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自分軸を取り戻す過程で、夫への憎悪が最大化した話。

6月末に、仕事が楽しくて人生が上向きになってきた的な記事をアップしたのだが、実を言うと、その数日前から、夫に対する不満がマグマのように膨れ上がっていた。

私は、第3子長女をコロナ流行とほぼ同時に産み落としたのだが、それからずっと夫との仲がギスギスしている。

話せば長くなるので端的にまとめたいが、まとめきれる自信がない。それでもまとめてみます。

末っ子長女が生まれてから約2年強、夫は、長男と次男への接し方がキツくなった。穏やかなときもあるが、基本は厳しさが美徳で、余裕がなくなると、まるで監視官のよう。

私が0歳児のお世話でどうしても手が回らなかったとき、まだまだ甘えたい盛りの当時5歳と2歳の息子2人に対して、幼子への慈しみを持って接して欲しいのに、ただただ厳しくすることしか能がない夫を見て、何度か、「優しくしてあげて」と頼んでみたり、耐え切れず怒りをあらわにしたこともあった。

しかし、なかなか変わらない夫に対し、残念な気持ちでやり切れず、ついにその怒りの矛先は、夫のお父さんへも向いた。

なぜお義父さんに?と思うが、これには理由があった。

義父は、いわゆる昭和のモーレツ社員で、土日出勤当たり前の子育てはほとんどしてこなかった人。

そのことに対し、不満に思うことなどあるはずもなかったのだが、第三子を産んで、夫の子育てに対する温度差が浮き彫りになり、イライラするたびに、「そんな父親像」を作った義父の顔がチラついて、怒りが増幅した。

気がつけば、夫の家族全員が嫌いになっていた。

下記のエピソードも相まって。

でも、そこでお義父さんに怒りを感じるのはさすがにお門違いだよな、なんでこんな風に思ってしまうんだろう、と自分を責めたり、メンタルをコントロールする方法を模索したりと自分を変えようと努力もしてきた。

しかし、この1年、仕事で生きがいを感じたり、天職だと思える仕事に打ち込んでいるうちに、私は、自分の感覚や意見をもっと尊重してあげたいという気持ちが芽生えてきていた。

これを『自信』と呼ぶのかもしれない。

次第に、自分を抑えたり、変えようと必死になるのではなく、違和感を感じることを夫に伝えるべきという考え方になっていった。

特に育児で、「頑張っているのに認めてもらえていない」と自分を追い詰めると同時に、夫や義父に怒りを感じていることに気づき、なぜだろうとぼんやり考えていると、ふと、思い出したことがあった。

遡ること6年前…。

義母が癌で急逝する直前、夫から『うちの両親と話をしていたら、“アセルチコリンの育児について、もっとこうしたらいいのにと思う”と言ってた』という話をされたことがあった。

そのとき、『えっ?』と思ったが、当時、3歳と0歳の子育てで必死な上、引っ越しを控え、さらに義母の余命宣告や入院で、通常の生活、精神状態ではなかった。

・・・

これだ。

お義母さんの急逝後、つらいけど受け止めなきゃ、私変わらなきゃと思っていたが、このことがずっとずっと胸の奥に刺さり、腐敗していった。

義母を亡くした痛みで、違和感に対して鈍感になっていた。

これは、夫が悪いと思う。

夫が、夫の両親の言葉をそのまま私に伝えてきたことが悪い。

配慮がなさすぎる。

「私は必死にやっているつもりだけど、夫や夫の両親から育児を否定された」

「普通、親からそういわれたって、❝アセルチコリンさんも頑張ってるしそんなこと言わないでくれ❞とかいうもんじゃないの?」

「そもそも夫は、人のことをとやかく言えるのか?」

「その夫を育てた親だって、人のことダメ出しできるの?お義父さんなんて、子育てしてないくせに」

これまでの怒りの原因や、自分の考えがまとまり、ある夜、子どもたちが寝た後に、夫に冷静に長年の膿のような感情を打ち明けた。7月頭のことだ。

「蒸し返したいわけじゃないが、その時のことがきっとずっと引っかかっていた。それで育児も頑張れないときもあったし、離婚したいくらい、あなたが憎い原因にもなってると思う。好きだと思えるわけがない。でも離婚で子どもたちに不利益被らせるのも嫌。だから困っている」と。

途中泣きながら、怒りながら、約2時間ほど話した。

キャパの狭い夫は怒るかと思ったが、うなだれたように、そうだね、と黙って聞いていた。

次の日、夫は私に対して、相当の気遣いの姿勢を見せ、子どもたちへも、必死に穏やかなパパでいようと頑張っている感じが伝わってきた。

どうも、反省してくれたようだ。

その態度を見て、私は、また好きだと思えるかどうかは自信がないが、夫婦として再建の余地はあると感じた。

そして、私も、「千と千尋の神隠し」の腐れ神のようになっていたなと気づいた。ちょっとした傷が腐り、手のつけようもないほど憎しみが増幅していた。

翌日、自分の心が信じられないほどすっきりしていたのだ。

腐れ神が、千尋たちの用意した大浴場でサッパリ汚れを落とし、「よきかな~」と呟き、川の主として活力みなぎらせて戻っていく、あのシーンがよみがえるほど。

私は、仕事で自分に自信をつけ、他人軸から自分軸を取り戻した始めたことで、プライベートな問題も好転していくかもしれないことに、驚いている。

これからは、自分にダメ出しする習慣をやめて、イヤなものはイヤ、不快なら不快だとその時にハッキリと言えるようになりたい。

それが自分だけじゃなく、周りの幸せにもつながるはずだ。そう痛感した。

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