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「子ども」に関する発信のジレンマ。

私は、物心ついたときから「子ども」が好きだった。

丸い、小さい、たどたどしい。
素直、まっすぐ、あどけない。

とにかく存在が可愛い。
心の奥底ではそう思っているのだが・・・。

ところが、母親になった私の、我が子への態度ときたら、本当にひどいもので。

春休み開始すぐ、母のいる鹿児島へ1週間滞在し、3/31に奈良に帰還し、
4/1より、自宅で3日間一緒に過ごしているが、すでに耐えられない。

4/2は、1日中、私が別部屋で寝込むことで、一人の世界を死守した。
しかし、子どもたちは寂しがり、かわるがわる私のところへやってきた。
もう、あっち行って、ママを一人にして!と叫んで、追い払う。
そんな自分や状況にもうんざりしちゃって。
noteの投稿も、新年度2日目にして、早速途切れてしまった。

3月まではこども園の保育園児だった次男は4月から小学生で、
(本人が学童に行きたくないと希望したので、尊重)
3月まではこども園の保育園児だった長女は4月から幼稚園児で、
(「2時のお迎えなら行く」と毎朝ぐずるので、尊重)

ちょっと後悔している。いや、そうするしかなかったと思っているのだけど、自分のキャパを考えずに、子どもの気持ちを尊重しすぎてしまったような。尊重。キツイな~。

そして、どんなに我が子が愛しくても、現実は、不自由さを感じていることや大変そうな様子を、これから結婚や出産を控えている人に本当はあまり言いたくない。自分がもしこんな記事を読んだら、
「うへぇ、子どもなんていらないな」と思ってしまいそう。
そんな風に思ってほしくないのに、書かずにはおれない、、、というジレンマ。

当然のことながら、子育ての大変さは、サポートがあるかないかで全然違ってくるんだと思う。

以前、知り合ったママ友。
そのママ友自身も若かったが、そのお母さんもまだ50代とお若く、
さらに、ママ友の妹さんは保育士さんで、
皆さんお近くに住まわれていて、ママ友の息子さんをみんなで溺愛している、という最強パターン(勝手に命名)だった。

そんなママ友と自分の状況を比較して、ちょっと悲しくなった時期も、実はあった。

最強パターン(勝手に命名)で育った子どもは自己肯定感も高くなるだろうし、きっと幸せだろうな・・・と思うのだが、
それでも私は私でよくやっている、私が最強パターンの母親になるしかないじゃないか!と自分を鼓舞して、ここまでやってきた。
でも、全然人間できてないから、「ママも七ならべしようよ」とか言われると
「なんのために3人産んだと思ってやがる、3人でやれい!」とか言ってる。

もう、あんまりガミガミ言わないで、
テレビさん、YouTubeさん、アマプラさんのサポートを受けての最強パターンでもいいか。
お昼ご飯も米と缶詰とかでいいし、なんならお菓子で済ませたっていいや。

あと数日、乗り切ろう。

晴れたら、お弁当持って、お花見したいなぁ。
そうそう、外に連れて行ったらいいんだ。
外だとケンカもあまりしないし、犬のように駆け回ってる姿を眺めて、ただただ、存在を尊いと思えたりするんだった。
「ママ、鬼ごっこしよう、ママ鬼ね」とか言われると、マジ鬼ごっこやるしな!

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