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イトマキエイでさえも

いつも通り、そんなことをしている場合じゃないときにネットを見ていたら「イトマキエイの赤ちゃん死ぬ」という共同通信のニュースタイトルが目に入った。
うむ。
イトマキエイの赤ちゃんが死んだか。
とうとう死んでしまったか。
今初めて知ったとはいえ、なんとも痛ましい話である。
しかし実のところそのときわたしの頭に真っ先に浮かんだのは、わたしが死んだときに共同通信は「平山亜佐子死ぬ」とニュースにしてくれるのだろうか、ということだった。
もちろんしないだろう。
なにしろイトマキエイは絶滅危惧種に指定されていて、さらに今回は世界初の飼育下での出産後の死というレア度である。
平山亜佐子どころか、人類にまで拡大してみてもこんなありふれた種が敵うわけがない。

しかし、ありふれているわりに(有名な)人類の訃報にはさまざまな言葉が使われる。
逝去、死去、崩御、亡くなる、天国へ、などなど。
なんとなくうそ寒い言葉遣いである。
不謹慎ではいけない、失礼があってはならない、という気遣いが、綿で包んで薄紙をかけて箱に入れてリボンで結んだようなそらぞらしさを感じる。
そんな風に言うなら、貴重種のイトマキエイの赤ちゃんにも使ったらよい。
イトマキエイの赤ちゃん逝去。
イトマキエイの赤ちゃん夭折。

ちなみに、わたしが好きな、小泉八雲が妻に言ったことばがある。

この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭位のです。私の骨入れるのために。そして田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです。あなた、子供とカルタして遊んで下さい。如何に私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。若し人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいです。

『思い出の記』小泉節子

この精神にならって、わたしが死んだときに知己に知らせる際は「平山亜佐子死ぬ」にして欲しい。



【本日のスコーピオンズ】

15曲目「Dark Lady
3rd アルバム『In Trance 〜復讐の蠍団〜』(1975)より
いよいよアルバムも3枚目に突入である。
そろそろこれぞスコーピオンズという曲を聴きたいものだと思ったら、
バキバキのギターイントロからのハイトーンボイス、
全体的にメロディアスで失礼ながら珍しくかっこいい。
今までで一番洗練されておる。
このアルバムはかなり期待大!

感想は以上です。


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