1いえば10わかる先輩と、10いっても1もわからない私。
人に何かを伝えたり、知ってもらうために、
私は「言葉を尽くしてわかってもらえるよう努力する」ということを無意識に心がけている。
無意識に、というのは、
子どもたちに、言葉の意味を訊かれた夫が、子どもには理解しづらいのでは…と思うような表現を使っているのを聞き、初めて気づいたことだったから。
ときどき、
「なんで言ってる意味がわかんないの?」
とイラついてる人がいるが、そんな人を見ると、私はつい言いたくなる。
「伝わる努力をしている?」
「相手がわかるように言葉をかみ砕いている?」
「相手がどこまでわかって、どこからわかっていないのかを知ろうとしてますか?」
なぜ、こんな風に思うようになったのか。
いつからだろう。
私は、物事を理解するのに時間がかかるタイプだ。
そのことを思い知ったのは、社会人1年目だった。
物覚えが悪く、何度聞いてもピンとこない。
しかも「わかったような気になってたけど、わかってなかった」みたいなことが頻繁にあった。
わかっていないこともわからないのだ。
直接指導してくれる女性の先輩2人(3歳年上のKさんと、8歳年上のAさん)に呆れられ、怒られる毎日。
「ねぇ、ほんとに大丈夫?確認した?」
「こんなにしっかりしてない子見たことない」
「あんたには、完全分業スタイルの会社が向いてるよ」
そんな言葉を浴びながら、とりあえずできることをと、
朝の準備、誰よりも早く電話を取ること、先輩たちが嫌がるねちっこいお客さんやクレーマーの相手をしながら、自分の居場所を必死で見つけようとしていた。
Kさんは、理系で頭脳明晰で、なんでも器用にこなせる人だった。
当然のことながら、Aさんは、Kさんのことがお気に入りで、
「ほんとにKちゃんは優秀だし美人だし、最高!1言えば10わかるもんね」
とほめちぎり、
「それに引き換え、あんたは何?10言っても1もわからないよね!」
と、さすがに冗談っぽくだが、私に言うことがあった。
そんな発言にも慣れて、私は図太くなっていったが、
自信はどんどん無くしていったように思う。
その後転職したシステム会社で、営業を経験し、カスタマーサポートのヘルプデスク業務に就いた際は、
相手が、
「どこまで理解しているかを見極める」
「何につまずいているのかを知る」
「よりイメージできるような例を入れてみる」
そんなことを意識していた。
そして、自分が物分かりが悪い人間ゆえに、
「わからなくても恥ずかしく思わないでください」という雰囲気も出せるように心がけていた。
元営業だったせいもあるが、名指しで電話がかかってくることもあり、
次第に、「これは自分の強みなのではないか」と思いたくなっていた。
しかし、そこは評価の対象にはならないし、数字で測れるものでもないので、独りよがりかぁ、と思うようになっていった。
短時間で問題を解決し、1日何本の電話を受けられるかが評価対象だったのだ。たとえお客さんを置いてきぼりにしても。
職場環境は良かったが、そういうやるせない部分が積もり積もっていったことも、あっさり退職できた原因かもしれない。
そんな自分でもできて、向いている仕事は何だろう、と自己分析を重ねた専業主婦5年間を経て。
先日までお世話になっていたWEB広告会社で、
「動画広告を作るときのポイントをまとめた動画」を作ってほしいと言われて納品した際、
と、社長に言ってもらえたときの喜びは忘れられない。
1時間、仕事が手につかなかった。
物分かりが悪い自分が見出した「強みだと思いたい」とひっそり大事に抱えていたものを、生まれて初めて「そうだよ、それがあなたの強みなんだよ」と肯定してもらえた気がした。
不出来な人間には、不出来なりの強みがある。
10いっても1もわからない自分だからこそ、できることがきっとあるはず。
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