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うつ病で死んでしまった叔父へ。

3年前の話。私が夜勤の連勤中、家に帰って寝ている時に父から連絡があった。父とは滅多に連絡は取らないものだから何事かと思い話を聞くとそれは父の兄、叔父の訃報だった。

私の連勤はその日の夜で終わり、友引であるという事からお通夜は明日になる。明日祖父母の家に来いと言われ私は至って焦りも動揺もないままその日の仕事をこなし、仕事終わりに仮眠をとり夕方には車で2時間程度の祖父母の家に着いた。

叔父は独身で祖父母と同居しており、着いた日には昨日の話ではあったが祖父母の家に居た私以外の人間が(祖父母、父、兄、弟、それに義母も)青い顔をしていたのを覚えている。私の到着が1番遅かったし、恥ずかしい事ではあるが特に何も感じていなかった。

というのも私は身内の中で殊更叔父との関わり合いが薄く、彼を叔父とする兄や弟とは違い一緒に遊んだ記憶どころか話した事自体があまりなかった。私の身内は未成年である弟を除きヘビースモーカーで、叔父とは私が成人してから喋る事が増えたのだが、せいぜい話した内容は私が就職した会社はどんな会社なのかとか、上司先輩達とは上手くやっていけているのかとか私が吸っているタバコが重たいから軽くしなよといった事を話した程度で、兄や弟と違い買い物や叔父の趣味であるゲームや釣りに一緒に興じた事はなかった。

私と兄が高校生の時私達兄弟は母の蒸発後やってきた父と義理の母に上手く馴染めず、長期休暇の時、私はアルバイト。兄と弟は祖父母の家にずっと居た。その違いが叔父との交流の量の違いでもあったが、何より私は神経質で気の合わなそうな叔父を何処かで嫌っていたのだと思う。

叔父は独身で、働く場所を一箇所に落ち着けた事がなく、働いて貯金をしては仕事を辞めて、しばらく貯金を切り崩して生活し。時期を見てまた働いては貯金をしての繰り返しだった。ちょうど叔父の訃報を聞いたのは働いている時期だったので私はてっきり交通事故か何かで叔父は死んでしまったのだと思っていたのだけれど実際は違った。

叔父は自殺だった。

平日の朝祖母の淹れたコーヒーをいつものように自室に持って帰り、そのまま叔父はベランダで首を吊った。最後に母の淹れたコーヒーは飲んだのか。それすら私は知る由もなかった。

叔父の葬式は滞りなく進んだ。やはり涙は出ず、叔父の死よりも祖母や父の流す涙の方が堪えた。

出棺の時叔父に触れてあげてほしいと言われ皆が別れを告げている時、私は冷たくなった人間というものがどうにも気持ち悪く感じてしまってついぞ触れる事が出来なかった。

出席した中で涙を流さず叔父に触れる事すらしなかった私に兄は我慢が出来なかったようで葬式が終わってから逃げるように帰ろうとする私に兄は「恩知らず」と言った。私は「人の感情にケチをつけるなよ」とだけ返して家に帰った。

親子仲の悪い私達兄弟はGWと盆と正月に祖父母の家に集まる。私が叔父が死んだ後の正月に祖父母の家に行った時、祖母はポツリポツリと叔父の事について語り出した。

私だけが知らなかった話らしいが、叔父は私が生まれる前に仕事や職場の対人関係のストレスにより鬱病になっていたそうだった。仕事を転々としていたのもそういった理由だったのだろう。私とした少ない会話も私の事を心配しての事だったのだ。

祖母や父は叔父は死んで楽になった。そう言っていた。いつぞやの女性に感じた希死念慮のシンパシーは叔父には感じなかった。叔父は何を思って死んでしまったのか。首を吊る直前に何かつらい出来事があったわけではないと思うのはただの直感だけれど。


祖母からその話を聞いた後、私は祖父母の家に帰る度に叔父の吸っていたタバコを供えている。なんとも調子の良すぎる話だ。

祖父母をどうかよろしくなんて私に言われるまでもないのだろう。きっと。

私の事は心配いらないよ。多分だけど。

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