正解探しに終止符を
やっぱり私はどう考えても幸せなんだよな。
そんなことを思う金曜の夜。
私は今ちょうど東京に来ていて、東京に住んでいる大好きな先輩や友達に会えることがたまらなく嬉しくて幸せだ。きっとこんなことを思うのは、コロナで自由に人と会いにくくなったことも関係していると思う。
この前、東京に来たのは3年前くらいかな?今ホテルの一室でジーンと幸せを噛み締めながらnoteを書いているのだが、当時の自分はしなかっただろうから、幸せと同時に自分自身の変化も感じている。
少なくとも3年前くらいの私は、不安と「〇〇しなきゃ」にまみれていたように思う。「社会人になったのだからプライベートも仕事も充実させなきゃ!」「会社と仕事の往復だけじゃダメだから、何か趣味を持たなきゃ」「もっと会社の人と深く関わって飲みに行ったりしなきゃ」そんなことばかり思って、上手くできない自分を責めて落ち込んだりしていた。目の前の幸せなんて見えてなかったし、ただただ不安に飲まれていた。
そんな私に今の私が声をかけるとしたらなんて言うだろうか。
あのね、〇〇しなきゃいけないことなんてないんだよ。
そもそも"しなきゃダメなこと"って私自身が本当にしたいことなのかな?
本当はどうしたいんだろうね?思ってることを自由に言ってごらん。
どんなことでも受け止めるから大丈夫だよ。
こう言うかもしれない。
私はずっと誰かに認められるような正解を探してた。その相手は親だったり、友達だったり、会社の人だったり。だけど、本当にそれって私が心から望んでいたことだったのだろうか?
私はずっとずっと正解探しをしていた。自分の考えよりも正解を優先していた。
だけど最近になってようやく正解よりも大切なものが少しずつ見えてきた気がする。
今の私が言語化できるのはここまで!
おわり
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