、めったに人より優れてると言えない私が親に言ったのである。
「わたし、水泳がとくいなんだ……」
親は喜んだ。「じゃあ今度の水泳大会楽しみだね!」

水泳大会当日、私は足をつけずに泳ぎ切った。とても満足できる泳ぎだった。なかなかみんなができることじゃない!そう思ったのだけど、
「ぜんぜん得意じゃないじゃない。ビリだった。恥ずかしかった」
親にはそういわれてしまった。
もう私は何も得意なことなどない。本気で頑張ったけどだめだったんだから。

運動会のやり過ごし方


子どものころにやっていた、「運動会をつらくなくする方法」。

今日は水曜日。こんどの日曜日は運動会だ。
先週の水曜日のことを思い出そう。あれからもう一週間たっちゃったのか。時の流れって速いな。じゃあ来週の水曜日もすぐだな。日曜日に運動会があったって、来週の水曜日はすぐ来るんだから、運動会だってすぐ通り過ぎるだろう。来週の水曜日のこと考えて、なんとか運動会のことはやり過ごそう。

こんな感じでした。つらい人は試してみてね!!!

おまけ


ヘッダの写真は私が小学五年生の時に撮影した、通ってた学校の校舎です。木造校舎好きだったな。

通ってた小学校

校庭の写真は撮ってなくて、この左の写真(トイレ)の左側・右の写真を撮ってる私の後ろ側に校庭があります。右の写真の右側が体育館。うー。嫌な思い出ばっかりだ。

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